丙午チーム長からは、政権交代の準備で忙しいので、3日後に登庁せよとの連絡を受けた。翌日曜日、譲二は、予定通り、デジタル投票になって初めての選挙で、星林義夫に一票を投じた。結果は、AI事前分析の通り、星林のアンチコロナ政党の圧勝であった。星林が組閣するにあたり、マスコミは、内閣支持率は空前の90%越えとなると予想し、かつての小泉純一郎内閣や鳩山由紀夫内閣をはるかにしのぐと伝えた。「ふん、初めの高い支持率がいつまで続くかが問題だ」。譲二は、星林に投票しつつも、その政策に満足していたわけではなかった。むしろリベラルを標榜する団塊世代としては、独裁政治に進む可能性と監視社会の徹底に違和感を覚えざるを得なかった。「でも・・・独身で生きた男の人生に共感するのだ。彼は、この国を繁栄させたいと四六時中考えて生きてきたに違いない。俺も、芥子粒みたいな存在だが、日本をどうすべきかをずっと考えてきた」。それは、独身で生きつつも、男には「種の保存」の本能があるからだ。女は「自分の子供」を第一に考えるが、男は「集団の生存」を考える動物なのだ。
譲二は、三日後、丙午チーム長の指示通り登庁した。譲二が心で「ピッグ」と名付けたチーム長は、満面の笑顔で、彼の背後にある星林の肖像画は薔薇の花で縁取りされていた。「大井さん、私の狙いは見事に当たった。私は星林御兄をずっと支持してきたから、私の役人人生もこれで変わるはずだ」「公務員は中立でなければならないはずですが・・・」「君ね、中立と言ったって、思想及び良心の自由まで制約はできないだろう。星林御兄は一徹の思想を貫いた人だ。これで、55年体制から69年続いた保守政治も終わりを告げた」「何がどう変わるのですか」「簡単に言えば、国家資本主義に変わり、金の循環を良くして消費大国をつくり、その分、個人の権利は制限されることになる。それは、コロナのような疫病に対処する最善の方法であると同時に、マンネリを招いた21世紀の政治の復活を許さず、日本を経済成長の国にするのだよ」
「では、我々の丙午チームは何をすべきなのでしょうか」「勿論、再来年に迫った丙午をベビーブームにしてやることだ。コロナ禍の最中は生み控えが増え、少子化がさらに加速化したが、ここで我がチームは星林政権の下で一挙に回復策を実現するのだ」「どうやって?」「私には私の考えはあるが、君ら職員に提案もしてもらうつもりだ」「私の提案は移民です。一挙にということであれば、子供を産む年齢の女性集団が減っているのだから、人口学的に国内だけの解決は無理です」「そこなんだよ、私が君に言いたいのは。君は常に、かつてのリベラルの思想に染まっていて次の一歩が出せないんだ。子供を三人以上もうけた夫婦は、税金ゼロ、年金二倍にするとか、金銭的インセンティブを大胆に刺激するのだ」
「ずいぶん、下司な政策ですね。まるで豚が考えたみたいな」。譲二は、ピッグと話しているうちに頭に血が上ってきた。心の中では、俺から見れば小僧のような奴が、俺を「君呼ばわり」するのかといら立っていた。ピッグは、これまでにない譲二の反応に度肝を抜かれつつも、役人の習性で上司である自分の威厳を保とうとした。「大井さんね、今日君に来てもらったのは、他でもない、三日前に、君の心拍数から察知した結果、星林御兄の政策に批判的だと分かったからなのだ。このままだと、今の君の意見を聴いても、私が進めようとしている星林政権下での政策の邪魔になりそうだ。高齢の君には選択権を与えよう。辞表を出すか、思想矯正のクラスに入ってもらうかだ」「辞表を出したら、私は、年金受給権を放棄して就職したのだから、乞食になるしかないではないですか」「いや。星林御兄は、生活保護法を廃止するが、シビルミニマム法を立法し、職もない、年金もない人すべてに給付する」「それは月にいくらですか」「五万円だ。人口減と限界集落の増加で空き家が増えているので、その空き家で受給者が集まって共同生活をしてもらう。食べてはいけるよ。なんせ、消費デフレの脱却を重点政策としているからな」
譲二はこのまま続ければ、樹里が大臣になってその下で働いたら面白いかもしれないと瞬時に考えた。月五万円では、毎日のビールも買えない。一人暮らしで長く生きてきた譲二にとって今更共同生活などできるわけはない。「選ぶ余地はありません。その思想矯正のクラスとかに入るしか・・・ないと思います」。ピッグは、電話で大武を呼び出した。大武は直ちにやってきた。譲二を一瞥すると、薄笑いを浮かべ、ピッグに言った。「チーム長、やはり、そういうことなのですか」「ああ。よろしく頼むよ」。どうやら、譲二が来る前に、二人は、譲二の扱いについて同意ができていたらしかった。
「大井さん、それでは、私に付いてきてください」大柄な大武はチーム長の部屋を出て、のっしのっしと廊下を歩き、時々、譲二がついてくるかどうか振り返りながら、道案内をした。階下に降りて、鉄の扉のある部屋の前で止まった。「授業はここで行われます」「この部屋は何の部屋ですか」「特別会議室と思ってください。幸老省の建物には、第二次世界大戦の時の無名遺骨の霊安室や大臣のシャワールームや、人に知られていない部屋がいくつかあります。この部屋も思想矯正のための特殊な部屋で、一般職員は出入りしたことがないのです」。大武がカギを回して鉄の扉を開けると、扉の近くには五人の男が椅子に腰かけて順番待ちをしていた。その向こうにカーテンがあり、「授業」とやらはそこで行われているらしかった。
「では、大井さん、順番ですので、ここに腰かけてお待ちください。中から呼び出されたら、カーテンを開けて授業を受けてください。授業は一時間です」「ノートとかペンとか要らないのですか」「お忘れですかね、前にお話ししたと思いますが、授業はバーチャル拷問です。バーチャルですから、終わってみれば痛みも苦しみもありません。では、誤った思想からうまく寛解されますように。私はここで失礼します」。大武がドアを閉めたとたん、カーテンの向こうから、大きな悲鳴が聞こえてきた。五人の先客は恐怖で青ざめていた。