大泉ひろこ特別連載

大泉ひろこ特別連載です。

人口問題に挑む(22)明治は古典的、昭和は昔

2022-12-27 09:52:21 | 社会問題

 現在の義務教育の教科書では明治の文豪は古典に入ると言う。団塊世代の筆者が中学生の頃は、夏目漱石や森鴎外は現代作家として読んだのとは大違いだ。確かに旧仮名遣いであったが、街には至る所に旧仮名遣いがあふれていたし、それほどの違和感を持たなかった。もう明治は、筆者らが古典と考える源氏物語や枕草子と同じく、古典カテゴリーに入る時代になったのだ。確かに明治が終わってから百十年経っている。

 戦後の昭和は、よく「明治は遠くなりにけり」の言葉が流行った。明治生まれの将校に駆り立てられ、戦争に行った多くは大正生まれであったが、敗戦で世の中が一変すると、それまで連綿と続いてきた明治の文化・社会に哀愁をもって懐かしむ年寄りが増えた。その明治は、よく知られるように、維新のときの3,300万の人口が明治45年には5千万人を超えた。まさに多産多死の時代であり、人口爆発しているが、多くの乳幼児が夭折した時代でもある。速水融慶大教授(故人)によると、明治には、既に、疱瘡とコレラは克服したが、赤痢やチフスは撲滅できなかった。わが家の歴史でも、大正生まれの父は6歳のとき腸チフスで生死をさまよい、父の妹はスペイン風邪で生後6か月で亡くなった。

 その後の日本を襲ったのは肺結核であるが、これは、アメリカ統治下に入ってきたペニシリンによって撲滅された。この後はガンが死因一位の病となったが、ガンは感染症ではなく、生活習慣病であり、ある意味では寿命の延びと共に避けられない疾病でもある。だが、思わぬ伏兵がやってきた。新型コロナである。感染症である新型コロナによる累計死亡者は55,561人(2022.12.26)であり、1918-20年に流行ったスペイン風邪の死亡者数38万から45万人(推計)と比較すると極めて少ない。しかし、政府のコロナ対応とマスコミが人々を恐怖に陥れるような方法であったため、出生率に大きく響き、20年87万人、21年81万人に続き、22年は77万人程度になると見込まれている。もはや、我々団塊世代が年270万人生まれていたのに比べると4分の1近くになってしまった。恐ろしや、である。

 一方で、今年、世界人口は80億に達し、2011年に70億であったから、激しいスピードで増加していることが知られる。言うまでもなく、アフリカの増加が著しい。だから、日本は人口増加する必要がないという議論もあるが、国力、別の言い方をすれば、経済力と国際地位の低下を看過する考えだ。しかし、それならば、政治はいらない。国益とは経済力と国際地位を保つことにある。経済の生産性を上げ、より具体的には先端技術を駆使した産業を発展させ、一定の人口を持つことが政治の役割なのだ。国民国家を維持するのであれば、その政治を実現しなければならぬ。

 明らかにその必要性が政治にも社会にも共有されていない今日、我々は、古き良き時代に浸って斜陽の日々をのんびりと過ごさねばならぬのであろうか。近代化を遂げた古典的な明治をたたえ、経済と日本文化(別名昭和元禄文化という)を豊かにした昔の昭和を懐かしんでいればよいのか。それに続く平成は専ら下り坂、令和は転落の時代だ。だがよ。下り坂と転落は、明治の近代化にも、昭和全盛期にも織り込まれていたのだ。明治の近代化は藩閥政治によって行われ、ネポティズム(縁故主義)がはびこり、利権政治の構造を作った。だから、この国にフェアというものはない。昭和はアメリカの支配下に置かれてから、アメリカの掌に載せられ、はみ出すようになったら厳罰を受けるようになった。「車を造るまではいい、飛行機はダメだ」「アメリカの軍需産業に忖度せよ」「概念的な教育をいつまでも続け、いい人材が出ないような教育をやれ」「人口は一定程度にとどめよ」「与党のみならず野党もアメリカの傀儡となれ」。

