大泉ひろこ特別連載

大泉ひろこ特別連載です。

2024年 Twenty Twenty-Four (28)バーチャル拷問

2021-04-08 21:40:10 | 社会問題

 丙午チーム長からは、政権交代の準備で忙しいので、3日後に登庁せよとの連絡を受けた。翌日曜日、譲二は、予定通り、デジタル投票になって初めての選挙で、星林義夫に一票を投じた。結果は、AI事前分析の通り、星林のアンチコロナ政党の圧勝であった。星林が組閣するにあたり、マスコミは、内閣支持率は空前の90%越えとなると予想し、かつての小泉純一郎内閣や鳩山由紀夫内閣をはるかにしのぐと伝えた。「ふん、初めの高い支持率がいつまで続くかが問題だ」。譲二は、星林に投票しつつも、その政策に満足していたわけではなかった。むしろリベラルを標榜する団塊世代としては、独裁政治に進む可能性と監視社会の徹底に違和感を覚えざるを得なかった。「でも・・・独身で生きた男の人生に共感するのだ。彼は、この国を繁栄させたいと四六時中考えて生きてきたに違いない。俺も、芥子粒みたいな存在だが、日本をどうすべきかをずっと考えてきた」。それは、独身で生きつつも、男には「種の保存」の本能があるからだ。女は「自分の子供」を第一に考えるが、男は「集団の生存」を考える動物なのだ。

 譲二は、三日後、丙午チーム長の指示通り登庁した。譲二が心で「ピッグ」と名付けたチーム長は、満面の笑顔で、彼の背後にある星林の肖像画は薔薇の花で縁取りされていた。「大井さん、私の狙いは見事に当たった。私は星林御兄をずっと支持してきたから、私の役人人生もこれで変わるはずだ」「公務員は中立でなければならないはずですが・・・」「君ね、中立と言ったって、思想及び良心の自由まで制約はできないだろう。星林御兄は一徹の思想を貫いた人だ。これで、55年体制から69年続いた保守政治も終わりを告げた」「何がどう変わるのですか」「簡単に言えば、国家資本主義に変わり、金の循環を良くして消費大国をつくり、その分、個人の権利は制限されることになる。それは、コロナのような疫病に対処する最善の方法であると同時に、マンネリを招いた21世紀の政治の復活を許さず、日本を経済成長の国にするのだよ」

 「では、我々の丙午チームは何をすべきなのでしょうか」「勿論、再来年に迫った丙午をベビーブームにしてやることだ。コロナ禍の最中は生み控えが増え、少子化がさらに加速化したが、ここで我がチームは星林政権の下で一挙に回復策を実現するのだ」「どうやって?」「私には私の考えはあるが、君ら職員に提案もしてもらうつもりだ」「私の提案は移民です。一挙にということであれば、子供を産む年齢の女性集団が減っているのだから、人口学的に国内だけの解決は無理です」「そこなんだよ、私が君に言いたいのは。君は常に、かつてのリベラルの思想に染まっていて次の一歩が出せないんだ。子供を三人以上もうけた夫婦は、税金ゼロ、年金二倍にするとか、金銭的インセンティブを大胆に刺激するのだ」

 「ずいぶん、下司な政策ですね。まるで豚が考えたみたいな」。譲二は、ピッグと話しているうちに頭に血が上ってきた。心の中では、俺から見れば小僧のような奴が、俺を「君呼ばわり」するのかといら立っていた。ピッグは、これまでにない譲二の反応に度肝を抜かれつつも、役人の習性で上司である自分の威厳を保とうとした。「大井さんね、今日君に来てもらったのは、他でもない、三日前に、君の心拍数から察知した結果、星林御兄の政策に批判的だと分かったからなのだ。このままだと、今の君の意見を聴いても、私が進めようとしている星林政権下での政策の邪魔になりそうだ。高齢の君には選択権を与えよう。辞表を出すか、思想矯正のクラスに入ってもらうかだ」「辞表を出したら、私は、年金受給権を放棄して就職したのだから、乞食になるしかないではないですか」「いや。星林御兄は、生活保護法を廃止するが、シビルミニマム法を立法し、職もない、年金もない人すべてに給付する」「それは月にいくらですか」「五万円だ。人口減と限界集落の増加で空き家が増えているので、その空き家で受給者が集まって共同生活をしてもらう。食べてはいけるよ。なんせ、消費デフレの脱却を重点政策としているからな」

