大泉ひろこ特別連載

大泉ひろこ特別連載です。

第25話 新たな出発

2014-03-31 10:33:59 | インポート

 2001年1月6日、橋本元総理懸案の省庁再編が実現した。この再編は誰も喜んではいなかった。政治家にとっては、行政改革の要である財政効果は期待できず、官僚にとっては、局・課の減少により、部下なしの独立官職が増えて窓際族が増えた。地方公共団体は何処に問い合わせすべきか迷い、巨大官庁となった合併後の省では、決定が遅くなった。

 かつて第一銀行と勧業銀行が合併し第一勧業銀行になって以来、人事部は長期間二つあったと言われる。合併した官庁でも同様に、人事課長と参事官を置き、夫々の省の人事を別々に行った。一人だけとなる事務次官は夫々の省が交互に出すのが当たり前になった。縄張り意識と「うちの会社」意識の強い各省の職員はアイデンティティ危機にも陥った。親睦会やOB会は出身省別に組織された。

 厚生労働省でも、コーセーショー出身が「労働組合と酒ばかり飲んできた労働省と付き合うのは御免だ」と言えば、労働省出身が「おとなしくて大蔵省言いなりの村社会と付き合うのは退屈だ」と言った。コーセーショーは1970年の団塊世代採用に当たって、当時力を持っていた明智人事課長が「おとなしさからの脱却と競争するキャリア」を目指して新たな省風を作り出そうとしたが、団塊世代以降は、一様に賢くソツのないのが特徴で、期待した「剛の者」は出現しなかった。世の中も、戦後世代に「剛の者」を求める風潮はなかった。

 戦後コーセーショーの剛の者とあえて言えば、医療費抑制に取り組んだ村岡次官と収賄事件で失脚した中谷次官であろう。しかし、その後は個性の強い人物は登場せず、労働省との合併で事務的にやたらに忙しい無味乾燥の省になっていった。それは、霞が関全体にも当てはまる。21世紀に入って、政治家の「政治主導」がやたらに叫ばれるようになったが、官僚たちは、政治家の下手な主導を冷笑しながら、戦いを避ける傾向が出来上がっていた。大量生産・大量消費時代の教育と文化を身に着けた団塊世代官僚の限界であった。

 鬼頭次官は、後継者を八木にしようと試みたが、労働省出身者の間で八木の評判がことさらに悪く、諦めて八木を社会保険庁長官に据えた。社会保険の職員組合は、団交で、「超過勤務のルール厳守、適切人事を乱さないこと」などを八木に署名させ、八木の手足を縛った。「結局俺は仕事をしてはいけない、人事も勝手にできないということか・・・」。血の気の多い八木は、ここに来て初めて歴代の長官が坐り心地の悪い椅子にただ座らされてきた事実を知ったのである。「見てろよ、そのうちに・・・」。八木は、出っ歯の歯を剥いて、悔しがった。

 2001年、小泉純一郎元厚生大臣が総理大臣に就任した。厚生大臣経験者で総理になったのは、鈴木善幸、橋本龍太郎に次いで三人目であった。小泉はその颯爽とした風情に加え、決断は速く官僚を信頼したので、コーセーショーでは人気があった。しかし、小泉はもともと大蔵族であり、その後の小泉改革において、医療保険・介護保険の改革は財務省ベースで進んでいくことになった。「痛みを伴う構造改革」を標榜し、大統領的手法で次々に財政再建の手を打っていく小泉総理に厚労省は後追いするしかなかった。

 その翌年、鬼頭は省庁再編で長くなった自己の事務次官職を退任するにあたって、熟慮の末、松田を財政問題の改革が進む保険局長に、竹林を2004年に予定されている年金改革を担う年金局長に当てる人事をほぼ決めていた。しかし、横やりが入った。自民党の香山利三である。娘美津との縁談を無下に断った松田の昇格はならぬと主張した。

