大泉ひろこ特別連載

大泉ひろこ特別連載です。

アメリカの視点で日米印豪を考える(9)田舎者が動かす政治

2025-03-18 09:30:24 | 社会問題

 トランプを大統領にしたのは、そもそもアメリカ中西部のラストベルトに住む下層の人々だ。終戦後、幼い日々、道をキャデラックが走るのを見、毎日厚いステーキを食べて大きく育った人々だ。父親は車工場に勤め、手を油で真っ黒にして帰宅すると、その手をわざと子供たちに押し付け、子供たちは笑いながら逃げ回るのが日常だった。あの日々が帰ってくるという幻想をトランプ大統領は中西部ミシガン、オハイオ、インディアナ、イリノイ州などの人々に与えた。そこは地平線まで続くコーンベルトで、豊かさは、農業と自動車産業にあった。子供たちは、大学に行く必要はなかった。高卒で十分に豊かな生活が約束されていたからである。

 しかし、20世紀後半からは様相が変わった。ベトナム戦争への関与で経済が疲弊し、製造業の優位性を失い、さらに対テロ戦争で財政赤字に陥ったアメリカは変わった。アメリカの中心はITイノベーションを遂げたカリフォルニアと世界の金融を握る東部エスタブリッシュメントに移った。東部アイビー大学でMBAを取った連中がウォール街にはびこり、西部のスタンフォードやバークレーで理数系学位を取った連中がシリコンバレーにはびこった。中西部でのんびりと育った人々は取り残された。しかし、トランプ大統領は、輸入品に関税をかけて製造業を取り戻し、アメリカの物はアメリカで生産し、再び豊かさをもたらすと叫び、ラストベルトの人々はトランプに投票した。

 だが、実際にトランプが大統領に就任して関税政策を始めると、ただでさえ新型コロナで上がった物価に苦しむ人々の生活が脅かされ始めている。この現象が顕著になったときには、真っ先にトランプ離れをするのはラストベルトの人々だろう。なぜなら、生活が苦しい。やがて、どんなに関税をかけても、アメリカの自動車産業が日本やヨーロッパに追いつくだけの技量はもはや持たないことは明白になってくる。中西部の人々は、東部エリート出身のトランプに「だまされた」と思い始める。トランプ自身は大金持ちに生まれ、東部名門ペンシルベニア大ウォートンスクールの出身だ(MBAは取っていない。学部卒)。もし、中西部ラストベルトの人々がトランプに背きだしたら、トランプは、それでも、「庶民の大統領」として働き続けるだろうか。それとも、トランプの真意は、知識人の集まりである民主党や隠然と権力を握るディープステートを打倒するために「中西部ラストベルト」を看板にしたにすぎないのか。

 否、トランプの理想は、アメリカ人が外からの干渉や流入なしに孤立して繁栄することに変わりはあるまい。ただし、読みは甘いだろう。東部もカリフォルニアもディープステートも知能抜群の人々の集まりだ。束になってかかってきたら、果たしてトランプは耐えうるであろうか。トランプが用意したカードは、西部ITエリートに対してはその最たるエリートであるイーロン・マスク、中西部ラストベルトに対しては、まさにその出身である副大統領JDヴァンスである。ヴァンスは、そのベストセラー「ヒルビリーエレジー」で自分がいかに田舎者であるかを書いた。イェール法科大学院に行って同級生から、テーブルマナーを知らないことなどで笑いものにされたことを吐露している。トランプは本気で田舎者を副大統領にしたことを彼の存在は印象付ける。ただし、彼への批判は、田舎者から抜け出すためにイェールに行き、東部エスタブリッシュメントになったことだ。