 譲二はこのまま続ければ、樹里が大臣になってその下で働いたら面白いかもしれないと瞬時に考えた。月五万円では、毎日のビールも買えない。一人暮らしで長く生きてきた譲二にとって今更共同生活などできるわけはない。「選ぶ余地はありません。その思想矯正のクラスとかに入るしか・・・ないと思います」。ピッグは、電話で大武を呼び出した。大武は直ちにやってきた。譲二を一瞥すると、薄笑いを浮かべ、ピッグに言った。「チーム長、やはり、そういうことなのですか」「ああ。よろしく頼むよ」。どうやら、譲二が来る前に、二人は、譲二の扱いについて同意ができていたらしかった。

 「大井さん、それでは、私に付いてきてください」大柄な大武はチーム長の部屋を出て、のっしのっしと廊下を歩き、時々、譲二がついてくるかどうか振り返りながら、道案内をした。階下に降りて、鉄の扉のある部屋の前で止まった。「授業はここで行われます」「この部屋は何の部屋ですか」「特別会議室と思ってください。幸老省の建物には、第二次世界大戦の時の無名遺骨の霊安室や大臣のシャワールームや、人に知られていない部屋がいくつかあります。この部屋も思想矯正のための特殊な部屋で、一般職員は出入りしたことがないのです」。大武がカギを回して鉄の扉を開けると、扉の近くには五人の男が椅子に腰かけて順番待ちをしていた。その向こうにカーテンがあり、「授業」とやらはそこで行われているらしかった。

 「では、大井さん、順番ですので、ここに腰かけてお待ちください。中から呼び出されたら、カーテンを開けて授業を受けてください。授業は一時間です」「ノートとかペンとか要らないのですか」「お忘れですかね、前にお話ししたと思いますが、授業はバーチャル拷問です。バーチャルですから、終わってみれば痛みも苦しみもありません。では、誤った思想からうまく寛解されますように。私はここで失礼します」。大武がドアを閉めたとたん、カーテンの向こうから、大きな悲鳴が聞こえてきた。五人の先客は恐怖で青ざめていた。

 

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2024年 Twenty Twenty-Four (27) 日本壊滅政策からの立ち直り

2021-04-03 21:56:25 | 社会問題

 譲二は、気になっていたことを思い切って樹里に聞いた。「森さん、先日せっかく見つけた指輪をしていないのですね」「ええ。私は、しばらく結婚を内密にしておき、仕事をしたいのです」「結婚すると仕事がしにくいのですか」「そうでしょう。明日の投票日、星林は総選挙に圧勝し、国会で総理大臣に指名されるのは確実です」「一国の総理とにわかに結婚するのは変だというのですか」「団塊ジュニアは団塊と違って、世間体を気にしません。そうではなくて、私は、彼の内閣の閣僚になろうと思うのです。夫婦で内閣を牛耳るのは良くありません。現在、閣僚は内閣総理大臣の他は、幸老大臣とデジタル監視担当大臣だけですから。閣僚の権力はとてつもなく大きいのです」。

 「森さん、悪いが、日本のためにあなたが閣僚になるのは反対したいですな」「私が、三流大学卒で、まともな職業に就いたことがなくて、結婚もしていない子供もいない女だからですか」「国家を担うには、それなりの職業的経験と学問の土壌が必要です。あなたは、確かに論理的だし、明瞭な意見を持っているかもしれないが、失礼ながら近年日本の政治家に頻出している車夫馬丁の輩と変わりませんよ」「大井さん、トルーマンは大卒でないのに大統領になったし、小泉純一郎は、総理になったときは独身でした。今の日本に必要なのは、エスタブリッシュメントではなく、新たな境地を開ける人間です。星林は、大学中退で、しかも宗教学が専攻でした。そして六十歳になるまで独身を貫きました。彼は、先住民族にも、ロシアにも、女性にも、LGBTQにも理解があります。日本人が避けて通ってきたものすべてに光を当てます。コロナ後の日本は、エスタブリッシュメントに任せると、アルゼンチンのように、月日が経てば先進国から後進国に落ちることになります」。