 松田は鬼頭に呼ばれる。「来るものが来たぞ、松田君。香山先生が君の人事はまかりならぬ、と」「私は、もうこれ以上務めるつもりはありませんから、どうでもいいです」「どうして、君はそう変にクールな人間なのだ」「桜井も昨年出馬を辞め、今は障碍児のための共同ホームづくりをやっています。彼に感化されました。私も、次の人生を決めました」「何をするのか」「辞めるまで話しません」「だが、今辞めてもらっては困る。八木が社会保険庁の職員組合といちいち軋轢を起こしているので、君に代わってもらいたい。社会保険庁長官なら、香山先生も何も言うまい」「何もしなければ良く、何かをすれば組合に噛みつかれる、そんな椅子に座りたくないです」。

 「頼む。私がお前に頼むと言ったのは人生初めてだぞ」「確かに・・・私は、今まで絶対に鬼頭次官の言うことは聞きませんでしたから」「君が引き受ければ君にも平和が訪れるよ。役人生活の最期をゆっくりと過ごしたまえ。そうそう、香山先生の娘もようやく結婚したそうだから、もう邪魔は入らないよ」「リストカットはやはり芝居だったんですね。だから、私は、ますます女が嫌いになる」。

 

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第24話 21世紀

2014-03-28 10:29:33 | インポート

 2000年12月、森改造内閣で連立を組む公明党坂口力が厚生大臣に任命された。翌2001年1月に予定されている省庁再編でも、初代の厚生労働大臣になる予定であった。「桜井、君にとってチャンスだよ。次の大臣は君だ。保護主義を貫かねばならない分野があることは僕も否定はしない。だから、頑張れよ」。松田は、桜井の肩を叩いた。

 「僕は、今年、三期目の選挙があるんだが、出ないことにしたんだ」「えーっ、なぜ。せっかく自公政権で与党になったのに」「僕は違う形で頑張りたい」「違う形って、何だ」「障碍児のための施設を作ろうと思っているんだ」「だって、今、我が省の政策は、脱施設だぜ。介護以外の施設なんか新たに作れないよ」「分かっているよ。法律に基づいた施設というより、障碍児を持つ親が集まって、寄付金を募って、障害基礎年金だけで一生過ごせる共同ホームを作るんだ」「そう・・・か」。

 「なあ、松田。1970年、我々ピカピカの社会人一年生の時、21世紀なんか遠い将来だと思っていたよな。今、我々は21世紀に住んでいる」「我々は50台。役人人生の最終コーナーにいる」「総勢20人いた我々は、僕のように新たな道を見つけて辞めたのもいるし、梅野みたいに死んでしまったのもいるし、ああ、そういえば、精神病にかかった林は自殺したっけな。今、本省に残っているのは君と竹林だけだ」「空しいと言えば空しい」「そして、来年早々我が省は消えて、厚生労働省になる。つまり、紛れもなく区切りを迎えたんだよ。だから・・・」「だから、君はまた新たな人生に挑もうとしているのか。羨ましいな。君みたいに、いつも新たな道を見つけられる人は。僕なんか、モグラみたいにずっと土中にいて、穴掘っていたみたいな人間だ」。

 「ははは。うまいことを言うなあ。君は、介護保険制度という、すごい穴を掘ったではないか」「介護保険は、介護に苦しむ家庭を救うのが表向きの理由だが、裏では、病気が治ったのに帰る自宅のない社会的入院の受け皿を作ること、措置制度では資産のある人から利用料をとれない矛盾を是正すること、むしろこの二つに大きな意味があるんだ。つまり、長年、コーセーショーが解決したかった問題を、制度的に解決するために作ったんだ。それに、梅野が市場で売買できる福祉サービスという概念をつくり、福祉の普遍化という多くの人が望む制度に仕立てたのだ。まあ、僕は、こういったことを信じて、こつこつ穴を掘っただけだ」。