 中西部ラストベルトの人々がトランプを捨てる時が来れば、アメリカは「元通り」になるかもしれないが、しかし、好戦的で、経済階層が二極分解したアメリカに帰りたいと思う「庶民」がどれほどいるだろうか。結果は4年後明らかになろう。日本では、2009年に政権交代が起きたが、長年農民の味方であり、保守的価値を志向する「田舎者」の味方だった自民党が、こども手当や後期高齢者制度廃止を訴え庶民を演じるかに見えた民主党に負けた。しかし、3年後には政権復帰した。本物の田舎者は、庶民を演じる嘘の田舎者である民主党の実態を見破ったからだ。アメリカ庶民は、エスタブリッシュメント出身のヒラリー・クリントンと多様性の象徴カマラ・ハリスにはうんざりだ。それくらいなら粗野なトランプでいいと2回にわたって女性候補を退けた。トランプを継ぐのは本来の田舎者JDヴァンスなのだ。筆者には超デジタル時代のパラドックスとも思われるが、田舎者感覚が政治を動かしていると今の現状では信ずる。

 翻って、QUADの首相たちはどうか。インドのモディ首相は下層のカースト出身で、わざと英語を話さない田舎者である。ただし、政治の腕力はすごい。オーストラリアのアンソニー・アルバジーニー首相は労働党の党首であるが、貧しい母子家庭で育ち苦学してシドニー大学を出た人で、出身は都会シドニーだが田舎者である。日本の石破首相は、世襲議員であり、慶応ボーイ、銀行勤務で、島根で学校生活を送ったとはいえ、シティボーイであるはずだ。ただ、その容貌と性格から田舎者風ではある。地方に人気があるのは田舎者を演じているからだろうか。QUADを強調するのは、日本とオーストラリアだけで、アメリカとインドの出方はまだわからない。トランプも含め田舎者・田舎風の領袖たちがこの枠組みを使っていくのかどうかは未知である。田舎者の票を得て政治エリートになった者が田舎者であり続けることは許されない。QUADのコンセプト、対中国政策を顧みる時期が来た。

 

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アメリカの視点で日米印豪を考える(8)ウクライナではない、QUADを使え

2025-03-11 09:37:35 | 社会問題

 今、世界の目は、ウクライナとイスラエルに向けられている。紛争解決の当事者は、トランプ大統領である。トランプは、ウクライナの安全保障はヨーロッパがやれと言い、国境を接するカナダとメキシコにも関税25%をかけ、MAGA、つまりアメリカ第一主義を貫くのに余念がない。この政策のためなら、同盟がなんだ、アメリカにとって得をしない同盟ならば不要だと言わんばかりだ。トランプ・石破会談は荒波を立てず、まずまずの滑り出しだったと報じられたが、その直後に日本にも例外なく関税をかけるぞ、日本がアメリカを守らない片務的な安保はおかしいぞとトランプ大統領は息巻いている。

 トランプは若き日の1989年、不動産屋としてニュー―ヨーク市の改造に乗り出したときに、日本がロックフェラーセンター買収したのを切歯扼腕して見ている。若き日の「ジャップめが」の思いは消えない。トランプはロシアの論理も理解し、一方的にウクライナを支援したバイデン前大統領の方針は決して継がない。こうなると、ヨーロッパと同様に、バイデンの尻馬に乗った日本は「梯子を外された」ことになる。ブッシュ大統領(息子)の時に、イラクは大量破壊兵器を持っているとして戦争を始めたアメリカに対し、日本、イギリス、オーストラリアの三匹のポチが賛同したが、結局大量破壊兵器はなかったとの報告に三者は何も文句を言わなかった。今回梯子を外されたヨーロッパは慌てている。なら、イギリスとフランスで停戦後平和維持軍を送ってウクライナの安全保障をしようなどと言い始めた。しかし、そもそもその停戦がトランプなしではできないのだ。日本は?お友達と思っていたヨーロッパから声もかけてもらえない。

 盲目的にアメリカに従う慣習の政治を顧みなければ、日本はやがて国益を失う。先ずはトランプが何に基づいて政策を打ち出しているのかを明確に突き止める必要がある。決して思いつきばかりではない。最近、トランプ施政背後の国際関係理論の名が挙がってきたのは、シカゴ大学のミアシャイマー教授の「攻撃的現実主義」である。彼はリアリスト(現実主義)国際関係論の系譜だが、大国は戦争を仕掛けるのが現実だと主張する。筆者が20年も前に読んだ「大国の悲劇 The tragidy of the great power」にそう書いてある。経済にとってカネが意味するものと同じなのが国際関係にとって「力」なのである、と書かれている。ロシアは、かつてアメリカと世界を二分した時代に比べれば大国の地位は落ちたものの、プーチンの頭の中では大国であり続けている。だから、ロシアはウクライナに侵攻したのだ。