 討幕は、幕府がフランスと組んでいたのに対し、イギリスが薩長を後押しした。明治時代には、日英同盟が、イギリスの最大の敵であるロシアと戦争をした日本を後押しした。戦後は、アメリカの戦争に巻き込まれ、朝鮮戦争とベトナム戦争では、日本は儲けたが、第一次湾岸戦争では、1兆円余も払いながら、金ではなく軍を出せと叱責された。イラク戦争、アフガン戦争、そして今回のウクライナ戦争まで、日本は徐々に実戦に加われるような法改正をしてきたが、ついに防衛費倍増を受け入れた。

 筆者は150年以上にわたるアングロサクソンとの付き合いを否定するのではない。むしろ、フランスなど家族の価値や人権を重視する国よりも、英米のようなアングロサクソン文化の合理性の方が明快で受け入れやすいと思う。フランス人のように一日かけて料理を作ったりするよりは、英米のように、ローストビーフやハンバーガーで瞬時腹を満たす人種の方が近代化や国際化を俄かに達成するのに参考になった。ただ、一つ落とし穴がある。アングロサクソンには、根っこに人種差別主義がある。黄色人種が世界を制覇してほしくない、イエローぺリル、黄禍論がある。

 アメリカの対日占領政策で最も忌むべきは、1948年の優生保護法法制化へのバックアップであり、これが、1950年以降、実出生の7割にも及ぶ堕胎をもたらした。朝鮮戦争が始まる前のアメリカは日本を徹底的につぶすことに眼目があった。また、教育においても六三三四制を強要し、高等教育を短くして大衆化させ、エリートづくりを廃した。なぜ、占領政策に人口や教育まで対象にしなければならなかったのか。人口の量や質は国民国家が自身で決めることであろう。しかし、アメリカは、その時点では、日本を潰したかっただけだ。

 日本が今やるべきは過去の過ちを是正することだ。明治時代の殖産興業・富国強兵は、日清戦争のみならず、日露戦争に向かわせ、勝利した。イギリスが驚いたのは天敵ロシアをまさかの黄色人種が負かしたことだ。昭和時代、日本がジャパンアズナンバーワンと呼ばれ、マンハッタンのロックフェラーセンターを買収したことはアメリカ人にとって許せないことだった。だから、年次教書を以て毎年アメリカの要望に応えるシステムをつくった。英米人の腹の内まで知りながら、国益だけは守る政治が日本には必要である。それには、明治、昭和を思い出すことから始まる。明治のように人を増やし、昭和のようにナンバーワンを目指すことを忘れたか。今こそ人口を増やす政策を打ち出せ。そして、大学を淘汰し、授業料を無料化し、学問と実践の豊かな時間が過ごせる教育制度に変えよ。それこそ戦前の帝国大学の方が、戦後の新制大学よりもはるかに優れていたのだから、取り戻せ。エリートを輩出する教育を取り戻せ。

 明治と昭和、英米人の嫉妬を買った日本が今日まで彼らにいびられている状況から脱し、明治や昭和に手にしていた国益を回復するのは、人口の量と質に関わる政策を成功させるのが一番早い。

 

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人口問題に挑む(21)標準家庭は戦後の文化

2022-12-20 09:55:06 | 社会問題

 コマーシャルでは、お父さん、お母さん、男の子と女の子が一人づつの家庭が、カレーを食べたり、モダンだがまだまだ狭い家でくつろぐ姿が映し出される。一昔前なら当たり前と思われていたこの風景も、男性の3割、女性の2割が未婚人生を送る(50歳時 2020年国勢調査)現代では、違和感がある。独身で一生過ごす人も多いし、ひとり親も多い。「もうやめてくれよ、標準家庭を映し出すのは」と心で思う人が多い社会なのだ。