 「穴掘り名人の松田君。くれぐれも落とし穴に落ちるなよ」「それは何だい」「鬼頭次官も八木官房長も、同期の竹林もみな君を嫌っている。結婚もしない、酒も飲まない、人の言うことは聞かない、仕事という穴ばっかり掘っている君に落とし穴を仕掛けると思うよ」「どの組織でも落とし穴はたくさんあって、たまたま今日まで足を踏み外さなかっただけだ。落とすなら落とせ。僕は失うものは何もない、独身だし」。

 松田は、本省への帰り道、車の中で感動していた。「桜井はすごい。次の人生を早くも決めたんだ。俺も、いつまでも惰性で生きていられない」。その年2000年は、小渕総理が突然倒れ、密室で決まったと揶揄される森内閣が誕生した。隠然と政界に権力を奮っていた竹下元総理も他界した。政治の世界の潮目が変わりつつあったが、官僚たちは、省庁再編を名目の看板すげ替えにしようと、工作していた。その実、 ポストが減ったのでもなく、公務員の数が減ったのでもなく、官職名が変えられたことが目立つだけの再編であった。

 デフレ不況が10年続き、失業率が毎年高値を更新している中で、雇用政策は重要な仕事になっていた。有効な雇用政策と負担問題を含めた社会保障制度の見直しを厚生労働省という一つの組織が担うのは、初めから無理があると議論されていた。従来、コーセーショーは社会保障を担う組織とされながら、欧米にみられる、労働政策と住宅政策も社会保障の分野に含めた治政は行われてこなかった。その意味では、省庁再編によって、より生活領域全般の社会保障政策が実現されるのは、政策論的には正しい方向であった。

 「さはさりながら、コーセーショーは終わった。桜井が言うように人生の節目だ。僕も・・・」。松田は局長室で、ひとり呟いた。

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第23話 悩み交換

2014-03-27 16:22:31 | インポート

 松田は、自民党本部での社会部会会合に出た後、参議院会館に足を運んで、久しぶりに桜井に会った。桜井は、肉がついて子豚のような姿で現れた。「やあ、松田、君の介護保険創設の仕事は見事だったね」「本当の仕事はこれからだよ、桜井。君は、センセイになってちょっと太ったかな。酒ばかり飲んでいるんじゃないか」「うん、いやなことが多いからね」「俺もいやなことが多いんだが、酒が飲めない体質だから、ストレスが腹にたまるよ」「君のいやなことって、鬼頭次官との軋轢、香山代議士の娘に追いかけられていること、だろ?」「しばらく会ってもいないのによく知ってるな」「政治家は情報が全てだからね」。

 「鬼頭さんは風貌は奇妙奇天烈だが、自民党にも大蔵省にもなぜか好かれていてね。言うことを聞くからだろう。それが我々局長にはかえってやりにくいんだ、全部大蔵主導になってしまうんだ。削れ、削れ、だろ」「デフレ十年だし、橋本行革が続いているから、仕方あるまい」「来年は、橋本行革の一環で年金福祉事業団の廃止と看板事業の大規模保養基地の廃止も決まりそうだ。鬼頭さんも大蔵省も政治家の片棒を担いで、誘致や利権に関わっていたはずだ」「鬼頭さんのマンションは一億円だそうだ」「そんなに安いのか」「何だよ、松田、役人が一億円のマンションなんか普通は買えないよ」。

 「俺は、一億円貯めたよ」「どうやってそんな大金貯めたんだよ」「だって、俺は、家族もないし、酒も飲まないし、食事は、毎日役所でとってくれる弁当、家は課長補佐時代から引っ越しをしていないので、家賃一万円のボロ宿舎。何にもお金を使わなかったら、貯まった」「君のネクタイは高いので有名だが」「年に一本一万円。三十年も勤めりゃ三十本になる」。

