トランプを大統領にしたのは、そもそもアメリカ中西部のラストベルトに住む下層の人々だ。終戦後、幼い日々、道をキャデラックが走るのを見、毎日厚いステーキを食べて大きく育った人々だ。父親は車工場に勤め、手を油で真っ黒にして帰宅すると、その手をわざと子供たちに押し付け、子供たちは笑いながら逃げ回るのが日常だった。あの日々が帰ってくるという幻想をトランプ大統領は中西部ミシガン、オハイオ、インディアナ、イリノイ州などの人々に与えた。そこは地平線まで続くコーンベルトで、豊かさは、農業と自動車産業にあった。子供たちは、大学に行く必要はなかった。高卒で十分に豊かな生活が約束されていたからである。
しかし、20世紀後半からは様相が変わった。ベトナム戦争への関与で経済が疲弊し、製造業の優位性を失い、さらに対テロ戦争で財政赤字に陥ったアメリカは変わった。アメリカの中心はITイノベーションを遂げたカリフォルニアと世界の金融を握る東部エスタブリッシュメントに移った。東部アイビー大学でMBAを取った連中がウォール街にはびこり、西部のスタンフォードやバークレーで理数系学位を取った連中がシリコンバレーにはびこった。中西部でのんびりと育った人々は取り残された。しかし、トランプ大統領は、輸入品に関税をかけて製造業を取り戻し、アメリカの物はアメリカで生産し、再び豊かさをもたらすと叫び、ラストベルトの人々はトランプに投票した。
だが、実際にトランプが大統領に就任して関税政策を始めると、ただでさえ新型コロナで上がった物価に苦しむ人々の生活が脅かされ始めている。この現象が顕著になったときには、真っ先にトランプ離れをするのはラストベルトの人々だろう。なぜなら、生活が苦しい。やがて、どんなに関税をかけても、アメリカの自動車産業が日本やヨーロッパに追いつくだけの技量はもはや持たないことは明白になってくる。中西部の人々は、東部エリート出身のトランプに「だまされた」と思い始める。トランプ自身は大金持ちに生まれ、東部名門ペンシルベニア大ウォートンスクールの出身だ(MBAは取っていない。学部卒)。もし、中西部ラストベルトの人々がトランプに背きだしたら、トランプは、それでも、「庶民の大統領」として働き続けるだろうか。それとも、トランプの真意は、知識人の集まりである民主党や隠然と権力を握るディープステートを打倒するために「中西部ラストベルト」を看板にしたにすぎないのか。
否、トランプの理想は、アメリカ人が外からの干渉や流入なしに孤立して繁栄することに変わりはあるまい。ただし、読みは甘いだろう。東部もカリフォルニアもディープステートも知能抜群の人々の集まりだ。束になってかかってきたら、果たしてトランプは耐えうるであろうか。トランプが用意したカードは、西部ITエリートに対してはその最たるエリートであるイーロン・マスク、中西部ラストベルトに対しては、まさにその出身である副大統領JDヴァンスである。ヴァンスは、そのベストセラー「ヒルビリーエレジー」で自分がいかに田舎者であるかを書いた。イェール法科大学院に行って同級生から、テーブルマナーを知らないことなどで笑いものにされたことを吐露している。トランプは本気で田舎者を副大統領にしたことを彼の存在は印象付ける。ただし、彼への批判は、田舎者から抜け出すためにイェールに行き、東部エスタブリッシュメントになったことだ。
中西部ラストベルトの人々がトランプを捨てる時が来れば、アメリカは「元通り」になるかもしれないが、しかし、好戦的で、経済階層が二極分解したアメリカに帰りたいと思う「庶民」がどれほどいるだろうか。結果は4年後明らかになろう。日本では、2009年に政権交代が起きたが、長年農民の味方であり、保守的価値を志向する「田舎者」の味方だった自民党が、こども手当や後期高齢者制度廃止を訴え庶民を演じるかに見えた民主党に負けた。しかし、3年後には政権復帰した。本物の田舎者は、庶民を演じる嘘の田舎者である民主党の実態を見破ったからだ。アメリカ庶民は、エスタブリッシュメント出身のヒラリー・クリントンと多様性の象徴カマラ・ハリスにはうんざりだ。それくらいなら粗野なトランプでいいと2回にわたって女性候補を退けた。トランプを継ぐのは本来の田舎者JDヴァンスなのだ。筆者には超デジタル時代のパラドックスとも思われるが、田舎者感覚が政治を動かしていると今の現状では信ずる。
翻って、QUADの首相たちはどうか。インドのモディ首相は下層のカースト出身で、わざと英語を話さない田舎者である。ただし、政治の腕力はすごい。オーストラリアのアンソニー・アルバジーニー首相は労働党の党首であるが、貧しい母子家庭で育ち苦学してシドニー大学を出た人で、出身は都会シドニーだが田舎者である。日本の石破首相は、世襲議員であり、慶応ボーイ、銀行勤務で、島根で学校生活を送ったとはいえ、シティボーイであるはずだ。ただ、その容貌と性格から田舎者風ではある。地方に人気があるのは田舎者を演じているからだろうか。QUADを強調するのは、日本とオーストラリアだけで、アメリカとインドの出方はまだわからない。トランプも含め田舎者・田舎風の領袖たちがこの枠組みを使っていくのかどうかは未知である。田舎者の票を得て政治エリートになった者が田舎者であり続けることは許されない。QUADのコンセプト、対中国政策を顧みる時期が来た。