大泉ひろこ特別連載

大泉ひろこ特別連載です。

人口問題に挑む(18)死と人口問題

2022-11-29 09:46:45 | 社会問題

 日本にとって人口問題とは、ずばり出生率の低迷である。しかし、人口統計が教えるところは、どれだけ生まれるか以上にどれだけ死ぬかも重要である。平均寿命、死因、男女差、地域比較などは多くの人が関心を持ち、その情報は人生に影響を与えている。「平均寿命に届かず死んだ」「人生百年時代」「老衰で大往生」「男は短命」は、日常的に聞かれる言葉だ。

 しかし、誰もが百歳まで生きられるわけではなく、それどころか平均寿命が保障されているわけではない。現に年に270万人近くも生まれた団塊の世代に最も近い人々が75歳に達する率は、2021年生命表によれば、男が約76%、女が約88%であり、つまり逆に男の24%、女の12%は既にこの世の人ではないのだ。団塊よりもひと世代近く上の人で、2021年に95歳に達した人の率は、男が約10%、女が約27%である。つくづく女性の寿命の長さを感じるとともに、実は長生きは今でもかなり難しいことがわかる。したがって、「人生百年時代」は極めて間違った情報を与えることになる。

 筆者が厚生省社会局老人福祉課に奉職していた1974年ころ、全国の百歳名簿は500人ほどであったが、今や9万人を超えた。驚くべき増加率に思われるが、そこに達するのは今でも極めて運のいい人に限られる。「人生百年時代」の政府のキャンペーンは年金の支給開始を遅らせたり、高齢者の医療費負担を引き上げるための方便ではないかと訝しく思われる。厚労省の研究などから、80歳以上では3人に1人、90歳以上では2人に1人が認知症であるとされている。また、認知症の有病率は75歳になると急激に増加する。だとすれば、人生百年時代は、特に後半において決して幸せとは限らない。百年間青年であり続けるような錯覚を起こす「百年時代」のキャンペーンは罪深いのだ。

 死因は、厚労省人口動態統計2021年によれば、ガン26.5%、心疾患14.9%、老衰10.6%、肺炎及び誤嚥性肺炎8.5%、脳血管疾患7.3%の順である。相変わらずがんが一位であるが、ガン患者の5年生存率が上がり、日本人に多い胃がんの手術などは全国どこでもできるようになり、かつてほどガンは恐れられていない。特に高齢者は、ガンの進行が遅いので、あえて手術せずに日常を送っている人もいる。二位の心臓病は欧米に比べ日本は少なく、特に女性は少ない。肺炎は近年、脳血管疾患を越して上位に挙がってきた疾患であるが、コロナ死もこれに入るのであろう。脳血管疾患については、戦前は結核の次に恐れられた「脳溢血」が減少し、後遺症は残るが治療向上の成果は著しい。

 死因に現代の国民病とされる糖尿病が入っていないが、糖尿病は心疾患、脳血管疾患、腎臓病の原因を作り、それらの病気を死因とするからであろう。高血圧も同様である。死因の統計には、以上の上位5疾患の次に腎不全と認知症も明確にされている。人は何かの病気を選んで死ななければならないが、ならば「老衰がいい」と考える人は多い。しかし、全体が衰弱して一つの原因ではないから、ひっくるめて老衰と言っているのであって、名誉の死とは言い難い。太平洋戦争における「戦死」は銃撃戦などで死亡したよりもはるかに多くが「餓死」「マラリア死」等によると言われていて、何が名誉の死なのかは、いつの世も不明だ。病気は選べぬ、押し頂くしかない。

 平均寿命は、男が81.47歳、女が87.57歳(2021年)。常に女性の方が高いが、最近その差が若干縮まりつつある。生まれるときは女1人に対し男は1.06人生まれるので、男の数が多いが、高齢になればなるほど女性の数が増えることになる。百歳以上は88.1%が女である。男女差については、諸説があり、女性は子供を産むときに出る黄体ホルモンが体を修繕してくれるからだと言う説、男性は女性より危険な状況の中で働く確率が高いとする説など、いずれも正しいと思われる。ただし、よく知られているように、人の手を借りずに生きられる健康寿命は、男72.14年、女74.79年(2016年)であり、男女差はぐんと縮まる。これは、女性は通院率も高く、有病息災の人生を送っているからだと説明される。男性は女性ほど健康に関心を持たないので、早死にするか矍鑠と生きるかの二極化しやすい。その結果、齢の近い夫婦では、夫が妻の介護をしているケースをよく見かける。