 「随分ケチな生活だなあ。だが、君だけは、後ろめたいことは一つもないよな。中谷事件以来、びくびくして過ごした奴も多いと聞くが」「あの事件で福祉の世界の綱紀粛正は進んだが、社会保険は、問題はこれからだ」「今年、地方事務官が廃止されて、知事部局にいた社会保険職員は国の機関社会保険事務局に移った。これからは知事とは関係なく、国の責任一本で業務をこなしていく体制になってよかったじゃないか」「いや、幹部と職員組合の関係は相変わらずだ。幹部は実務に口を出さないように団交で決められている」「じゃあ、何のための幹部だ」「だから、問題はこれからだ、と言ったのだよ、桜井。年金保険料納付事務を市町村から社会保険事務局に引き上げてしまって、やっていけるかどうか。これまでもちょくちょく起きた入札談合事件を幹部が仕切ることができるかどうか。疑問だね」。

 「確かに疑問だ。それに、鬼頭構想では、次の人事で、八木官房長を社会保険庁長官にしようとしている」「八木さんを次期の次官にしないのか」「松田、政界で聞いたオフレコだが、八木は粗暴なので労働省の連中が総スカンらしいよ。政治家にその情報が入っている」「確かに、俺も八木さんに若い時に殴られたことがある」「八木さんが長官になると、職員組合はどう出るかな」。

 「正直言って、俺は介護保険以外はどうでもいいや。ところで、桜井、君のいやなことは何?」「悩んでいるんだ」。そもそもダウン症候群の娘を持ったことがきっかけで、行政よりも政治を選んだ桜井であったが、介護保険に遅れをとった障害保健福祉行政に失望していた。「障害の子供を持った親は、親が死んだらこの子はどうなるかが一番大きな問題なんだな。今、介護保険の手法で、児童福祉も障害保健福祉も塗り替えられようとしている。つまり、福祉サービスを利用するという発想だが、それじゃあ、親が死んだあと、障害基礎年金だけでサービスを買えるのか、そもそもサービスを自分で選べるのか、心配だ。障害保健福祉は別の発想でやっていくべきでないかと悩んでいるんだ」。

 「確かに、児童福祉も保育以外はサービスという発想でできないから、同じ問題がある。つまり、梅野理論も限界があるってことだよな」「そう。子供の人生を最後まで見届けないと死ねないという気持ちは、障害を持った親でないとわからないんだよな」。桜井は真剣に悩んでいる様子だった。「桜井、きっと、君は自公政権で大臣になるよ。そのとき、思い通りに腕をふるったらいいよ」「松田、その思いどおりが何なのか俺には分からないんだ。どうしたらベストなのか分からないんだ。なぜ俺にこんな人生が与えられたんだろう」「北欧では、障害のある人に、障害を除去してノーマルな生活をしてもらうことが福祉なんだろう」「観念的にはそうだが、やはり丸抱えの保護主義でないとノーマルでない子には無理だ」。

 松田は、分岐点で桜井と道が分かれたと感じた。松田は、確固として、老人、障害、児童のいずれの分野でも選べる福祉サービスを追求するつもりである。他方、親としての具体的な悩みを抱える桜井は論理から遠ざかろうとしていた。

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第22話 人事

2014-03-25 13:01:58 | インポート

 「他でもないが・・」と、鬼頭次官は、松田老健局長を呼び出して切り出した。「年が明ければ、省庁再編で、我が省はコーセーロードーショーとなる。どう考えても、コーセーショーの行政が圧倒的に幅広いし、もともと労働省はコーセーショーから終戦後分かれていった分家にすぎない。我が方の人事が新組織で手厚くなるように配慮するのが、私の役割だと思っている」「はあ。私には関係ないと思いますが」「最後まで話を聞けよ、松田君。今の私の心づもりでは、君に保険局長、竹林に年金局長をやってもらいたいと考えているんだ。つまり、保険局長は次官昇進に一番近い道だ」「次官、お言葉ですが、人事は来年の夏、つまり半年以上先ですよ。今そんなことを言うのは適切でないですよ」。

