大泉ひろこ特別連載

大泉ひろこ特別連載です。

エージング・パラドックス(4)老人と国際結婚

2019-03-19 10:27:09 | 社会問題

 75歳の春男と秋夫は、例のごとく寿センターで朝から将棋指しに来ている。昼飯のお結びを持ち、空のペットボトルに冷たいお茶を入れて、終日ここで過ごす。血圧が高い、歯が染みるなどの健康会話を終えた後、一手一手に時間がかかり、二人ともトイレが近いので、たびたび中座する。「下手な考え休むに似たりだな」「お前のウマが邪魔なんだよ」「そら、王手だ」「待った」「待ったなしだよ」「待ったなしの人生は有りや無しや」。

 彼らは団塊世代より少々上だが、人生に「待った」をかけられることは少なかった。小中学校の勉強はそこそこにしていれば誰も文句を言わず、同級生の5人に1人は大学に行ったが、たいていの大学は金さえあれば入れた。春男は高卒で就職。好景気の時代、求人はいくらでもあった。秋夫も高卒後父親の店を継いだが、小商店も繁盛している時代だった。二人とも地域の顔見知りと結婚し、家庭を持った。しかし、90年代バブル崩壊後、春男の会社のボーナスはなくなり、秋夫の商売も大型店に押されて、ぎりぎりの生活を経験したのが「待った」だった。それでも、子供たちを大学に行かせ、老境に至った。いわば「逃げ切り組」だ。

 春男が切り出す。「先日亡くなった一郎君さ、奥さんフィリピン人でまだ50歳。子供はまだ13歳だよ」「彼は68歳だろ。早世だな」「彼の母親はうるさくて、最初の嫁さんが追い出されてしまった。子供もなかったしね。で、50歳過ぎて若いフィリピン人と結婚したんだ。奥さんいまだに日本語が下手だし、これからどうやって暮らすんだろう」「一郎の母親が彼の人生に待ったをかけたのが因果だね」「そうだよ。だから、待ったなしで、この勝負は、俺様の勝ちだ」。

 二人の住む地域でも、国際結婚は少なからずある。昔は、国際結婚といえば、白人の男と日本人の女がイメージであったが、今は日本人の年老いた独身の男と年の離れたアジア人の女が典型だ。結婚仲介事業者が存在し、少子化社会の恰好のビジネスともみられている。早世した一郎君以外にも、金満家の次郎君は、60過ぎて20歳以上も下の中国人と結婚したが、ある日、帰宅すると家はもぬけの殻で、銀行預金は使い果たされていたことを知った。日本のどこかに住んでいるらしいが、彼女は見つかっていない。「それでも、次郎は、一人で老後過ごすより、彼女にいてもらいたいんだってさ」「馬鹿だね。それって、彼女が文化的待ったをかけたってことだよ。つまり、日本文化の中でやっていけない、さよならを言われているのに、次郎はわかってないな」「俺にはわかるよ、男って寂しいからな」。秋夫はそう言った。

 安倍政権で入国管理法の改正が行われ、実質的に移民が増えることになる。現在50歳時点で生涯未婚の男性は2割強。2030年、つまり、10年後には3割になると推計される。この法改正がさまざまの影響を及ぼすが、少子化対策として、良いか悪いかを別としても、「花嫁労働力」に使われる可能性もあろう。もし、それが日本の生産性維持や人口維持に必要であるならば、花嫁から「待った」をかけられない社会制度を用意する必要がある。日本はそこまで追い詰められているのだ。

 「外国の女とコミュニケーションできるのかな」「俺たち男って、女房とも話すことないもんな」「待ったなしの移民政策、安倍さんも結構、タブー破りをする大した総理大臣だな」「ほら、また、王手だ」「ちょっと、待った」。

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エージング・パラドックス(3)老人と金

2019-03-10 10:52:07 | 社会問題

 後期高齢者になったばかりの春男と秋夫は、中学時代の同級生だ。市が提供している寿センターで、ほぼ毎日将棋を指している。ほぼと言ったのは、病院に行く日以外という意味だ。春男が言う。「テレビによると、日本人の平均貯蓄額は1800万だそうだ。下がってきているとはいえ、高いな」「お前はそのくらい持っているだろう、サラリーマンをやってがっちり退職金もらったからな。俺みたいな自営業は、店閉じたあとは、基礎年金しかない」「いや、秋夫君よ、勤労者世帯のほうが貯蓄額は低いと聞いたぜ。君たち自営業者は、みな経費だと主張して我々みたいに税金払ってこなかったからな」「おい、春男君。今更、嫌みを言うなよ。昔から変わらないな」。