 男女の違いという意味では、ガンの部位に違いが表れている。男は、肺がんがトップ、女は、大腸がんがトップ。男女ともに胃がんが減り、膵臓がんが増えている。男性の前立腺がん、女性の乳がん等に関し、最近は男女差を考えたジェンダー医療の論文が増えてきている。女性が男性よりも長生きするのは世界的な傾向であるが、生物的差異の研究は、男女別の効率的な健康方法の発見にもつながり、ジェンダー医療の発展は望まれる。そのことは出生率低下の社会的意味ならぬ生物的意味の追求にもつながり、研究の必要性は高い。ただし、長生きを是とするのであれば、幸福感を伴わない長生きは決して進められるべきものではなく、医学・医療にも価値観が入って来るのは否めない。

 筆者は、選挙活動をしているころ、農村部で多くの「幸福感のある長生き」女性に会った。「大病したことがない、風邪もひかない」人々で、90歳を超えても「草取りだけは止めない」と自分の仕事を作り、お茶を飲む仲間がいる明るいおばあさんたちだ。他方で、「膝が痛い、腰が痛い。だから、何もできない」と嘆き続けるおばあさんもいる。おじいさんは概して農作業などやることを見つけ、自分の作った農産物を自慢する。他方で、糖尿病で日がな一日縁側に座りっぱなしの退屈なおじいさんもいる。また、都会部では、夫婦ともに通院が仕事で、昔の成功体験の話が延々と続く。昔の恨みと若い人への苦言が多い。

 人口ピラミッドの上部についてあえて政策を考えるならば、「人生百年時代」は止めた方がいい。早く言えば、それは長すぎるし幸せ感をもたらさない。数値目標で生きる人生ではなく、「やること」を見つけられる人生が誰にとっても幸せ感につながる。いくつになっても雇用を含む社会参加の場を提供することが高齢者、つまり人口上層部の質を確保する。人口政策とは、出生と死亡の動態をどう対処するかの問題ではなく、新しい命を人口置換率に近い数で迎え、高齢人口が幸せ感を増すための経済社会を作ることである。今となっても、人口政策イコール少子化政策イコール保育所整備しか考えない政治と社会の認識を変えねばならない。

 

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人口問題に挑む(17)子だくさんの歴史上人物

2022-11-22 09:47:05 | 社会問題

 合計得出生率1.3の日本では、子供は一人か二人の核家族が典型で、さまざまの家族類型によるダイナミズムは見られない。殆どの人は上の子、下の子の関係だけで成長する。戦前は、政府が産めよ増やせよを閣議決定までして(1941年)、一家族平均5人の子供を奨励していた。無論、乳幼児死亡率が現在よりはるかに高かったから、夭折も多く、全員が成人したわけではない。しかし、幼い兄弟の死や、年長の子供が下の子を世話することや、家事労働を負担させられることなどで、今の子供とは全く違った家族生活が行われていた。

 筆者が知る中では、女ばかりの7人姉妹、8人姉妹もある。戦前ならばその母親は女腹と言われ、男の子つまり跡継ぎを産めないのは非難された。まして子供が生まれなければ、嫁して三年子無きは去ると言われ、離婚の原因になり、女のせいにばかりされた。直系権威主義型家族の日本は、長男跡取りが家庭内で特別な地位を持ち、おかずも父親と長男だけが尾頭付きの魚、あとの人間には納豆とおしんこだけということが毎日行われていた。今はそれはない。少ない子供だから、男も女も平等に教育を受け、玩具も服も平等に分け与えられるようになっている。

 今の時代でも、多子家庭がテレビなどで紹介されることがある。食事の量や雑魚寝の凄まじさは好意的に伝えられるが、両親の価値観については語られることはない。宗教に関わるのか、独自の考えがあって一般家庭と異なる選択をしたのか。少なくとも現代日本では、多子家庭の選択には独自の価値観が存在し、主体的な行動に基づいているはずだ。政府がいかに少子社会を嘆いても、産めよ増やせよの価値は押し付けられないからだ。