 「森さん、そうは言っても、日本はアメリカと中国と、どうバランスをかけて付き合っていくかが最大の問題だし、マイノリティー以上にコロナ後のサービス業における失業者をどう解決するか、そして国の借金をどうするかが最優先です。あなたの言うことはまるでオママゴトですよ」「大井さんは、さすがに団塊世代で、消えゆく大マスコミの論調そのものですね。米中関係の解決にロシアを使い、女性を始めとしたマイノリティーに新たなサービス業を拡大してもらうのです。国の借金を消すには、新貨幣理論MMTを駆使して、大きな政府を良しとし、消費税を廃止し、消費大国にするのですよ。団塊世代が考えるような垢のついた人材では新たな政治はあり得ませんよ」

 「森さん、早晩我々は消えてゆきます。しかし、我々は、長い間理解できなかった戦後GHQの行った日本壊滅政策を、コロナ戦争中に家で逼塞している間、改めて意識するようになったのです。教育改革では、戦前の高等学校ナンバースクールの伝統である教養主義をぶち壊し、エリートの輩出を不可能にしました。均分相続や農地改革や男女平等で、個人主義が浸透し、兄弟姉妹は仲が悪く、農業の近代化は進まず、恋愛主義の行き着くところが少子社会になりました。あなたが主張するように今の現象から弱者を洗い出し、新たな政治を引き出すのではなく、敗戦の原点に戻って、アメリカの誘導が正しくなかったものをやり直す必要があると私は思うのです」。

 「アメリカがそんなに悪かったというのですか」「アメリカは団塊世代にとっては親のような存在です。我々はデモクラシーの申し子と言われて育ちました。しかし、75年も生きてなおデモクラシーとは何かが分かっていないし、そもそもデモクラシーの方法論が多数決というのは日本を劣化させるだけでした。今の選挙を見てください。多数決の結果が政治家の質の低下です。今になってようやく、自分の親であるアメリカを客観的にみられるようになりました。それは、他ならぬコロナのお陰です。日常性が消えたときに過去の真実に気付くのです。団塊世代はアメリカが好きで好きでたまらなかった、生まれて初めて食べたホットケーキの味がアメリカであり、デズニーやララミー牧場は我々の心を育んだのです。国産の、月光仮面や鉄腕アトムは我々よりも後の世代のものです。そのアメリカがもたらした教育制度と安全保障制度こそ政治改革の中心であるべきです」。譲二はいつの間にか我を忘れて叫んでいた。

 樹里はしばらく黙って聞いていたが、コーヒーを入れなおし、譲二に勧めた。「大井さんがこんなに饒舌になったのは初めてですよね。私の両親も団塊世代。母もアメリカに憧れ、私をアメリカ人のように、ひらひらしたピンクの服を着せ、ピアノを習わせ、いい男にプロポーズされる日を望んでいました。私の世代は、アメリカに負けた国という意識はなかったし、アメリカ的であることを素晴らしいとも思わなかったのです。私の世代はむしろ韓流にはまりました。絶対になれっこないアメリカ的なものよりも、身近にある美しいものが好きでした。もし、大井さんの言うことが団塊世代のマジョリティだとすれば、我々ジュニアは既にアメリカ的なものを捨て、ダサい金持ちなどになろうとせず、企業戦士の人生を潔しとせず、さらには少子社会を作ったことになりますね」。

 「森さん、あなたは、男女共同不参画法を作ろうと主張しているということは、幸老大臣になるってことなんですね。つまり、俺の上司になるわけです。もっとも、俺は大臣から見れば芥子粒みたいな存在だけれど」「大臣になっても、大井さんと議論を続けたいです。ね、よろしいでしょう?」。その時、譲二のポケットの携帯電話が鳴った。「しまった」。譲二は不覚にも、携帯をポケットに入れたまま来てしまったのだ。案の定、電話は、丙午チーム長からであった。

  

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2024年 Twenty Twenty-Four (26) 憲法九条と男女平等

2021-03-27 09:50:42 | 社会問題

 譲二はコンビニ袋をぶら下げて、先刻星林義夫の街宣車が止まっていたところまで戻ってきた。すると、当の街宣車が再び止まっていて、何人かの人が無灯火の街宣車の周りで、懐中電灯を用いながら探し物をしている様子だった。譲二は、フード付きの上着を身に着けた女性と思しき人に近づいた。「何か落としたのですか」。フードを深々と被り、マスクをしていたが、目が合った瞬間、「あ」と譲二は声を上げた。森樹里である。