 「君ねえ。もう三十年も役人をやっているんだから、少しは大人になりたまえ。先日、香山代議士に呼び出されて会ってきたんだが、君の人事をよろしくと頭を下げられてしまった。自民党ナンバーファイブに入る人だよ」「私は、香山代議士とは面識ありませんから、何かの間違いでしょう」「香山の娘も同席したんだ」「・・・酒席ということですね」「まあ、そうだ」「橋本総理は行政改革をぶち上げたが、官僚と政治家がひそひそ話で酒飲む場面は、変わらないですね。行政改革どころか、政官癒着が進んだ」「話をそらすな」「次官だって、いつも愚痴を言ってるではありませんか。大臣が人事に介入するので困る、と。今年の夏の人事はひどかったでしょう、内示取り消しがいっぱいで。大臣が課長補佐レベルまで自分の可愛がった役人の人事を変えさせた。昔の我が省で内示取り消しなんか考えられなかった。次官はその責任をとらないのですか」。

 「ちょっと待て。その話は、今日の話題ではないから、別の機会にやろう」「私は、次官と会っている暇はないので、今、言わせてもらいます。来年一月の省庁再編で、省を減らせ、局を減らせ、課を減らせと政治家は形にこだわるから、結局、局は減っても局長級ポスト、課は減っても課長級ポストと言って、審議官やら参事官やら中二階ポストをやたらに作ったではないですか。次官は政治家の言いなりなのですか」「どの省も皆同じで、私一人が抵抗できることではない」「このままでは、所掌事務が曖昧になるのと、部下を持たないお偉いポストが増えて、結局何もやることのない人が増えますよ。組織として始めから腐っている」。

 「おい、松田!」。業を煮やした鬼頭が立ち上がって、テーブルをガンと叩いた。「知ってるだろうな、私は君の上司だ。君は私の話を聞きたくないようだが、ならば、この写真を見ろ」。鬼頭が机から取り出したのは、なんとも奇妙な女性の手首の写真である。手首に赤い筋がたくさん入っている。「これは、何ですか」「香山代議士の娘が、君から手紙の返事をもらえないと、何度もリストカットをやって死のうとした証拠だ」「こんなもの精神科医に持っていけばいい話だ」「君は独身、香山の娘はまだ36歳だ。子供も産める。香山代議士は、君に彼の地盤を継いで出馬してもらいたい、彼の持つ何十億という財産も君に自由に使ってもらいたいと言っている。君が結婚してくれれば」。

 「ははは、ははは」「何だ、その笑い方は」「ここには、私が嫌いなものが全部ある。政治家の圧力、ペコペコする官僚、そして、女だ。わけても、私は女が大嫌いだ。リストカットは、ためらい傷。脅迫材料だ。大物中谷次官を撃ち落とした超大物鬼頭次官が、こんな取引を斡旋するとは笑止千万だ。もっと笑ってやる、あははは」。「もういい。出て行け。だが、覚えておけよ、私よりも、政治家からのしっぺ返しは、もっと厳しいぞ」。

 松田は、むしゃくしゃしながら、局長室に戻った。その年2000年は介護保険法が施行された。松田はゴールドプラン21を策定し、寝たきりゼロに向けての政策に取り組んだ。「梅野の遺言に従って、介護サービスは利用者と事業者が市場で取引する制度になった。残った課題は、特別養護老人ホームは民営化の対象にならなかったことと、もともと生活保護対象の養護老人ホームの措置制度をどうするかだ。それと、もっと重要なのは、これからの介護需要予測だな」。介護需要については、八木官房長官から、「介護は女の仕事だ。社会介護の需要が大きくなることは日本社会の危機だ。だから、需要を増やさないように工夫しろ」という横槍が入っていた。「バカな話だ。制度は需要をつくる。制度ができた以上は、需要を引き起こすことになるのが当然だ。いわばディマンド・プル・エコノミクスだ」。