 大黒柱の父、カレーを作る母、ニコニコして食べる男女一組の子供たちが標準家庭となったのは、戦後のことだ。1950年から急激に下がった合計特殊出生率は、生まれてくる子供の数の7割に匹敵する堕胎が直接の原因で、少産少死の流れの中にもあり、多くの家族が子供は二人と決めるようになった。井戸端会議では、「上の子、下の子」が頻繁に出てくるキーワードになり、「長男が」「末っ子が」と言う言葉は次第に消えていく。

 カレーを作る専業主婦も戦後登場した文化だ。戦前は女中のいる金持ちの専業主婦はいたが、家事専門のサラリーマンの妻は、戦前の金持ち専業主婦に憧れてつくられた。高度経済成長が、男一人で一家を養える所得をもたらしたのが背景で、たった二人の子育てならば、ばあやもねえやもいらないから、時代にマッチした合理性を持っていたわけだ。非正規雇用が多いとはいえ、共働きが標準化した今日では、カレー作りをする暇は母になく、せいぜいレトルトカレーをテーブルに運ぶのがオチであろう。まして、ひとり親家庭なら当然に料理をやっている暇はない。

 ふたりっ子家庭の文化ができると、その文化が崩れ始めたときに「絶対価値ある文化」と考えがちだ。「なぜ結婚しないの」「なぜ子供ができないの」「二人目はいつ?」と生きることが標準家庭づくりだと信じてやまぬ世代が若者を苛立たせる。「好きなようにさせてくれ。結婚よりも少ない給料を自分のために使う」「異性と歩調を合わせて家庭を築くのは面倒だ」「自分も幸せではないのに、子供を幸せにしてやれる自信はない」「受験戦争、就活、非正規雇用、交際下手、年金制度への不信等々、人生は苦しいことのみ多かりきだ」。

 では、戦後作られたふたりっ子家庭文化に抗っているのは歴史的に珍しいことなのか。ノー、である。江戸時代、百万都市と言われた江戸では、男子の有配偶率は5割程度であった(参議院 「立法と調査」2006年 縄田康光、以下の情報もこの論文による)。住民の職業は日雇い稼ぎ、棒手ふり(天秤棒を担いで魚などを売り歩く)等の不定期就労が多く、現代の非正規雇用が多い状況と変わりない。江戸時代の三行半は有名だが、離婚率は明治になってから統計的に表れ、普通離婚率は明治16年が3.38(現在1.7)で極めて高い。

 ただし、核家族もまた戦後の文化であって、連綿と続く日本社会では、大家族の中で人々は生息し、ひとり親が孤軍奮闘することはなく、大家族の中で、祖父母、叔父叔母やいとこ達と暮らすのが当たり前であった。その叔父叔母は未婚のまま大家族の一員として終わることが多かった。だから、江戸時代の有配偶率は低かったのである。結婚しなくても、非正規でも、一つの釜で飯にありつけるし、甥姪の子育てにも参加していた。江戸、明治を通して、農家が圧倒的に多かったが、家業を継ぐ社会では、豊かな地主や素封家は多くの子供を育て、結婚しない人の分まで人口を保つ存在であった。

 しかし、今は大家族に戻ることはできない。結婚しなければ、早晩孤独の人生が待っている。離婚すればひとり親の苦しみを味わう。核家族は、自助努力の難しい非効率な形態なのだ。だから、社会保育、家族手当などの給付制度が必要となる。また、家業を継ぐ社会でなくなり、もっぱら教育によって人生を決定する社会になれば、子供が生産財としての意味を失い、消費財として、中でも贅沢財として見られるようになれば、いくら金持ちでも、子供を産まない人の分まで生む社会にはならない。

 筆者が幼少の頃は、江戸や明治の残滓が至る所で残っていた。近所の江戸末期、慶応元年生まれの夫婦は当時、80代で、「え~っ、86歳! スゴイ」などと言われていた。今では平均寿命くらいだ。夫は2回、妻は3回結婚していて、当時の離婚率の高さが自明であり、夫に子供は数人いたが、成人に達したのはただ一人だった。長生きする人は歯が丈夫なようで、二人とも咀嚼するのに十分な歯を持っていた。妻の方は白内障の手術を受けなかったせいで盲目になった。当時は健康保険制度がなかったから、高額で受けられなかったのだろう。離婚、再婚、多産多死の社会を生きた明治の人が核家族のふたりっ子家庭を見たら、何と思ったであろう。「小さな家庭の寂しい社会ね」。