 「森さん、公務員の政治活動は禁じられているのに・・」「知ってますよ、だけど・・」。その時、背後から男性の声がした。「樹里さん、あったよ、見つけたよ」。他ならぬ星林だった。「あら、義さん、どこにあったの」。二人の会話は親しい間柄を表していた。「やだ。旗を片付けるときにポケットから落ちたんだ。義さんからもらった大切なものなのに」。樹里は、星林から渡された小さな箱を譲二にちらりと見せて、「指輪なの。これに縛られたくないから要らないって言ったんですけど、義さん・・いや星林がどうしてもと言うから、まあ、私の公約ね。公約は破られることもあるって彼は知っているはず。では、また次のお約束の時にお話ししましょう」。

 街宣車のスタッフは車に乗り込むと足早に去って行った。次の演説が遅れることを気にしつつ探しに帰ってきたのは、それほどに星林が樹里に渡したものが重要だったからだ。「要するに婚約指輪なんだな・・」。譲二は街宣車を見送って、心が冷えていくのを感じた。「別に森樹里さんに思いがあるわけではないが、俺の人生はいつもいつもこれだ。女性が現れては、これ見よがしに、他にいい人がいると言って去って行く。だが、どの一人として追いかけたい女性はいなかった。俺は女性が嫌いなのだ」。それにしては、譲二の気持ちは鎮まらなかった。樹里は理路整然と討論できる初めての女性だった。名状し難い口惜しさと寂しさにとらわれた。「俺は星林に負けた」。

 樹里の意見と星林の演説が一致しているのは自然だった。星林は樹里の意見を取り入れたのだろう。キャリアに失敗、独身子無しの女性は負け犬と酒井順子言うところの団塊ジュニアは非常に多い。その負け犬は妊娠適齢期はとっくに過ぎているが、社会の労働力として、女性よりもさらに多い男性独身者に家庭をもたらし社会を安定させる存在として、まだ大きな価値がある。

 譲二は次の樹里との会合を心待ちにした。その日は、総選挙投票日の前日であり、もしかしたら、樹里は初めて約束を破るかもしれない、と譲二は考えた。しかし、樹里は、時間通り、X公園の噴水前に立っていた。振り返りざま、にこやかな笑顔を見せた。例のベンチに着くと例のごとくポットのコーヒーを紙コップに注ぎ、樹里は譲二に勧めた。譲二は、樹里の手を見やったが、指輪ははめられていなかった。「いつもご馳走になります。でも、フィアンセがいるのに私などと会っていてもいいのですか」「ハハ、それはそれ、これはこれです。星林は、私の思いを政治で解決してくれる人だと分かり、人生で初めて男性にコミットすることにしました」「つまり、男女平等の実現を星林義夫は重要な政策とするのですね」。

 「そうですよ。今まで、男性から男女平等政策を声高に叫ぶ政治家はいなかった。なぜか。日本の男性は日本国憲法九条で不戦が決められてから、洗脳され力を失っていきました」「アメリカの占領政策だし、吉田茂だって独立したら軍隊を持てばいいと考えていたし、力を失う必要はないはずでしょう」「違いますよ。男と女の生物差は誰も否定できない。しかし、社会差、つまりジェンダーは、時代によって変遷してきました。人類の歴史を通じて、男は戦うからこそ男だったのが、男本来の仕事がなくなったのが現代の日本です」。

 「すごいことを言いますね。女性は普通、憲法九条を守る立場が多いはずなのに」「私もそうですよ。男が男でなくなったのを嘆いているのではありません。むしろ、だからこそ、男と女は同じだから、男女平等が必要だと言いたいのです。アメリカの占領政策は初めは日本を徹底的に潰してやろうと考えていましたが、ソ連との軋轢、中華人民共和国の建国、朝鮮戦争の勃発で、日本をアジアの共産主義の盾にしよう、西側に取り入れようとして、政策が緩和されたのですね」「団塊ジュニアにしては良く知っていますね。1947年に日本国憲法が施行されて、占領時代は終わるかと思いきや、その国際情勢のせいで長引いて、5年も遅れてサンフランシスコ講和条約ができました。だけど、森さん、憲法九条が男女平等の根拠だなんて意見は初耳です」