 「局長、人口問題研究所の南部長がお見えです」。少子化問題が社会に浸透し、人口動態の専門家である南部長は今やマスコミ界の寵児となっていた。「わざわざ来ていただいてありがとう、南さん」「局長御下問の高齢者の人口動態ですが・・・」。松田は暫し、南のレクを受けた。「南さん、私は、平均寿命と合計特殊出生率の将来予測が間違っていたと思うんだ」「間違っていたのではなく、我々は、高位、中位、低位の三種類の予測を立ててきたのですが、政策決定者が、平均寿命はこれ以上伸びるはずはない、出生率はいずれ回復すると根拠のない理由で、ずっと中位推計だけを選択してきたのが間違いだったのです」「なるほど。我々の間違いか」。松田は、寿命の伸びを高位に推計すれば、介護需要が天井知らずの伸びになることを思った。「財源はどうなる・・・」。

 「南さん、ありがとう」「局長、一つだけ、聞きたいことがあるのですが」「ん?」「今年の人事まで局長の部下だった石山さんのことです」「ああ」「なぜキャリアの彼を我が研究所に配置換えしたのですか」。石山は、老健局で多くの職員と軋轢を起こし、行政マンは向かないと松田が判断し、研究者に転向させたのである。「彼は学業が優秀だから、研究者の方がよかろうと」「嘘でしょう。彼は、我々に喧嘩を売って困っています。もうひとり、児童家庭局から来たキャリアの方は、殆ど休んでいます。聞くと、局にいたときから、登庁拒否が常習だったそうで」。南は、行政マンに向かないキャリアを安易に研究者に転向させるなと、意を決して言いに来たのであった。

 「南さん、確かに、安易な人事でした。来年、省庁再編で人事も変わっていきます。習慣化したおかしな人事も改めるよう、私も心がけます」「人事と言えば、次官と官房長の仕事ですが、どうぞ、きちんとお伝えください」「その二人は私が一番苦手とする人間だが、必ず伝えます」。

 

 

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第21話 省庁再編

2014-03-24 10:47:26 | インポート

 2000年の省庁再編を巡り、霞が関では利権や縄張りの維持のために思惑と不可解な行動が横行した。省庁再編の構想は、橋本総理の下で創られたが 当の橋本は、、97年の消費税引き上げがデフレを深め、98年の参議院選挙で大敗するや責任をとって辞任した。それまでの間、省庁のトップが橋本総理を訪ねては、省益を守るための「陳情」を行っていた。橋本が首を縦に振らなかったのは、大蔵省の名を継続するための陳情と郵政省を残す陳情であった。

 1998年、厚生省と労働省がひとつになることが決定し、合併後の名称を巡って両省で争いが起きた。1938年に厚生省が内務省から独立するときは、当初「保健社会省」の名前が有力だった。厚生省としては、この名前に近い保健福祉省にすべく動いたが、労働省が承服しなかった。「労働の文字が入っていない」。当時、労働省は霞が関初めての女性事務次官であったが、女性の特質を活かし、橋本総理に泣きついて「労働福祉省」とする案が一旦採り入れられた。しかし、厚生行政の大きな分野は医療であることから、議論が沸騰し、最終的に「厚生労働省」に落着した。

 鬼頭次官は、八木官房長と次官室で打ち合わせをしていた。二人は、省内では言わずと知れた「お化け兄弟」で、二人とも霞が関では少数派の京都大学卒であった。若いころから、二人が先輩後輩の仲で誓った「我々二人が東大を排除し、コーセーショーを支配しよう」は実現した。「お化け兄弟」はもともと二人の不細工を揶揄したあだ名であったが、今や、「権力のお化け」と解釈されるようになった。収賄事件後、二人は力を合わせ、政界、大蔵省、マスコミの信頼を回復して、そのコンビの有能さを見せつけた。