 かつての身分制社会では、跡取りは家族の最も重要な課題であった。特に高い身分を継承するのは血統だけが正当性を与える。正室と直系にこだわれば、数学的にも跡取りが絶えるのは自明であり、そのために、側室や養子の制度ができた。日本のみならず、全世界的に共通だ。ただ、養子については、イギリスでは、貴族の称号だけは養子に相続できないことになっていて、日本の方が緩やかにできていた。

 古来から、血統を絶やさぬために、王侯貴族はハーレムをつくり、多くの子供を設けようと努力をした。最も古い話では、紀元前13世紀のエジプトの王ラムセス二世だ。エジプトの絶頂期を作ったラムセス二世は66年にわたる治世で戦った敵ヒッタイトと和平条約を結んだことで知られる。その勇敢さと外交は石碑に残され、大王の名をほしいままにした。そして、もう一つ残したのは百人の子供である。生物学者によれば、年数と女性の数を確保すれば百人の子供を持つことは十分に可能だそうだ。その子供の中には、考古学者として歴史に名を遺したものもいる。

 孔子に何人の子がいたかは分らないが、現在その子孫を名乗る人は世界に200万人と言う(諸説がある)。台湾在住の直系子孫は79代目である。2500年も前の人の子孫だから、DNA上も関係ないと言えるのだが、その系譜は記録され、何回も改訂されている。孔子は家族の序列を定めた人だから、子孫が系譜を大切にするのも道理だろう。たいていの中国人は先祖から伝わる系譜を持っているが、たいていの日本人は三代前の先祖すらわからない場合が多い。この違いは何であろうか。どちらにせよ、孔子は子宝ならぬ子孫宝に恵まれた人だ。

 18世紀、オーストリアはハプスブルグ家の女帝、マリア・テレジアは16人の子持ちであった。その一人がフランス革命に処刑されたマリー・アントワネット王妃である。帝位継承権を持つマリア・テレジアは初恋の人と結婚し、貴族出身の夫フランツを神聖ローマ帝国の皇帝にし、死後帝位を継承した。子供たちを政略結婚に使ったが、マリア・テレジアは夫の死後、死ぬまで喪服で通すほど、夫を愛した女帝であった。

 19世紀、大英帝国を築いたビクトリア女王は9人の子持ち。この人も夫を愛した人で、夫が41歳で亡くなると10年も立ち直れなかったと言われている。夫がもっと長生きすれば子供ももっと多かったかもしれない。最近亡くなったエリザベス二世も夫フィリップ殿下に恋をしたことで有名で、欧州の王侯は夫への愛と子だくさんが一致している。女性は愛が無ければ子供を産まない?かもしれない。

 さて、日本の歴史上人物の子だくさんは誰か。筆頭は、18世紀から19世紀にかけての第11代将軍徳川家斉だろう。子供は56人である。徳川家斉は御三卿のひとつ一橋家の出身で、子供時代に生き物を惨殺するなどの逸話が残っている。彼は、松平定信を老中に引き上げたが、のちに関係が悪くなり、松平は徳川幕府の財政改革などに取り組んでいたが挫折した。家斉は、贅沢三昧の上、一説によれば40人の側室を抱え、多くの子供を設け大奥の財政だけでも放漫になり、江戸幕府を傾けさせた人物である。16代にわたる将軍で実子の跡継ぎができなかったケースは多く、その意味では、家斉は「がんばった」と言えようが、幕藩体制を崩壊に導いた一人でもある。その子第12代将軍の家慶も27人の子を設けたが、成人したのは一人だけだった。

 明治天皇は五男十女に恵まれたが、成人した男子は後の大正天皇一人だった。昭憲皇后との間には子供はいない。すべて側室の子である。世襲で身分や職業を継いでいくことは大変難しい。現代のように、乳幼児死亡率がゼロに近くなっても、一夫一妻や不妊などは子孫を残す壁であり、これはモラルの壁であるから破ることは甘受されない。身分制を憲法上禁じた現今では、実態として残る世襲は例外として、試験制度や学歴が職業や文化の継承者を決めていくことになっている。