 独身やひとり親やLGBTQの増加など、現代は家庭が多様化に進むと言われている。ふたりっ子家庭の次は限りなく小さい規模の家庭になるのだろうか。国としては、豊かな経済力と国際的地位を保つためには、従来「家庭は聖域」で踏み込むべきではないとされてきたが、放置することはできない。人口増加につながる家庭の在り方は、ある程度までは政策で誘導することができる。その政策が今日までできないできた。と言うより、正鵠を得た政策が思いつかなかったのである。保育対策を以て少子化対策、つまり隠れ人口政策としてきた無知蒙昧の政府が続いた。

 ふたりっ子家庭文化が崩れても、日本には崩れないものがある。一つは、均分相続などで対立する兄弟姉妹の関係は薄れるが、親子関係は残ることだ。エマニュエル・トッドが分類する日本は「権威主義型直系家族」であることは変らない。都会に就職した子供たちは、盆暮れには帰省する。育てた親の権威は、家業を継がないまでも残っているのだ。パラサイトシングルや引きこもりは親の権威に張り付く生き方だ。ただし、その反面、親の権威に反発して親との縁を切る子供の話もよく聞く。それは、親の権威がよくも悪くも残っていることを表す。

 ならば、子供を産む、産まない、何人産む、と決めた親の決定に政策的な援助を与えてはどうか。医療保険が子供が多くても同じ保険料であるのと同様、年金は子供が多ければ多いほど同じ保険料で加算給付が付くような社会保険制度は長期的に効果を生むだろう。大学は淘汰を前提に授業料の無料化をする。子育てに金がかからず、贅沢財としての子供の育ちに喜びを得、日本の将来につながっていく政策の中で、人々が子供を産むメリットを感じて行けるようにするのが妥当な政策だ。

 ふたりっ子家庭よ、さらば、多子家庭が金もかからず、将来の年金が多くなると、ソロバンをはじく人々が増えたなら、日本の経済政策も国際的地位も弾みがつく。

 

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人口問題に挑む(20) ナチとカースト

2022-12-13 09:47:09 | 社会問題

 エマニュエル・トッドの家族類型による人口歴史学の分析は、世界の事象を見事に分析してくれる。家族類型は直系重視か平等重視(兄弟姉妹の平等)か、男系主義か女性主義か、共同体主義か絶対核家族かによって7類型にされる。さすがのトッドも欧州以外の描写はいささか脆弱さを感じるので、この類型を金科玉条とはせず、論理の明快な部分を借りながら、筆者の論を進めたいと思う。

 共産主義は、権威主義的共同体家族のロシアで発展した。権威主義的直系家族の中国では今も共産主義が政体の根本だ。ベトナムも中国と同じ家族類型で共産主義を国是とする。共産主義に権威は必要なのだ。一方、フランスのような平等主義では共産主義はもたない。共産主義は平等主義を標榜するはずだが、上から下への権威が無ければ持続しないからだ。ただし、共産主義と相容れぬイギリスやアメリカのような絶対核家族が近代化の頂点と捉えるのは間違いであり、逆に、絶対的核家族は全ての家族類型の原型であって、そこから発展してきた。絶対的核家族は誰にも振り回されず革新的な方法を生み出す力があるだけだ。イデオロギーが産業革命や世界制覇を導いたのではない。

 文化的近代化の頂点は必ずしも核家族にあるのではなく、家族類型に女性を重視する観点が入っているかどうかで決まる。マレーシア、インドネシア、フィリピン、タイなどの母系社会は概して識字率が高く、出生率の低下が早く進んだ。南アメリカのインディオもそうだ。インドでは、概して、女性主義の見られる南インドが文化的に高く、中国と同様の権威主義的直系型の北インドは遅れる。南部のケララ州は血族結婚も女性主義も視られるが、識字率が高く、出生率の低下も早かった。相続に関して明らかに見られる女性主義は、母親の教育力を高め、識字率を上げる。これは、全世界的に真理である。