 「そりゃそうですよ。私が作った意見ですから。でも、星林は大賛成でした。民主主義の元と言われるギリシャのポリスでも、女性は政治に参加できなかった。なぜなら、女性は戦争に参加しなかったからです」「ですが、森さん。憲法で男女平等が謳われ、民法で家庭での平等、教育基本法で教育の平等、ちょっと遅れたけれど、男女雇用機会均等法で労働市場での平等の三平等が果たされた今、森さんは、星林さんは、何をしたいのですか。私は、フェミニスト団体の言葉狩り、例えばお母さん食堂の商標は女を馬鹿にしているとか、肩を叩いてもセクハラとか叫ぶのは、もううんざりです」。

 「眼前の課題は、選択制夫婦別姓と女性天皇でしょう。そもそもこの国の民法は夫婦別産制を前提としています。結婚前の苗字も、ある意味でその人の財産でしょう。財産を保持するのは権利でもあります。選択によって、括弧書きにミドルネームを入れるというような法改正が必要です」「それはもしかしたら、可能かもしれないが、女性天皇は・・」「日本国の象徴の仕事はこの国に良かれと祈ること。祈りが仕事です。男にも女にもふさわしい仕事です」。

 

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2024年 Twenty Twenty-Four (25) メインストリーム

2021-03-19 22:03:44 | 社会問題

 星林義夫は時間通りにやってきた。街宣車の上に上ると、しばし、黙ったまま、聴衆を睥睨するかの如く見下ろしていた。集まってきた数百人の聴衆は騒がしい。星林頑張れと大声を上げたり、私語を交わしたり、たいへんなざわつきだ。一時間も待って星林の演説を聞こうとしていた譲二にとっては、星林の思わせぶりな「待たせ時間」にいら立った。しかし、これは、かつてヒトラーが取った方法だ。聴衆が静まるのを待ち、演出された効果的な演説を行う。静まりを破った勢いある演説は聴衆を熱狂させるのだ。

 星林は切り出した。「今日は皆様に、日本のメインストリームを変えるお話をいたします」。メインストリームとは何だ、と譲二は耳をそばだてる。聴衆もまた新たな概念に集中しようと真剣になるのだ。「メインストリームとは、古い男の考えです。3年前に森喜朗元総理がオリンピック組織委員会を引きずり降ろされました。彼の言ったことは、女はかまびすしいということで、それは事実です」。聴衆がオーという声を上げると、星林の声は上がり、身振り手振りが始まった。「しかし、そんな女を作ったのは総理をやった森さん自身だということを忘れてしまったのです。女性の門戸を狭くし、社会で活躍しようにも十分な機会が与えられなかった結果として、女性はかまびすしくなっただけであります。私は違う。女性に門戸を開きます」。女性の聴衆が金切り声を上げた。「星林さん、あなたは女性の味方!」。

 「トランプ大統領が2045年には過半数を割る白人の、中でも、白人男性労働者の権益を目指して大統領に当選したのは、ついこの間のことでした。今年、彼はまた共和党の大統領候補として出馬します。なぜか。アメリカのメインストリームである白人男性を守りたいからなのであります。日本も森さんのような人が社会のメインストリームであることを忘れてはいけません。女性蔑視で片づけるのではなく、メインストリームの交代をしましょう」。サクラなのか自然の集まりなのか分らないが、女性の集団が歓声を上げた。彼女たちはフェミニスト集団ではなく、むしろ普通のおばさん風の人々である。

 「私は、社会的性差、つまりジェンダーを設けてはいけないと考えますが、生物的性差は認めざるを得ません。私は、女性が得意で多数を占める職場の給与を上げます。保育、看護、介護は家庭の仕事の延長として今のメインストリームがプロ報酬を十分に考えてこなかった分野です。この分野の給与を上げることによって、経済的自立のできる女性を増やすのです。マザコンの私は、それが優先的にやるべき仕事としているのであります」。譲二は、星林の演説が森樹里の意見と符合していることに気付いた。「今日の演説を森さんに伝えよう。喜ぶぞ」。