 子供を持つ理由が身分の継承でもなく、家業を継ぐためでもなく、老後の保障でもなくなった今日、子供は育てて楽しむ「贅沢財」と化した。かつては生産財であり、親の所有物でもあったが、その経済的意味、社会的意味は失われた。欧米では、子供はもとより所有物ではなく、未熟な大人であって育てる義務が親にあるものである。言い換えればこれも贅沢財と定義できよう。日本の若者が「受験で青春を奪われ、就活で人並みになることを学び、給料は安く年金ももらえるかどうかわからない」とぼやき、子供を持つ贅沢はできないと考える世の中になってしまった。誰も、歴史上の子だくさんの人物が羨ましいとは思わず、むしろ否定的にとらえる人の方が多いのではないか。

 

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人口問題に挑む(16) 権威主義型家族、東の日本、西のドイツ

2022-11-15 10:35:49 | 社会問題

 先日、歴史人口学者エマニュエル・トッドと、橋下徹、木村太郎が討論するテレビ番組があった。弁護士で三段論法の土俵に相手を引きずり込み討論を制覇する橋本と、異なる角度を提供する国際派ジャーナリスト木村だが、日本の核武装を含む提案をするトッドに対し、両者とも、トッドは日本を知らないと言い、橋本は「人口分析だけで決めるべきではない」と発言した。筆者はこれらの発言にいささか失望した。法律家は定義された語彙で世界を見、ジャーナリストは目で見た経験で世界を語る。これに対して、学者は考え方の構造を提供するのだ。法律家もジャーナリストも「根」が弱く、学者は現実離れする可能性がある。しかし、不確実の21世紀の未来を語る時、目の前にある現実よりも、世界の構造を見る方が重要なのだ。

 エマニュエル・トッドは言わずと知れたユバル・ノア・ハラリと並ぶ知の巨人だ。彼はそう呼ばれたいと思う人間ではないが、家族の類型が人口に与えた影響を研究し、出生率や死亡率を駆使して、世界を「説明」してきた。その研究成果の一部がソ連の崩壊、トランプ大統領の登場を予言したことによって、世界に人口歴史学の精髄を知らしめた。ハラリが人類通史と言う観点から新たな歴史観を提供したように、トッドは政治史、経済史、文化史のような切り取られた歴史ではなく、その根底にある家族類型に着目して、新たな観点をもたらした。

 イギリスはいち早く都市化、貨幣経済化し、産業革命に成功した先進の国であり、その結果、世界制覇を遂げたというのがオーソドックスな歴史教科書だが、トッドは異論を唱える。確かに、産業革命は一番先にイギリスで起こった。しかし、それはイギリスが他の欧州諸国に比べ先進的だったからではないと主張する。1850年ころの識字率は、北欧、ドイツが高く、イギリスではスコットランドは高いがイングランドは中程度、フランスなど以南のラテン諸国は低かった。イギリスは当時、文化的に勝っていなかったのだ。

 この識字率の分布は、ドイツ、北欧、スコットランドなどの権威主義型家族、イギリス・イングランドなどの絶対核家族、フランスなどの平等主義家族の類型に一致するとトッドは言う。権威主義型家族は直系重視で、親が子供の教育に力を入れる。対して、フランス、スペイン、ポルトガルなどは親子も平等関係で、教育には関心がない。イギリスのイングランドはその中間で、スコットランドから伝わってきた識字率の影響を受け、核家族においてそこそこに子供の教育をする。トッドは、イギリスが文化的に優れていたから産業革命を興したのではないと断言する。それから百数十年後には、ドイツがイギリスを抜き、経済的には欧州一となるのも、文化的な優秀さが持続したからである。

 この理論は、マックス・ウェーバーがプロテスタンティズムの倫理を評する中で、カトリック国の後進性、プロテスタント国の先進性を説き、ルターによって宗教改革を開始したドイツや、ローマ教皇と縁を切って英国国教会を創設したイギリスが欧州の発展を背負ってきたという定説に合致しない。遅れているのは何でもかんでもカトリックが悪いとの認識は、イギリスとドイツが異なるスタンスであることを説明できない。しかし、トッドの理論では矛盾もしない。権威主義型家族や絶対核家族は、ラテン系平等主義のようにノホホンと生きず、新教を受け入れる素地があったと言うのだ。