 中東が代表するイスラム圏ではアンチ女性主義であるゆえに、識字率が低く、同時に出生率が高いままだ。しかし、同じイスラム圏でもマレーシアやインドネシアは文化的女性主義が残っているので、識字率が高く出生率は低下している。翻って日本を考えると、トッドの分類では権威主義的直系型とされるが、武家社会とそれを引き継いだ明治民法が制度的に創った型であり、高群逸枝の研究によれば、その実は、母系社会であり、だからこそ、江戸時代以来の識字率の高さが近代化の要素となった。飲み屋の経営者をママと呼ぶ日本男性の表すマザコン社会は元来の文化であり、だからこそアジアで初めて近代化した国になったのである。

 さて。日本と同じく権威主義的直系家族に分類されるドイツでは女性主義ではなく人種差別主義にとらわれてナチズムを登場させた。ヒトラーは、ユダヤ人を排撃し、金髪青い目のゲルマン民族を増やすべく、女性を家庭に縛り付ける政策をとった。「家族とは女性を中心にすべきもの」「家族とは敵対する人種を作るもの」と幼少時から教え込まれていたら、学校や社会で出くわすイデオロギーよりも染みついた考えになることは必至だ。「家族の無謬性」を信じたドイツ人たちは、人種差別を受け入れ、ユダヤ人虐殺の歴史に加担した。当時の欧州が何よりも恐れていた「共産主義」よりも恐ろしい思想にとりつかれたのである。

 戦後、ドイツは自らの手でナチスハンターになって、南米などに逃亡したナチスの犯罪者を追いかけ裁判にかけた。今もなおユダヤ人への贖罪を続けている。日本は、自らの手ではなく、憲法、極東裁判、戦後の体制全てを戦勝国アメリカに任せ、社会を一変させられた。しかし、ドイツも日本も、権威主義的直系型の家族類型から脱したわけではない。日本では、核家族が増えたとはいえ、盆暮れの帰省、職場社会でのモラルは旧来の家族類型から伝来していることが明らかだ。ドイツは、少なくとも人種差別の払拭にはかなりの成功を得、ネオナチの登場などがあっても後戻りはあるまいと思われる。

 三千年の歴史を持つインドのカースト制度も人種差別の一種である。紀元前千年ころ侵入してきたアーリア人が先住民ドラビダ人を支配するための制度として使ったのがこの身分制度である。バラモン(僧侶)、クシャトリア(王侯貴族)、バイシャ(商人)、スードラ(奴隷)の基本四カーストに、その下のアンタッチャブル、あるいはマハトマ・ガンジーによって名づけられたハリジャンが存在し、長い歴史の中で職業と直結する構造が作られた。実際にはカーストはさらに数千に分かれていて、最下位には、汚物処理をするカーストがある。

 インド政府は身分制払拭のために「計画カースト政策」を始め多くのことをしてきたが、家族類型と同じく、また、それに張り付いた文化となっていて、容易に剝がすことはできない。イデオロギーや政策は変えることができても、家族の中にとりいれられ、長年醸成された文化は剥がすことができない。ロシアは、共産主義を捨てることはできたが、共産政権下で抑圧されていたロシア正教の復活を喜び、家庭と社会の文化である宗教を消し去ることはできなかったのである。中国も然りだ。文化大革命で消されたかに見えた儒教は復活し、今や政権の道具とすらなっているのだ。

 トッドのこれまでの分析が正しい予測を産んできたのは、家庭に根差した変えられない文化が最終的に世の中を動かすからなのだ。お父さんの権威が高い類型ならば、その社会はカリスマ的リーダーを待望し、受け入れよう。女性主義が観られる類型ならば、教育が行き届き、人権が守られよう。トッドは、ロシアの乳児死亡率の上昇を観てソ連の崩壊を予期し、白人労働者の平均寿命を観てトランプ大統領の登場を予期した。家庭におけるインシデント、家庭における無意識の思想教育が社会を変えていく、それがトッドの歴史人口学の基礎だ。