 「八木君、君も金かけてその出っ歯を直せよ」「鬼頭次官こそ、白髪を自分でマダラに染めないで、美容院でやってもらうべきだよ。今のままじゃ、お化けそのものだ」「君に言われたくないね」「男は、次官、仕事で評価されるんですよ、女と違ってね」「そりゃそうだ。それにしても、労働省の女にはまいるな、橋本総理に直談判したりして」「彼女たちは、GHQ時代から婦人少年局長という女性指定ポストがあって、女同士で競争してきたから、我が省の女どもとは肝っ玉が違う」「確かに、筋金入りだよな。我が省は、争うタイプの女はいないもんな」「我が省の躾がよかったんですよ、よく言えば」「アンチ女権論の君にしちゃ、珍しいことを言うね」「いや、悪く言えば、我が省は、女は可愛くないといけないという男の勝手な考えで、女をきちんと育てなかった」。

 「君でも正しいことを言うこともあるんだな。君は、介護保険法に反対しているんだろう」「そうですよ。子育てと親の面倒は女がやるのが当たり前。女の役割を変えてしまうような法律は許せないですよ」「そんなこと言ったって、調査を見れば、介護の社会化を望む声が大きいからな。それに、2000年には、男女共同参画法とやらができるそうで、女性の社会進出は今の政府の命題だ」「鬼頭さんも次官になると考えが変わるんですね。かつては、私と同じアンチ女権論だったのに。それって、軌道修正ですか」「君と私のコンビは、大蔵省からも自民党からもマスコミからも評判がいい。これから労働省と一緒になってうまくやっていくためには、ちょいとアンチ女権論を我慢しないと、あのメスどもに食いつかれる可能性がある」。

 「静かに我々の省益を守ろうと言うことですな。次は私を次官にしてくださいよ、絶対に」「私はそのつもりだが、次は、労働省と一緒になるので、あちらの次官とも合意しなければならないし、なかなか難しいぞ」「厚生、労働交互に次官を出し合うたすき掛け人事になるのでしょうね」「そうだ。だから、タイミングが合わないと、君は次官になれないかもしれない」「しかし、私の後はひどいのしかいませんよ。団塊の世代の奴等、やたらにリベラルで、保育や介護の社会化を率先して進め、福祉はサービスだ、市場原理でやるべきだなどと言っている。アメリカの年次報告書では、福祉の民営化を求めているから、あいつらにまかすと、アメリカの言いなりになる。特にひどいのが松田だ」。

 「私は1940年生まれ。君は1943年生まれ。彼らは戦後生まれだもんな。俺らはアメリカが大嫌いだ。彼らはアメリカが大好きだ」「すると、私たちがここを去ると、いよいよ社会保障の世界も市場原理で動かし、保護主義を排して自由主義の原理で書き換えられ、フェミニスト集団が幹部になる。男は女の妾みたいな存在になる」「放っておいてもそうなるし、ましてフェミニスト集団労働省と一緒になったら、その時期は早まるだろう。しかしね、八木君。まだ竹林が残っているよ。あいつなら、我々の意図を果たしてくれる」。

 その時、次官室の電話が鳴る。「何、香山代議士から? ああ、繋いでくれ」「次官、私は席を外しましょうか」「いいよ、君。・・・はい、鬼頭でございます、大変お世話になっておりまして・・・」。鬼頭の丸顔が次第に青ざめていく。「は、はい。申し訳ありません。今日、私が伺います」。鬼頭が電話を切ると暫し沈黙が続いた。「どうしたのですか」「どうしたもこうしたも、松田の奴、大物代議士の香山先生が介護保険の関係で何度呼び出しても説明に来ないそうだ。不届き者めが」「昔みたいに、もう一度、あいつをボコボコにしてやりますか」。

 「八木君、悪いな。私は、これから香山先生のところに行ってくる」。そう言って、鬼頭は部屋を出た。

 

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