 トッドが、欧州以外で権威主義的家族の類型に入るのは、日本と韓国であると指摘している。そして、この家族類型がドイツと同じく、発展の原動力となったと言う。識字率についていえば、日本では、江戸時代でも寺子屋や藩校の存在で高く、明治以降は義務教育に力を入れ、第二次世界大戦直後にはほぼ百パーセントまでに達している。GHQが一時期、日本を英語国にしようとの案もあったが、これを断念したのは、日本の識字率の高さであった。ただし、韓国は日韓合併の1910年ころには識字率が極めて低く、字が読めるのは両班(ヤンパン、貴族)の特権であった。日本は統治政策の中で、簡便なハングル文字を推奨し、識字率向上に成果を挙げた。

 トッドの理論の説明力はアジアも含め普遍的であり、だからこそトッドが重宝されるのであるが、日本では歴史人口学の研究者が少なく、最近亡くなった速水融慶大教授くらいしか思い浮かばない。トッドは日本に関心を持ち、最近は日本の政治にさまざまの意見を述べているが、持論の日本は核武装すべきを始め「アメリカに追随するのはもうやめたらどうか」という趣旨を繰り返し伝えている。ここは、フランス人らしい。フランスは、イギリスが嫌いだし、アメリカが嫌いだから。しかし、彼が家族の類型論を始めたのは、イギリス・オックスフォード大学留学時の指導教官の影響であり、もともと数学に傾倒していた左翼でもあったが、今はそれを捨てている。「元左翼」は革新的な仕事をするが、「現在左翼」は金太郎飴に同じ、「現在保守」は既得権居士に同じ、日本政治を見ればそのとおりだろう。だから、トッドの意見を聴くとよい。

 ただし、ならば権威主義的家族が勝利を続けるかと言えばそうではないだろう。日本は今、G7最貧国となり、経済成長率を含めた世界順位は下がる一方である。ドイツも、メルケル時代はEUを制覇し、欧州の一強であったが、今やインフレ率10%、ロシアや中国寄りの経済政策を推し進めてきたおかげで、ウクライナ戦争と米中対立の中で、最も打撃を受けている。これから堂々と欧州一であり続けるか不明だ。ウクライナ戦争に関しても、アジアやアフリカの国々が決して欧米主導の「民主主義に理あり」を賛同していないことを鑑みると、欧米中心の家族類型だけではなく、アジアやアフリカの家族類型から読み解く未来が語られねばならない。母系社会でありLGBTの多いタイや複数婚社会アフリカで起こっている事象をトッドが語る日が来ることを期待している。

 正確に記すと日本は直系権威主義かつ双務型家族であり、長子相続を基本とする。双務は母方も重視する意味で、インドや中国はないが日本にあるのは、婿取り婚である。この欄で高群逸枝の紹介をしたが、そもそもは日本は高群の言う母系社会であった名残である。また、戦後、長男相続からGHQによって均分相続に変えられ、そのことが相続を難しくしている。家族の平等をもたらそうとした当のアメリカは、圧倒的に遺言による相続であり、アメリカもイギリスと同じく絶対核家族の類型であるが、直系権威主義類型の日本に相続の平等という「禍」をもたらしたのは知らぬが故の業であろう。トッドが指摘するように、日米同盟は抜け難いが、社会の制度は日本文化に沿った形で考え直してもいいのではないか。ただし、右傾化は拒否しよう。人口政策も日本の家族類型にかなう「サステイナブル発展とは、子孫を繁栄させること」を社会に浸透させることに尽きる。

 

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人口問題に挑む(15)生産年齢人口の「安全保障」

2022-11-08 09:32:25 | 社会問題

 岸田内閣で初めて経済安全保障の担当大臣が登場したが、アメリカでは、経済安全保障は、米中対立を通して、サプライチェーンや知的財産権の問題等強く意識されてきた。特にコロナ以降はトランプ大統領が「武漢ウィルス」と呼んで、戦争と同様、国の安全保障には経済を破滅させる要因に対する安全保障が含まれることを示唆してきた。日本は、今だにアメリカの「真似っこ漫才」にすぎず、まだ経済安全保障大臣の出番は見えてこない。