 日本国政府もマスメディアもトランプに梯子を外されてもなお現実の認識に至らない。しかし、アメリカではミアシャイマー教授の解説がトランプの国際施政をよく説明するものとして受けている。ミアシャイマー教授の結論を急ぐと、アメリカにとって今やウクライナにかまっている時間はない。トランプの真の狙いは対中国政策であり、中露が友好関係にあるのはアメリカに不利な状況をもたらす。ここは、ロシアとの関係を修復し、対中国政策に集中すべきである。翻ってQUADは、対中政策のためにのみ意味があるのであって、ウクライナやイスラエルの問題にかかわる理由はない。日本としては、猿回しに踊らされる状況を認識し、むしろ休眠中のQUADをどうすべきかを考えるべきであろう。

 QUADは対中憎悪のための枠組みではない。その実、アメリカだって日本だってオーストラリアだって、国境問題を抱えるインドですら、対中国貿易が最大の国々なのだ。中国無しでは、産業や国民の消費生活に大きな影響が出る国々なのだ。中国の覇権を嫌うアメリカとインド、中国の配下となるのを恐れる日本とオーストラリアが、経済を離れて政治的意味で結びついているのだ。日本にとって、中国といかに付き合えば国益にかなうかは、QUADと連携しつつも日本が考えなければならない問題である。これは、トランプが嫌う多数国間協定であり、彼の好む二国間ではないが、だからこそ、この枠組みを活かして、アジアにおける貿易と国防を自ら考えていくための道具なのだ。アメリカの独断と梯子外しを予防する道具でもある。

 ミアシャイマー教授によれば、アメリカは、オバマ大統領が「世界の警察官を辞める、アジア中心主義をとる」と言ったのに対し、バイデン大統領がウクライナ侵攻を招き寄せたのは、そもそも間違いだった。アメリカは、ロシアにそっとしてもらい、中東から手を引き、中国との覇権争いをいかに収束させるかに集中する段階にある。共和党政権においてブッシュ(息子)のイラク戦争を除けば、ベトナム戦争の泥沼化、イランでの大使館人質事件の失敗、ルワンダの虐殺放置、そして、今回のウクライナ・イスラエル対策の長期化など、外交の失敗はほぼすべてが民主党の失策による。共和党政権を率いるトランプに期待がかかるのは当然である。戦争嫌いなビジネスマン・トランプが、必ずしも中国との関係を敵対に導くとは言えない。日本は後ろからアメリカについていくだけではなく、インド外交の力を借り、日本同様にアメリカ追随しつつも、オーストラリアが力を入れるASEAN外交を共に行い、いい意味でのトランプ離れをしてみせる時が来たのではないか。

 

 

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アメリカの視点で日米印豪を考える(7)ヴァンス副大統領とボブ・ディラン

2025-03-04 09:50:44 | 社会問題

 去る2月28日、ホワイトハウスで行われたトランププ・ゼレンスキー会談は、双方喧嘩腰の舌戦となって決裂した。ウクライナ・ロシア停戦と資源協定は棚上げになった。そもそも、二人の舌戦に火をつけたのは、傍らに座るヴァンス副大統領だ。ヴァンスは「トランプにもっと感謝すべき」とゼレンスキーに横から忠告した。ヴァンスは、民主党副大統領のハリスと異なり、大統領の会談に陪席し、単独でも、欧州ミュンヘンにおける安全保障会議では、トランプの持論を展開してヨーロッパの価値観や行動を批判し、欧州の不興を買った。まるで江戸幕府の将軍に付く御側御用人(おそばごようにん)のようだ。