 では、日本は、何をナチ的なもの、つまり悪策を排除し、何をカーストの如く改革できない文化として受け入れていくのか。政治を家業とする連中を排除せよ。アメリカの戦略国際問題研究所の指示を仰ぐジョージタウングループを排除せよ。こんな奴らに政治や言論を私物化されていては、日本は第二の敗戦を経験する。では、改革できない文化は何か。ジェンダーギャップだ。この国では女は尊重されない、しかし、母は尊重される。それが近代化を成し遂げてきた。北条政子が御家人の賛同を得たのは、非業の死を遂げた二人の息子、病に倒れた娘の母親であったからだ。日本は、マザコン社会を前提に、頭の悪い世襲政治家を追い出すことから始め、国際社会に生き残ることをやらねばならない。トッドの理論はそれを教える。

 

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人口問題に挑む(19)イスラム教徒の人口増加

2022-12-05 11:55:01 | 社会問題

 筆者がユニセフ・インド事務所に奉職していたころ、担当の一つであるカシミール州は、よく知られるように、インドとパキスタンが領土をめぐって大英帝国からの独立以来係争してきた地である。中でもカシミール渓谷の地域はイスラム教徒(モスレム)が95%を占め、美しい地域が血で染められてきた。インドは大雑把に言うと、南の文化が高く、北は政治の中心である(ニューデリーは首都)が、最北端のモスレム地域は経済社会の指標が特に遅れた地域とされている。女性の識字率は低く、この地で筆者は、女性の所得獲得プログラムや、就学前児童(アンガワンディ)プログラム、ポリオ予防接種プログラムなどに取り組んだ。

 モスレムは北からやってきたアーリア人の集落であり、ヒマラヤ山脈の中で標高の高い地に住む人々であり、ユニセフのプログラムに参加する若い女性は色白で容貌の美しい人が多かった。この世のものとは思われないほどの美しい女性にも出会った。モスレムは、ある意味では家族と地域で保護されているとも言えるが、自由がなく家族の家畜のような存在でもあった。しかし、彼女たちは不満ではなかった。イスラム教を信ずる限り、集落共同体は彼女たちの囲い込まれた安堵感を保障するものであった。

 世界的には、他の文化と接触するモスレムの女性たちは、その権利のために戦う。サウジアラビアでは2018年になって初めて女性の車の運転が認められた。モスレム女性の社会進出は極めて低い。過去にはパキスタンのベナジール・ブットー首相(在任88-90、93-96)も出たが、インドやバングラデッシュなどと同様、元首相の娘でありセレブの出身で、ハーバード大学卒の才媛であった。例外にすぎない。タリバンに頭を撃ち抜かれ、奇跡的に助かったマララ・ユスフザイは女子教育推進の演説などで、ブットーにあやかろうと、ブットーのスカーフを身に着けていた。

 ユニセフ・インド事務所においても、カシミールは特に後進性の強い地域として、重点的にプログラムを推し進めていたが、モスレム共同体に変化をもたらすようなことは不可能に近かった。女子生徒が学校に来れるようにと造った便所も結局使われず、女子の教育を積極的に支える家族はいなかった。所得獲得プログラムで、刺繍やヤギの飼い方を学ぶと、いささかの金銭を得るが、こぞって「子供のために使う」と喜ぶ。「子供のためは分るけれど、たまには夫のために何か買ってやらないの」と意地悪に水を向けると、頬を赤らめ、筆者同行の郡政府の役人が「バスバス(やめて)。家族のことはタブーだから」と制止に入った。

 だから、彼女たちの家庭生活はどうなのか、男性上位の家族・共同体をどう考えているのかは、分からずじまいだった。現地の役人によれば、家族は拡大家族で、男兄弟は結婚しても一緒に住むと言う。その男兄弟の連帯で成り立っているのがモスレム共同体だそうだ。ただし、兄弟の父親の権威はなく、家族は縦型の構成ではなく、横型の構成なのだそうだ。ざっと理解すれば、若い男たちの共同体であり、親も嫁も付属物と言えようか。付属物と見做されている者から、あえて権利を主張することはないのである。