 しかし、ウクライナ侵攻、コロナ蔓延は、さすがに平和ボケで斜陽ボケの日本も、台湾有事に至るかもしれない安全保障と、中国との強い経済関係やロシアのエネルギー問題による経済安全保障を意識せざるを得なくなった。日本の経済安全保障は、特に、日本が国連でイニシアチブをとった人間安全保障(Human security)の意味も強いが、物価高と実質賃金の低下で生活防衛の必要性も高まった。

 「我々は一体どこへ行く?」。政治はそれに応えていない。防衛予算の倍増や電気料金の援助は一時しのぎの対症療法であり、日本には根の深い病巣があることを忘れている。それは、人口減少社会において、生産年齢人口が減っていることだ。生産年齢人口とは、社会の歯車に乗ってあくせくと働く労働者だけを考えてはいけない。新しい産業を生み出す力もこの人口層が主役なのである。リ・スキリングによって、デジタル人間を作るのだけが政策ではバケツの中の一滴に終わる。生産年齢人口を一定に保ち、理系の人間を将来にわたって増やさねば、この国の斜陽はさらに日没までに達するであろう。

 安全保障、経済安全保障に加え、必要なのは生産年齢の確保、つまり「生産年齢安全保障」だ。低下傾向の生産年齢人口を一定に保つ、将来にわたってその質を保つための安全保障が必要だ。具体的には、リ・スキリング以上に、高度な技術を持った人口の移入、高等教育における理系増加と専門教育の徹底が図られなければならない。日本の若年層が置かれている状況は、幼いころから始まる受験教育と大学に入れば就活のハードルを越える人生が常道だ。「数学ができないから文系、目の前のハードル越えのために自分のやりたいことを見つける余裕がない」のが常道であるとすれば、ノーベル賞はおろか、ベンチャー企業も期待できない人材の輩出マシーン化しているのが今の大学だ。

 コロナ禍で、中国のサプライチェーンが滞り、日本の製造業に打撃を与えた。かつては半導体王国だった日本が、半導体不足のために稼ぎ手の自動車産業すら生産台数を減らすしかない状況に陥った。85年プラザ合意がもたらした円高は、生産拠点を海外に移し、日本は資本収支だけ黒字の産業空洞化の国にしてきた。先進国の中で二次産業が突出して多かった日本は、遅れていると言われ続け、三次産業への移行を促進してきたのだが、今となれば、その政策は仇となった。自国で供給できないのは、農産物だけではなく、工業生産物にまで及んだのだ。どうする?海外拠点を呼び戻すのか?それが経済安全保障担当大臣の仕事になるのか?

 一次産業の立て直しは「百年河清を俟つ」の政策不在、二次産業は海外に取って代わられ、では、日本は三次産業で繫栄できる見込みはあるのか。確かにアメリカは製造業からは退き、三次産業華々しい国だ。IT産業もバイオ産業も金融業もトップであり続けた。日本はそのいずれにも敗れてきた。もはや中国にもかなわない。コロナで明らかになったのは、創薬研究、即ちバイオ産業が立ち遅れ、ひたすらアメリカ製のワクチンを買い続けるしかなかった。唯一誇れるのはアニメ産業だけであり、「学問」産業はどうなのだ。テレビのコメンテーターが、学究の専門家ではなく、スポーツ選手や吉本興業に占められているのは、第三次産業の質を問われても仕方あるまい。

 政治も第三次産業に該当するだろう。世襲議員にせよ、政治塾出身にせよ、地方からの成り上がりにせよ、与野党を問わずその見識の低さはあきれるばかりだ。彼らの発言の根底にあるのは「選挙」「損か得か」だ。政党間の討論番組はレベルが低すぎ、専門家討論の番組とは比較にならない。彼らこそリ・スキリングすべきだ。それでも、国民の代表は国民の目線で選ぶべきと言うのなら、衆議院は三回当選まで、参議院は二回当選まで、ついでに首長は二回当選までとし、より多くの人が代表となれるように、また任期の期間に仕事を完成させるようにすれば、民主主義も政治効率も向上するはずだ。首相も公選し、立法府が行政府の下にあるような議員内閣制を辞めるべきだ。