 ヴァンスの口出しにより、会談が決裂したとすれば、これにはシナリオがあったのではないかと疑いを持つ。ヴァンスは実業家トランプとは異なり、ベストセラー作家であり、エール法科大学院に行くまでは、哲学を専攻した「変わり種」である。彼は、トランプ政権のものの考え方を支える人物と言っても間違いはない。トランプがディーラーとして直感的に立ち回る傍らで、足元の価値観を固めているのだ。事前にシナリオを描いたり、事後的にもせよ、トランプの発言の正統性を裏付ける役割を彼は担っていると思う。実際、会議は決裂したのではなく、ゼレンスキーが直後にイギリスのスターマー首相を始め、欧州の首脳協議において熱烈と言えるほどの支援を得た事実からみても、アメリカは、NATOと欧州は「自分の子供は自分で守れ、俺に責任を負わせるな」とのメッセージを送ろうと仕組んだような気がしてならない。

 ヴァンスがトランプに傾倒し、その哲学づくりをやっている背景には、彼は、プロテスタントからカトリックに改宗し、キリスト教原理主義を以て為政に関わろうとしている姿勢が見える。2月に行われたIRF (国際宗教自由)サミットでは、彼は、神学者でなければ知らない人物を例に挙げて宗教の自由政策をスピーチしたという。MAGA、つまりアメリカ第一主義は欧州に関与されない古い時代のアメリカを目指し、欧州が忘れつつあるキリスト教文化を取り戻そうとしている。これは、エマニュエル・トッドが語る「西洋の敗北」と図らずも一致した認識である。欧州は捨てられた我が子ゼレンスキーを抱えて、アメリカに対し、どうぞこの子にお恵みを、の行動に出ていくであろう。

 さて、話題が代わるが、今、ボブ・ディランの若き日を描いた「名もなき人」の映画が上映されている。筆者は観に行ったのだが、週末にもかかわらず、その観客の少なさに驚いた。アカデミー賞にもノミネートされている映画なのに、大きな映画館に数人しか観客のいない状況だった。もしこれが、ビートルズの映画だったら、満員の入りだったかもしれない。ボブと共演した反戦歌手ジョーン・バエズの映画でも、もっと人が来たであろう。ボブ・ディランは60年代から斬新な社会問題的な歌詞を唄った世界的なエンターテイナーであり、その歌詞である詩に対し、2016年ノーベル文学賞が授与された。ビートルズもバエズもディランも、戦後の平和の中で生まれてベトナム反戦に身を寄せた団塊世代(アメリカでは46-64年生まれ)に圧倒的人気を得た音楽家であった。日本人に受けなかったとすれば、彼の音楽は詩に意味があるのであって、リズムやメロディーではないからかもしれない。

 そのディランは、ヴァンスのように、途中で改宗している。ユダ人で当然にユダヤ教だったのがキリスト教福音派に改宗した。ただ、一説によると、再びユダヤ教に戻ったとも言われている。彼は、ノーベル賞授賞の時も、受けるのか否か相当に迷い、結局受けはしたものの、授賞式に現れなかった。「俺は普通の人だ。子育てを楽しむ普通の家庭に幸せを求めているだけだ」と語っている。映画の中でも、彼はよどみなく新たな詩を思い付き、それに曲を付けて歌えば、心に突き刺さる力があって多くのファンを得、また社会に影響を与えてきた。ただ、本人は、政治に関与していない、深い意味はないなどと言い、結果的に大スターになったのを苦々しく思っているように見せている。

 ディランは団塊世代にベトナム厭戦をもたらしたことであろう。スーパーマンやポパイなど強い男がアメリカから消えて行ったのも、もしかしたら、何気なく、さりげなく、熱狂する団塊世代に冷水を浴びせ、平凡に生きよ、のメッセージを届けたディラン効果なのかもしれない。これに対して、ヴァンスは、スーパーマンやポパイの再来を望む。それを具現しているのがトランプなのだ。ヴァンスは40歳で団塊世代の子供に当たる。団塊世代の少し上の83歳ディランとは経験してきた世界が違う。しかし、いずれも宗教にこだわり、価値の土壌を持たぬ世俗の在り方に批判的なのは同じだ。ディランとは異なりマリリン・マンソンのように徹底的な宗教への憎悪に向かったアーティストもいるが、自らは宗教人として世俗を揶揄したディランは今も音楽活動を続けている。