 しかし、世界の他の地域で、異文化と接しているモスレム女性たちは様々の形で「文化衝突」を起こしている。フランスの公立学校では、たびたび、モスレム女性のスカーフを禁じてきたが、学校側は訴訟に負けた。日本でも、これに類似して、エホバの証人という宗教団体が信奉する「輸血禁止」を強制した医師が敗訴している。幼い時から身に着けた文化、特に宗教文化は合理の名のもとに変えることはできない。命を懸けても守ろうとするのだから。戦前の日本で、デパート白木屋火災事件の時に、着物の下にパンツを履いていない女性がはしご車から降りるのをためらい、命を落としたのも、身に付いた習慣・文化が命までも奪うことを示している。

 モスレムは度々、欧米文化を近代文化の物差しと考える日本人にとって理解しがたいことをする。むち打ちの刑や、女性の不倫については石つぶてを投げて殺す刑がある。政治体制も、大統領の上に宗教指導者がいる構造を欧米文化からはおよそ理解できない。コーランに書かれていることは憲法より上にあり、絶対的に正しい。コーランの冒頭部分には、近親婚を禁じているが、兄弟の子供たち、つまり従兄妹の結婚は許されている。だから、その共同体は血族共同体である。これを何世代にもわたって実施されると、遺伝子上、知的障害などが出やすい。筆者はかつて子供のすべてが知的障害であるパキスタン人の家族について読んだことがあるが、「肺ジストマ菌の多い豚を食べない」合理性に比べると経験的に遺伝子障害を起こす婚姻を避けないのは、豚肉はコーランで禁止されているが、いとこ婚は単純にコーランで禁止されていないからだ。書かれていないことは何でもありだ。

 インドには当時から、アラブの男が嫁貰いに来ていた。幼児婚の習慣が残っている地域では、まだ幼い女の子が、貧しい良心に払われる持参金で売られていった。インドのヒンズー教では、結婚するときに、逆に、娘の家族が持参金を持っていかねばならないから、金を払ってくれるアラブ・モスレムは有難い存在になる。言うまでもなく人身売買であり、連れていかれる幼女の泣き声が切ない。また、ユニセフに応募したアラブ系の男が、妻は四人いるから四人分の赴任旅費を払えと主張して、採用を断られたことがある。彼の国では当たり前でも、国連機関は欧米文化によって運営されているのだから、受け入れられない。もっとも、モスレムは四人まで妻を持つことが許されていると言っても、カシミールでそうした家族に会ったことはないし、エマニュエル・トッドの著書によれば、モスレムで複数の妻を持つのは4%にとどまると言う。

 さて、我々には理解を超えるモスレム文化だが、その人口は増え続けている。2000年には13億人だったのが、2008年には16億人、そして2025年には20億人に達すると予測されている。その伸び率は驚異的で、2030年には世界のキリスト教を抜き、世界最大の宗教となる。そうなったときに、国際機関がなべて欧米文化、キリスト教文化によって支配されている中で、見直しを迫られないか。既に、この欄及びホームページのブログで、筆者は、ウクライナ戦争をきっかけに、欧米の民主主義絶対の価値が揺らぎ、共産主義を含む専制主義、ロシア正教など宗教の力がその揺さぶりをかけているのを否めないと書いた。さらに、ジェンダーギャップ、LGBTQなどはWEIRDという欧米の価値観を基礎にしたものであり、生命倫理についても、儒教などの倫理を含まない世界基準に疑問が投げかけられていることを述べた。

 図らずも、モスレムの人口増加が世界を変える可能性が出てきた。モスレムやアフリカやインディオなど、これまでに世界の基準になってこなかった地域の人口が増えることによって、我々の世界は変りうる。いいか悪いかは別として、人口問題は新たな境地を探求する必要がある。

 

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