 アメリカは、第三次産業が繫栄しているが、第二次産業の衰えにより、理系人材を外に求める傾向がある。インドのIT人材は無論だが、アメリカの留学生の中でもインド系、中国系が理数に強く、アメリカの人材の宝庫となっている。日本はこれを習わねばならない。IQでは理系が文系より上でも、社会に出ると文系の方が出世し、理系は工場長どまりのような組織が長らく続いてきたが、これからの社会では、遊びとアルバイトと就活で単位の取れる文系学生の集団では役に立たない。博士号を持つ人材の積極採用を始め、ベンチャーに立ち向かう人材を使っていくべきだ。

 ただし、高等教育の改革から人口の質を変えていくには時間がかかる。だから、明治時代のお雇い外国人ではないが、大量の理系技術者の移入を促進すべきである。アメリカではなく日本で働くメリットを報酬や住宅やさまざまの分野で設けることも必要だ。不法滞在者の施設での死亡事故から、国連の改善勧告を受けるなんてのは日本の恥だ。コロナやウクライナ侵攻で思い知った日本ガラパゴス島から脱するときなのだ。一定の生産年齢人口を維持できない日本になれば、日本はガラパゴス島の原始人になるだけであり、江戸時代の鎖国で、身長が低くなり出っ歯が増えたのと同じように、奇妙な姿の「元先進国」になってしまうだろう。

 聞けば、インドではIT技術者にも余剰があると言う。また、日本が主導するアフリカ会議(T-CAD)のアフリカ援助は低下しているが、中国のアグレッシブなアフリカ援助に対し、日本はソフトを使った本当にアフリカのためになる援助をするとの趣旨を全うするために、アフリカの人材を育て日本に迎えることも考えるべきだ。アフリカではまだ人口革命が起きていない。人口は増えるばかりである。教育を通して日本で働ける人々を考慮するのも一つの手だ。21世紀はインドとアフリカが最大の生産年齢人口を持つ国になるのだから。

 安全保障、経済安全保障の次に、生産年齢安全保障を筆者は改めて提言する。即効薬として移民を、長期的安定のために高等教育の改革を、そして、もう一つ、学齢を下げて卒業年次を下げ、結婚数を増やすことをやっていかねばならない。

 

 

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人口問題に挑戦する(14)こんな国に誰がした

2022-11-01 10:03:53 | 社会問題

 岸田首相はさぞがっかりしていることだろう。財務省を抑え込んでコロナ対策の予備費4兆円を上乗せし30兆円近い補正予算を打ち上げたのに支持率は上がらない。人々は年金額が下がっていくことも、年寄りの医療費負担が上がっていくことも知っている。国家予算の三割が借金であることも国民の共有した情報であり、ましてこの時期に消費税引き上げの必要性が政府内部で語られていることも多くの人は知っている。だから、この補正予算は国民のさらなる不安を掻き立てているのだ。国民は目の前の電気代補助よりも、今後の不安を取り除く方法を待ち望んでいる。

 この補正予算の中で、新しい資本主義として、学び直しと出産した女性に一律十万円の支給が入っている。学び直しは人口の質に関するもの、出産給付は人口の量に関するものだから、まったく人口政策を無視しているわけではないということか。人口政策の効果は、他のさまざまの政策に比して最も時間のかかるものだから、評価は難しいはず。しかし、「この程度の内容」が効果的であるとはどの経済学者も言うまい。労働者のリ・スキリング(学び直し)は労働流動性の低い日本でどれだけ効果を呼ぶのか、三割に達している非正規労働者はどうするのか。人口問題から見た長期的効果を狙うならば、むしろ高等教育改革で人口の質を変え、出産の時期と動機につながる政策で人口の量を変えねばならない。

 岸田首相も日本人、だから日本社会の同調圧力に抵抗できない。外のオープンエアではマスクは不要と厚労省が言ったって、日本人はマスクをやめない。みんながやめないからだ。物価高に不平を言う人々に同調して補助金を作り出したが、これは一時的であり、傷口にヨードチンキを塗るようなもので、中の骨折には役立たない。1985年のプラザ合意以来、円高を背景に当時は安かった中国への生産拠点の移転と積極的な海外投資が、国内産業をないがしろにしてきた。割高の日本製品を日本人自身が買わなくなり、国内産業の縮小がアメリカのようなレイオフではなく、雇用の継続をしつつ賃金を上げない方法をとってきた。同時に、経済効率のため非正規を増やし続けてもきた。