 ヴァンスも宗教と哲学の側面からトランプ政治を支え、世俗に訴える。古き良きアメリカに帰れ、もっとマッチョになれ、と。インドのモディ首相はヒンズー教至上主義であり、政策は市場原理を使い、外交はグローバルサウスの代表を自認し、どの勢力からも自由であることを勝ち取っている。もしかしたら、ヴァンスの夢はトランプがモディ風になることかもしれない。QUADはいかにインドを使うか、にかかっている。

 

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アメリカの視点で日米印豪を考える(6)石破訪米はQUAD発展につながらず

2025-02-24 14:12:01 | 社会問題

 筆者はこの欄で、ほぼ同時期に行われた日米首脳会談と日印首脳会談を比較して、トランプ大統領は石破首相を部下として「思いやり」の扱いをし、モディ首相を対等のパートナーとして淡々と扱ったと評した。アメリカにとって、QUADにおける日本とオーストラリアはアメリカにすがる部下であり、インドは、アメリカとの対外黒字を抱えつつも、必ずしも従わず、弱みすら握っている存在である。先ずは、アメリカがパキスタンを支援していた時代には、対抗してロシア(当時はソ連)と友好関係を持っていたインドは、今もその友好関係を崩そうとはしない。現に、ロシアから割安の原油を買い、ウクライナ戦争に関する米国発の経済制裁に乗っかる気はない。中国に関しては、アメリカもインドも関係悪化しているが、インドにとっては、中国は国境紛争の問題を抱えつつもグローバルサウスの両雄として、また、上海機構のメンバーとして、世界第三の勢力を共有する仲間という側面も持つ。

 インドは悠久の国と言われ、長い歴史を持つが、その文化を時代を超えて維持してきただけあって、日本のように、鬼畜米英から親米国へとあっさりと昨日までの縁を乗り換えてしまうようなことはない。ロシアとは原油だけではなく、武器も大量に輸入している。単純にウクライナにつくことはできない。筆者がインドに住んでいた80年代には、海岸で遊ぶロシア人の観光客を見かけたり、ロシア大使館の規模の大きさに驚かされたりしたが、量的な印露交流が今日まで続いてきたのである。他方、2020年に再燃した中国との国境紛争があっても、インドは中国にはかなわないことを知っていて、アメリカが中露結束にひびをいれようとすれば、それに乗る用意はあるものの、中国との直接的な対峙は今のインドにとって損でしかないことも知っている。インドは賢く外交を行う国なのである。

 インドは経済的にはアメリカにとって、かつインドにとって互いになくてはならない相手である。地球上の位置から、よく指摘されるのが、アメリカが夜の間に、英語のできるインドで、アメリカ企業のコールセンターとしての役割を担い、アメリカの企業活動を24時間続行できるメリットを授けている。また、IT企業のソフトパワーを担い、技術者不足のアメリカにとってインドの人材は必須でもある。このことがインドの経済発展をもたらしたと言われるが、他方で、欧米技術を身につけコツコツと製造業を発展させる中国の手法をとる必要がなかったため、国力で中国にかなわぬ状況を作り出しているわけだ。インドに住んだ筆者は、「インド人は頭が良すぎるが、中国人の狡猾さにはかなわない」と思っている。比喩を使うならば、眠れる象は草食動物、眠れる獅子は肉食動物で、眠りから覚めた後、肉食の馬力にかなわぬのが今のインドではないか。