 星林は続けた。「メインストリームの交代には、女性のお母さんマインドが必要です。21世紀の日本の政治は、市場原理一辺倒でした。しかし、コロナで日本の負け傾向は加速されました。いま、日本だけが経済強国のなかで、世界の成長率の平均を下回っています。中国、インドはすごい勢い。インドは4年後に日本を抜きます。アメリカも先進国では一番だ。欧州は平均くらいで大したことないが、平均以下は日本だけなのであります!」。星林は、最後に声をふり絞る。「これまでのメインストリームにもう任せられません。お母さんマインドならば、子供の成績が落ちていいと思う人はいないでしょう。日本の成績が落ちているときこそ、お母さんがそれは何故かを分析し、立ち直る方法を考えるときなのです。お母さん、日本という子供を助けてください」。拍手喝采が起きた。星林の政権獲得を確実にする盛り上がりである。

 半時の演説が終わり、スタッフが旗などを片付けていたが、譲二がいくら待ってもついぞあの青年は姿を現さなかった。街宣車は次の演説の場へと出発したが、譲二はがっかりして家に帰るしかなかった。「彼は星林がLGBTの演説をするときに出てくるのだろうか。しかし、お母さんの人口は大きいが、LGBTは人口の8%という出回っている数字は疑問だ。実際には1か2%だろう。星林がLGBTの演説しても、今日のような声援は受けまい」。譲二は遠回りしてまだ有人経営しているコンビニに行き、その日の弁当と缶ビールを買った。譲二の頭は、森樹里と星林義夫とあの美青年のことでいっぱいになった。

 「俺が星林を応援するというのは、彼が俺と同じく独身人生を送ったからという共通点だけだ。演説がいいとも政策がいいとも思わない。ということは、田舎者が、地元出身だから応援する、同窓生だから応援するというのと変わりないではないか。そういう連中を馬鹿にしてきた俺なのに」。譲二はふと若い頃聞いた欧州の諺を思い出した。「若い時に共産主義にならない者は人間ではない。年とっても共産主義であり続けるのも人間ではない」。今思うと然りである。若き日は全共闘運動に参加しリベラルを標榜した自分が、社会に出るため保守を装い、そのうちに本当の保守になってリベラルを軽蔑するようになった。譲二の年齢になるとイデオロギーなど問題ではない。苦しみも楽しみも半ばする人生の航路の果て、自分と共通の人生を送ってきた者に愛着を感じるだけなのだ。「ま、昔流にいえば、年取ればダラ漢になるってことさ」。

 もうひとつ、譲二の心中が定まらないのは、なぜ美青年に心を奪われ、森樹里と会うことに喜びを感じるかである。「俺は、もしかしてゲイなのか、それとも、本当は女性に興味があったのか」。四月の陽気は、老体の譲二に陽炎のような青春の感覚を回帰させた。

 

 

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2024年 Twenty Twenty-Four (24) 独りの理由

2021-03-12 11:24:46 | 社会問題

 譲二は、翌日も、あのコンビニに行って、美男子に会おうと思った。コロナから三年経った今も、アクリル遮蔽やマスクが接客者のエチケットとされ、かの青年もマスクをしていたせいで、どれだけ美男子か知ることができなかった。譲二はそれを確かめたかったのだ。日中テレワークの合間、コンビニに向かうと、コンビニは閉店していて、張り紙があった。「無人コンビニに改装しますので、1か月休業いたします」。確かに、既に多くのコンビニが無人店に切り替わり、店に入って商品を選び、店を出るときには生体認証で自動的に清算するようになっていた。しかし、譲二のような独身者は、少しでも人との会話を増やそうと、わざわざ有人店に来ていたのだ。「そうか・・・残念だ」。

 コロナは人との接触を減らすため、このようなAI販売が圧倒的に増えた。中には、整体のようなサービス業ですら、ロボットによるマッサージに切り替わり、時間単価は下がったものの、整体師との会話は無くなった。譲二は、筋肉をほぐすというよりは、整体師との会話が楽しみだっただけに、行かなくなった。「独身者にとって、なんてつらい時代だろう」。譲二は思った。コロナ前からそういう時代が来ると予告されてはいたが、コロナによって周囲は一挙に自動化してしまったのだ。郵便局や宅配便までドローンを使って雨除けビニールに入った手紙や品物を届けるようになった。タクシーも無人で、スマホの位置情報ですぐに来てくれる。