 苦しい、苦しい家計で、結婚も出産もままならなくなった。戦前に帰ったのだ。「月給九円(食えん)」と言っていた時代に。こんな日本に誰がしたと言えば、90年のバブル崩壊以降の政治が招いたと言わざるを得ない。ただ、マクロ的に見れば、多産多死から少産少死に社会が変化したのであり、生産年齢人口が減り、高齢者の医療と年金の負担が増大し、誰が政治をやってもこうなるのは仕方がないという見方もあるかもしれない。しかし、同じ先進国でも、欧州は出生率1.8くらいに対し、日本は1.4前後で推移したきた。GDPの伸びも、アメリカ、中国は言うに及ばず、日本は欧州にも負けている。やはり、政治の失敗は明らかではないか。

 日本は国内産業回帰をしなければならぬし、その産業に関わる生産年齢人口の維持が必要である。長期的には、国内投資と「人口づくり」が日本の構造を変える。成長構造につながる。それには時間がかかるから、高齢者の雇用、女性の社会進出、スキルを持つ外国人労働者の導入から始めなければならない。福祉のみで教育を除外した中途半端なこども庁よりも、老人雇用庁の方がよっぽど必要だ。また、今頃になって、国内で不足のIT人材をインドに求めているが、若年労働者の層が厚いインドの人口をもっと規模的に大にして獲得すべきである。人口が増え続けるアフリカに教育のソフトパワーを送り、近い将来の日本に、育てあがった人材を迎え入れる構想も必要だ。

 70代前半までの高齢者は働きたいが、適切な仕事が見つからない。女性はもっと上を目指したいが、ジェンダーギャップ世界120位の「女性差別社会」で、そこそこの仕事をしてあきらめざるを得ない。外国人労働の導入は日本社会の同調傾向を壊す。しかし、国際的に見れば、これらへの対策は、好ましいかぎりである。超高齢社会の日本が率先して「高齢者の働き方と職種」を世界に披瀝し、日本女性が歴史上初めて真の平等に近づき、外国人に学ぶ同調拒否の姿勢がイノベーションを引き起こす。日本の起死回生は始まる。その間、長きにわたる人口政策に勤しむ。

 筆者の人口政策についてはこの欄でも既述したので、簡単に、学齢引き下げ、高等教育改革と無料化の項目だけを挙げておく。人口政策は、経済政策の裏打ちである。一定の人口規模の基に経済政策が成り立つのであって、人口構造を考慮しない経済政策はあり得ない。同時に、外交も、かつては間接的に中国の安い労働力を使ってきたが、中国の生産年齢人口が縮小し始めるにあたって、利用できる人口はインドやアフリカにあることを念頭に置かねばならない。安全保障、食糧安全保障の次には、生産年齢人口保障を国の政策として掲げなければならない。アメリカ発のグローバリゼーションではなく、人口政策のためのグローバリゼーションを目指さねばならない。

 人口政策を進めていくと、障害にぶち当たる。コロナのような感染症パンデミックや気候変動が生命維持に立ちはだかるのである。また、精神病、発達障害、自閉症、認知症など心の病が増加し、人口の質を落とすことである。さらには、ウクライナ戦争のように、思わぬ紛争に日本も巻き込まれるかもしれない。人口の量と質に関わるこれらの国際的課題は、まさに人類が叡智を以て解決策に挑んでいる。日本は、明らかにコロナの研究と対策は出遅れたが、海洋を応用した気候変動の学問、世界一の高齢社会における認知症への危機感が大きな役割をもたらしていると言える。日本は、気候変動や認知症などの解決策を世界に先んじて示すようでありたい。人口政策とは、国の経済力と国際地位、そして国際的課題の解決能力の三者を含む政策であると考えられる。人口政策は社会保障の維持や生産能力だけの矮小な問題ではないのである。

 人口減少の進む経済社会の失敗をもたらした日本にしたのは誰だ。政治の失敗だとしても、民主主義によって選ばれた政治家の集団のなせるサボタージュであり、とりもなおさず、投票した我々国民の責任なのである。

 

 

 

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