 QUADはダイアモンド構想と呼ばれた時期もあったが、民主主義を標榜する4か国が、東にアメリカ、西にインド、北に日本、南にオーストラリアとダイヤモンド型の枠組みを作って自由で開かれたインド太平洋を築こうとするものである。だが、ここには、国際政治の重要な駒である欧州、中東、ロシアが入っていない。東アジアにおける中国牽制の仕組みであることは明々白々である。それぞれの国が中国を牽制しなければならぬ理由があるのだが、どの国も経済的には中国との結びつきが大きい。覇権競争を強いられるアメリカ、いつ国境紛争が再発するかもしれないインド、中国人ネットワークによって支配されることを恐れるオーストラリア、そして尖閣列島が中国によって浸食される危険を抱く日本が、そろって中国への牽制枠組みを作ったのである。QUADの意味はここに尽きる。

 4国を比較してみれば、日本の中国牽制理由が一番軽いように思われる。そもそも、外交史上最悪とも思われる民主党政権時代の尖閣の国有化が中国の要らぬ関心を買ったとも言え、日本の個別の外交が下手だったせいで、今や後戻りできないところまできた。日中友好条約締結の時に「尖閣は触るなかれ、棚上げにすべし」とした外交を下手にひっくり返した政治を恨むべきである。そして、アメリカ大統領に尖閣の有事は日米安保の範囲にあるとの言を得て安心しているのは自分でケガした傷にガマの油でも塗っていればよいとの発想だ。アメリカは一貫して、尖閣を含め沖縄返還の際に、日本の領有権は認めないが施政権は返還するとだけ言ってきたのだ。不勉強な政治家のミスなのか、外務省の怠惰なのか知らぬが、4か国一緒になって中国を牽制しましょうなどとうそぶいているのは日本だけではないか。

 トランプ大統領がアメリカ第一主義を掲げるのは日本にとってチャンスであり、トランプ大統領は、すがりつく同盟国を潔しとしない。アメリカにとって得にならない同盟関係ならば、対価を払うか同盟をやめてもらうしかない。現に日本以上の同盟関係にあったNATOに対し、トランプは、もっと金を出して自分たちでやれ、と言っている。NATOなどあてにならないから、グリーンランドを買ってロシアの牽制は自分たちでやろうともしている。移民にやさしい、多様性にのめりこむヨーロッパに対し、極右政党を支持して「価値観を変えろ」と叫んでいる。

 さあ、日本はどうする。今まで尻馬に乗ってきたウクライナ支援は、トランプ政権の下ではできない。石破首相は就任後最初にASEANのインドネシア、マレーシア訪問を行い、一時は外交プロを思わせたが、ASEANがそれによってQUADに力を貸すことはない。むしろ、ガザ侵攻によって、イスラム国家であるインドネシアもマレーシアもアメリカ離れを宣言しているようなもので、アメリカの「部下」石破首相の到来が何かを変えることにはならなかった。しかも、トランプ会見の後石破氏は「外交の石破」とまで豪語するようになったのだから、ASEANの心は動くはずがない。QUADにとって、おそらくは最大の駒となりそうなASEASNはフィリピン等を除き、むしろ中国側につく可能性も高いのではないかと思われる。

 

 

 

 

 

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アメリカの視点で日米印豪を考える(5)敢えてトランプを擁護すれば

2025-02-18 10:10:20 | 社会問題

 現下の日本のニュースは、一国の総理の言動よりも、トランプ米大統領の方が頻繁に登場する。自動車関税はどうなる? アメリカ湾と改名したメキシコ湾の旧名を使っただけでマスメディアは追い出される、イーロン・マスクDOGE(政府効率化省)長官の激しい首切り等々話題に事欠かない。これら一連の動きは、バイデン政権の匂い消しと歴代民主党政権の政策否定がねらいである。そもそもハリス前副大統領との大統領選で言われていたのは、民主党=知識人 対 共和党=庶民 の戦いと言う構図だった。庶民が勝った、ならば、知識人のやって来たことを否定すべきだと言うのがトランプ大統領の本音だ。

 トランプ大統領は、小泉純一郎首相を思い起こさせる。とにかくわかりやすい、ワンフレーズポリティックスに庶民は引き込まれた。小泉氏は、しかし、庶民の出ではない。自民党では珍しい伝統を否定する新しいタイプの政治家だっただけだ。料亭ではなくイタリアレストランで会食し、勲章は拒否し、ブッシュジュニア大統領の前で、エルビス・プレスリーを演じるひょうきん者だった。その軽さ、爽やかさが庶民に受けたが、彼の政治は振り返ってみれば庶民泣かせの市場原理の敷衍だった。トランプも庶民の心を掴んだ大統領だが、金持ちの息子として生まれ、ペンシルベニア大ウォートンスクール出のアイビー学歴を持つ彼の本性がいつ出てくるかは分からない。