 春男は続ける。「俺たちの周りを見回しても、1800万持っている奴はいないな」「あたりまえだよ、それって平均額だろう。やたらに金持っている奴が平均を押し上げてしまうのさ。こういう比較は、むしろ中央値でしなければならない」「なんだよ、それ」「全員のちょうど真ん中に位置する人の貯金額のことさ。それは、1000万だよ」「うん、我々が持っているのはそのくらいだな」「お前、サラリーマンをやってたくせに中央値も知らないなんて大したことないな」「お前みたいに、自営業で毎日ソロバンはじいてこなかったからな。お前は守銭奴の将棋指しだよ」「また、嫌みか。だが、老人は守銭奴でなければ生きていけないよ。たかだか1000万円の貯金と基礎年金で暮らしているのに、人生百年なんて政府のキャンペーンやめてほしいな。平均寿命まで金が持つかどうかだ」。

 「何が高いって、国民健康保険料だね。それと窓口負担を合わせて、年間50万は使っているな。所得税と地方税は払っていないが、健康費用が大きすぎる。めし代なんか、女房と二人で一日1000円と決めているんだ」「へえ、春男君のうちは貧しい食事だね」「若い時さんざんうまいもの食ったからもういいよ。玄米と野菜炒め、時に閉店間際のスーパーで半額になった刺身を買うくらいだ」「最近の科学番組によると、かつては年寄りは菜食して、血圧を低くしろとか言ってたけれど、今は肉や魚を食べないと認知症になりやすいと言うようになったぞ」「認知症になっても、4つ年下の女房に介護してもらってあの世に行くさ」「そうか。俺んちは、自営で女房に働いてもらったから、彼女のほうが体が弱っている。腰が痛い、膝が痛い、眠れない。俺が介護することになりそうだ」。

 「俺たち老人ってさ、死ぬことは確実なのに、なぜかその日はずっと先のように思って生きているな」「そりゃ、春男君、神様が我々に死の恐怖を与えないように工夫してくれているんだ」「そんなもんかね。健康食品の宣伝を見るたびにおかしくなるよ。これ飲んで、痛みが治った、歩けるようになった、毎日ニコニコなんて言うが、じゃあ、いつ死ぬんだよ」「女たちは、一日中健康のことばかり考えていて、やれこのトクホがいいの、この野菜がいいのと情報交換している」「そうだよ。若い時はやれこの化粧品がいいの、こうやればきれいになるだの情報交換していたではないか」「で、男から見れば、ちっともきれいになっていなかったけれどね」「ま、人生は自己満足が大事ってことだ。少なくとも死ぬのは今日明日ではないと思ってこうして将棋指しているのも自己満足」。

 「だが、1000万ばかりの貯金とはいえ、銀行はどうなるのだ。メガバンクは顧客の需要にこたえられず、いまだに不良債権を恐れて融資もまままらず、大リストラが始まる。10年後には潰れるという噂もある」「預けていたって、利子はほぼゼロ。かといって株やるほど勇気はない」「だが、預けておくしかない。若い連中のように、口座も持たずに電子決済するとか。我々にはよくわからないもんな」「我々同級生の中で一番優秀だった冬彦君は、メガバンクを勤め上げたが、彼が言うには、今は、地方の信金や信組のほうががっばているそうだ。地域の活性化に融資する姿勢で取り組んでいるんだと」「そうか。メガバンクや大企業病が崩れてきたもんな。我々みたいに初めからそんなところと縁がなかった人間には喜ばしいことだ」。

 「秋夫君よ。日本はどうなるんだろう。メガバンクが破綻し、大企業も必ずしも年功序列を維持しなくなり、官僚は例の忖度で地盤沈下が激しく、政治は不倫と選挙事業ばかり。俺たち、いい時代を生きてきたんだなあ。混沌の時代を逃げ切ってあの世に行くのだろう。金がないことくらいは嘆かないことにしよう」。

 

 

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エージング・パラドックス(2)遺伝丸出しの老後

2019-02-26 09:51:40 | 社会問題

 年を取っていくと、姿が親に似てくるのと、兄弟姉妹が似通ってくるのに気付く。行動遺伝学の本によると(「日本人の9割が知らない遺伝の真実」安藤寿康著)、能力や性格に影響する遺伝の割合は、若年期よりも年取ってから高くなるという。つまり、遺伝だ、環境だの論争において、年取れば年取るほど遺伝の占める影響力が大きくなる。

 遺伝と特異体験(上記著書では、「非共有経験」が使われている)は、例えば青年期においても「良い家庭に育つ」という環境要因よりも支配力が強いそうだ。これは世の論調に逆らう事実である。世の中では、「金持ちで良い家庭に育ち、塾や家庭教師に金を出してもらって東大に入るのはずるい。格差を固定化する」と主張するのが大勢だが、この本の結論は、育て方や豊かさ等は、その人の能力に与える影響は小さいと、実もふたもないことを言う。

 年取ってくると、自己が築いた環境を受け容れ、特異体験も少なくなって、遺伝丸出しの人間になると言うことか。その上に、ホモ・サピエンスの年寄り集団は皆似通ってくる。若い時の美男美女はどこに?身長や容貌は若かりし日にあれほど差異が歴然としていたのに、特異体験もなくなれば、ぼんやりと目の前にかすむ残りの人生を眺めるだけの人生姿勢では、皆似通ってくるのは当然であろう。

