大泉ひろこ特別連載

大泉ひろこ特別連載です。

第10話 アジアの高齢化と日本の役割

2012-04-17 23:54:15 | インポート
 世界の人口の半分はアジアである。世界最大の市場を持つアジアは、まさに世界経済を牽引している。しかし、そのアジアが2050年までに例外なく高齢社会になり、生産年齢人口の多い人口ボーナスといわれる時期が終わることは明らかになってきた。日本より合計特殊出生率の低い韓国や一人っ子政策をとってきた中国は特に高齢化のスピードが速い。このことは、藻谷浩介氏が日本の社会について指摘するように、人口ボーナスが終わるとともに、消費が落ち、それにつれて生産が落ち、経済力が落ちることを意味する。
 今、アジアの中で、社会保障制度が一応存在しているのが、日本を除けば、韓国、台湾、シンガポール、中国の香港と上海である。これらの国は、いち早く西洋の諸制度を採り入れた日本に学びつつ、同時に、アジアの価値である「儒教的発想」も包含する社会保障制度を整備しようとしている。シンガポールは、「西洋的福祉国家を目指さない」とまで言っている。アジアの国々に共通の、長幼序があり、勤勉で子弟の教育に力を入れている家族単位を重視する社会にとって、日本の社会保障制度は一番の参考になると思われている。
 しかし、その実、日本の社会保障は、家族単位を離れつつあり、社会介護、一人一人の基礎年金、離婚後の年金分割などが制度化され、世代間の扶養である「賦課方式の年金制度」に批判が集まり、もはや儒教的発想は後退している。今日では、若者は、個人年金を選び、必ずしも家庭を持たない生き方、不安定雇用の人生が当たり前になり、制度は多様性のある個人対応でなければならなくなった。アジアの国々も日本と同じ経過をたどるかもしれないが、一方、おばあちゃんの子育てが一般的なタイの母系社会や、インドや中国のように男系家族しか認めない社会もあり、それぞれの文化独自の社会保障制度もありえよう。
 日本の社会保障は、アジアの中では突出しているので、老人医療、介護の人材養成、介護方法論のサービス貿易などで「社会サービスの供給者」としての日本は期待されるはずである。現に、日本の有料老人ホーム産業は、富裕層を対象とし、中国に進出している。
 すでに、東アジア共同体の政策は後退しているものの、アジアの自由貿易圏が広がるのは自然であり、次にくるのは、EUのような経済共同体を飛び越えて、高齢社会を共有するアジア社会共同体のようなものかもしれない。さらには、アジアにおける国際結婚が一般化し、出生率にも影響を与えていくかもしれない。目覚ましい経済発展から、やがて成熟を迎えるアジアの社会に超高齢社会先進国の日本が大きく貢献していくように思えてならない。
 
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第9話 アンチエイジング

2012-04-04 21:22:49 | インポート
 1990年の初頭、エイジレスという言葉が高齢者白書に登場した。「老いてなお盛ん」の言葉に秘められるように、年齢を感じさせない生き方を紹介したものだ。今は、アンチエイジングという言葉のほうが普及している。アンチエイジングとは、老化に抗して生きることだ。私は、坪田一夫慶大教授のアンチエイジングのお話を初めてお聞きしたとき、その哲学、その方法論にいささか違和感を禁じ得なかった。老化に抗して生き続けるのは若い人にとって迷惑ではないか、老化という自然現象を乗り越えることはできないのではないか、という観点から懐疑的になっていたのである。
 しかし、このごろ、思い直している。2000年に策定された政府の「健康ニッポン21」の試みが、10年経過して評価してみれば、思ったよりも人々の健康意識は進んでいないということが数値で明らかになった。タバコや酒はやめらないし、好きなものを食べて太るのもやむなし、と人々は考える。他方でガンなど三大生活習慣病の医療は発展し、ガンも既に「不治の病」ではなくなった。代わりに、糖尿病や骨粗鬆や誤嚥性肺炎など新たな課題が出てきている。新たな課題に対応するにはアンチエイジングという方法が一番である。骨や筋肉を強くし、カロリーレス(カロリー制限)を常時行い、社会に参加して朗らかに生きる、それがアンチエイジングである。
 地域を歩けば、足腰が痛い、歯が抜けてしまっている、いつも寂しいという悩みの方が三大疾患の悩みよりも多い。病気でない病気のようだが、歯は、しゃべったり、おいしいものを食べたりの役割であり、足腰は、旅行に行ったり、自分の好きな買い物に必要である。寂しい気持ちは、仲間を求め、自分の役割を求めて得たい欲求である。アンチエイジング、つまり、若さを取り戻すために上り坂を上り、足腰を鍛え、歯を治し、仲間を集めて労わったり手伝ったり喋りまくったりすべきではないか。
 坪田教授によれば、アンチエイジングをまともに取り組めば、誰しも100歳は確実、最大125歳まで生きるのも夢ではないという。自分の寿命は、何となく平均寿命に届けばよしと考える集団志向の日本人になっていないだろうか。一度の人生に満載の志があれば、是非百まで生きようではないか。
 しからば、志とは何か。総理大臣になる、科学者になる、大金持ちになる、それらを否定する必要はない。しかし、かかる社会的地位の人数が限られているとすれば、もっと多くの人が達成できる志とは何か。私は思う。それは、人のために働くことである。自分が「~になる」もいいが、人のために生き、まして人が喜んでくれるならば真に喜びであろう。自分をいかにリッチにしても、自分をいかに偉くしても、自分をいかに賢くしても、誰かに認められねば寂しいものだ。自分が何者でなくても、人に役立ったと知るとき、サル族で集団社会ををなす我々の生きる意味をもたらすであろう。
 私も、アンチエイジングを受容する心の準備ができたのである。読者の皆様、如何?
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