 政府の役人は、概ね自分が知識人と考えているから民主党寄りだ。アメリカ人と話すと、共和党支持だと馬鹿にされると思うのか、たいていは民主党だと言う。その中にはこっそりトランプに投票した人もいる。だから、トランプ大統領は、政府機関の効率化をやって、民主党寄りの政府を創り直そうとしているのだ。結果が吉と出るか凶と出るかはまだ分からないが、筆者には思い当たることがある。2003年、初めて衆議院選挙に民主党公認で出馬するとき、筆者の親元である厚労省の事務次官に電話で告げたところ、「今からでもいい、出馬を辞めろ。辞めたら許してやるが、出るなら、以後一切厚労省の敷居を踏むな」と言われた。筆者はとぼけて「なぜですか」と聞いた。その答えは、忘れもしない、「知らないのか、厚労省は自民党なんだ」

 現実問題として、厚労省は保育団体や理美容団体などを動かし、自民党の選挙に加担してきたことは公知の事実だ(公務員だから公職選挙法に抵触しないような方法を採ってはいたが)。しかし、省全体が自民党との認識であるとは驚かざるを得なかった。大蔵省や通産省のような経済官庁は、職員がどの政党から出ても「保険をかけて」応援していたのとは大きな違いだ。筆者は、落選を重ね、2009年、ついに当選したときも、厚労省は決して筆者に対する敵意を取り下げなかった。つまり、トランプが大統領になっても、政府機関は民主党色を改めることがないのは、筆者の経験と重なる。とかく政府のリストラはイーロン・マスクの独走のようにとらえられているが、むしろ、トランプこそがマスクを使って民主党の出先機関のような政府機関を潰したいと考えているはずだ。

 トランプ・石破会談の数日後、トランプ大統領はインドのモディ首相と会談を行った。この二つの会談は、首相がいずれも英語を使わなかったことで共通点がある。ただし、モディ首相は英語がわかっているのに、インド人民党の党首として、ヒンズー教至上主義者として、あえて母国語であるヒンズー語にこだわっているのに対し、石破首相はそもそも英語が話せないので、二者は異なる。モディは、彼の政敵であるネール・ガンジー一族の国民会議派の総理、インディラ・ガンジーもラジブ・ガンジーもアメリカ大統領との記者会見ではきれいな英語で発言していたのとは反対の対応をしたのである。心なしか、トランプはモディを対等と見、石破に対しては部下とみているように感じ取られた。トランプは対インド貿易赤字の解消にアメリカの原油等をインドが輸入することを主張し合意した。モディはグジュラート州首相時代から経済政策に長けた才能を発揮し、トランプ以上にディールのうまい政治家である。

 モディ首相との会談でも、トランプはQUAD、日米印豪の枠組みについて言及したと報道されるが、今のトランプ大統領はウクライナ停戦とガザ停戦で頭がいっぱいのように見える。もし、QUADを継続していきたいならば、ここは、日本の出番ではないか。トランプとの会談が無事終わったと胸をなでおろし、次には自動車関税で戦々恐々としている間にも、日本は新しい外交の一ページを開くつもりで取り掛かる必要がある。筆者は、最近とみに叫ばれているアメリカからの実質独立や、グローバルサウスを率いるインドの動向、アメリカの子分である日本とオーストラリアの仲間意識等、斜陽と言われる日本に大きな転機を呼ぶQUADの枠組みを大いに利用すべきであると思う。少数野党として予算成立に四苦八苦する中で、日本が内政以上に外交にチャンスを持つことを石破政権は知るべきである。トランプをうまく使うことを覚えよ、彼の再登場を日本へのチャンスと見るべきだ。

 

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