 「コロナ後のAI社会は、一人で生きる便利さと一人で生きる寂しさが増長される」。誰にも邪魔されないで自由に生きられるものの、誰からも構ってもらえない社会だ。「いや、待てよ。監視社会だから、誰にも邪魔されないというのは大間違いだ。思想まで支配されて、社会に邪魔な人間はスマホや監視カメラで感知されて、勝手に精神病院に措置されるシステムができた」。考えたのは星林義夫で、彼の書いた爆発的ベストセラー「我が闘争2024」は、今や政治に反映しようと政権掌握直前にあるのだ。「俺は彼を応援しようと決めたが、リベラルに生きた俺の人生は最後にどんでん返しとなるのだな。でも、独身で生きた男には限りない親近感を覚えるのだ。どうしても応援したい」

 譲二は、独身者の書いたものを好んで読んだ。若い頃からの愛読書はニーチェだ。ニーチェの無神論やニヒリズムは譲二の性格を作り、ニーチェが言い放った「女性を創造したのは神の間違い」には納得した。ついでに、女性の独身者の本も彼はよく買って読んだ。上野千鶴子教授の「ミソジニー(女嫌い)」は好きな本の一つだ。「上野さんと言うとマルクス主義フェミニストと思われているが、そんなに狭くない。彼女は社会科学者だ。ミソジニーでは、東電OLがエリートでありながら窓際の苦しさを、使っていなかった女の武器を使うことで逃れようとした。それが売春だった。すごい分析だ。ベストセラー『負け犬の遠吠え』の酒井順子は、女子校卒で、女の集団での勝ち負けにこだわった。これも目からうろこの分析だな」。

 「だけど、そんな上野さんが一般人向けの講演をすると、なぜか自分の生き方が素晴らしいになってしまう。つまり価値観が入ってしまうのだな。家庭人は馬鹿、男に媚びるのは馬鹿、職業人として貫け、と。独身を恐れるな、おひとりさまの死に方を処方しようということになる。ま、俺にはもってこいの考え方だが」。譲二も、上野教授の主張するおひとりさまの死に方に賛同する。「お節介はやめてほしい。孤独死は決して悪い死に方ではない。一人暮らしが増えた日本では、救急車を呼んでくれる人がいないから、自然死が増える。それは、むしろ自然だとみるべきだ。猫も野生の象も死ぬときはどこかに隠れて独り死ぬ。万人監視の病院や家族に看取られての死がそんなにいいものなのか考え直すべきだ」

 譲二は一人でぶつぶつ言いながら、大通りに出た。すると、星林義夫の宣伝カーが駐車して、演説の準備に取り掛かっていた。本人はまだ現れていない。立て看板には、「星林義夫演説 午後1時」とある。あと一時間待つべきかと譲二は考えた。そのとき、演説準備中の背の高い青年が目に留まった。間違いなく、昨日コンビニで見たあの美男子である。マスクを外し、往年のアラン・ドロンのような面持ちをした男が、マイクを調節していた。譲二は彼に近づいた。

 「あの、昨日コンビニでアルバイトをしていた方ではないですか」。青年は顔を譲二に向けてにこやかに笑った。「へえ、よくご存じで」「だって、あなたのような目立つ姿の人は直ぐにわかりますよ」。青年は少し渋い顔になった。譲二は続けた。「私は、星林を応援します」「有難うござます。私も応援しているだけでは足りなくて、選挙の手伝いもするようになりました。日本を変えなければと思いましてね」「あなたのような若い人でもそう思うのですか」「え?若いからこそ日本を変えなければと思うのです。むしろご主人のような年配の方が星林を応援して下さるというのは珍しいですよ」「事前調査では圧倒的多数が彼を支持しているではないですか」「調査の内容を見ると、支持者は60歳未満です。それ以上の人は尊託光明党か、今回から始まった電子投票のやり方が分からないので投票しないかのどちらかです。それでも星林は圧勝するでしょう」

 青年は「時間が迫っているので、これで失礼」と遠ざかろうとした。譲二は肝心のことを聞きたかった。「あ、ちょっと待ってください。私は独身者で、星林もそうですね。あなたも、私みたいに、独身に親近感を持たれますか」「ふふ。私はゲイです。普通の結婚をするつもりはありません」。あっさりと言って、青年は宣伝カーの中に入っていった。譲二は呟いた。「あと一時間、待とう。星林よりも彼を見たいから・・・彼が美しいのはゲイだからだ。ゲイは美しくてナルシストだから、美しさを人工的に作り上げる女性が嫌いなんだ」

 

 

  

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