 遺伝が支配する年寄り時代は、「俺も親父と同じがんで死ぬのか」「母のように認知症になって、子供に迷惑をかけるのか」と思いを馳せ、実際にその通りになる例が多い。最近では、高いカネを払って「遺伝子診断」をしてもらうことができるが、親と同じ疾病傾向を知るだけのことだ。アメリカの女優アンジェリーナ・ジョリーが、遺伝子診断に基づいて、乳がんになりやすい自分の乳房を切除したのは有名な話である。

 今後、遺伝子診断がますます盛んになり、自分のおおよその寿命を知って生きることになるのか。それに抗って、アンジョリーナのように、あらゆる手段で遺伝的体質を克服しようとするのか。夫々の価値観で選べばよい。だが、それよりも、老年期に、特異体験を増やし、遺伝丸出し人生から脱却することの方が重要ではないか。体は朽ちる、必ず死ぬ、だから、嘘っぽい化粧品と同じく嘘っぽい健康食品に依存せず、毎日を新たな経験で過ごすことの方がよほど幸せではないか。

 筆者の幼少時、1950年代、老舗の和菓子屋をたたんだ老夫婦が雛祭りなどの際に、近所の子供を集めて御馳走を振る舞った。ちらし寿司やお汁粉など、当時としては破格の御馳走であった。今考えるとなぜこのようなことをしてくれたのかは分からない。一人息子に孫はなく、老夫婦は自らその日を満喫していた。老夫婦は特異体験を作っていたのだと思われる。

 全国に4年制大学が800近くもあり、その4割は定員割れしている。今の年寄り世代は経済的理由などで大学に行かなかった人が多いが、学問は何にも勝る特異体験である。老人枠を決め、学位を取ろうとする老人は勿論、そうでなくても聴講生として認め、年寄りに特異体験を提供したらどうだろう。大学の経営にも、年寄りのウェルビーイング(幸せ)のためにも、最も役立つ方法と考える。

 

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エージング・パラドックス(1)記憶力

2019-02-18 09:08:33 | 社会問題

 物忘れは老人の特質である。記憶という貯蔵が減ったのではなく、脳の海馬機能が低下するため、記憶を取り出すことに支障が出ると説明されている。老人同士の会話で、「え~と、あの人何て名前だっけ」「あのブランド何て言ったっけ」と互いに言葉が出てこないことが多い。時間を経て「思い出した」「私も思い出したよ」と言いあう。だから、記憶がなくなったわけではなく、さらさらと出てこないのだ。大抵は固有名詞が出てこない場合が多く、モノの画像と言葉が脳の別のところに貯蔵されているからだとも説明される。

 「あれが何したから、こうなった」なんて会話は老人ではざらだ。むしろきれいな言葉で流暢に話すと驚かれる。だから、最近はやりのクイズ番組など老人には到底無理だ。難問のクイズを瞬く間に解く秀才の出る番組に、老人は、「ありゃ宇宙人だ」と思ってしまう。ただ、負け惜しみに、「記憶力がいいからと言って頭がいいとは限らない」とつぶやく。老人とて、人格が高まったわけではなく、ねたみと嫉妬と言い訳は捨てられない。

 だが、確かにその通りで、老人たちが学生のころは、大学受験でも、今のようにクイズみたいな難問はなかった。当たり前のことをきちんと理解していればよかったのだ。今では、塾に行って「技術」を学ばねば、そこそこの大学には入れない時代になっている。受験技術でクイズ力を養った若者たちが、必ずしも研究者や芸術家に向いているわけではないから、今の日本の知性は高まっていない。

 顔の面識力も記憶力の一つである。どこかで会ったが、誰だかわからない。ニコニコして、こんにちは、と言われると、あなた誰でしたっけとは聞けない。老人は羞恥心を失っていないのだ。当たり障りのない会話をして別れた後も、その人が誰だったか思い出せないのだ。悪い記憶はない、本当に親しい人でもない、つまり、その人のエピソードに欠き、まるで満員電車で隣り合わせたに過ぎない人としか思えないのだ。勇気を出して「あなた誰でしたっけ」と聞けばよかったと後悔するが、再び会っても同じことを繰り返すであろう。

 その人を思い出すには、その人のエピソードが必要である。それも、印象に残るエピソードでなければ、老い先短い老人にとって、「必要ない人」に分類されてしまう。狭い世界で生きる老人にとって、人生の「営業力」は落ちている。日々の暮らしに関係ない人は営業リストからどんどん落ちていくのだ。究極は、認知症になると、配偶者や家族のことも忘れたりする。たくさんのエピソードを持つ相手でも、もう自分の人生にとって必要な人ではなくなり、忘れてしまう。いずれ、あの世に行く時に、記憶を全て置いていかねばならぬから、早めに忘れてしまうということなのか。

 ピンピンコロリだの、人生百年時代だのと、言うは易く、行うは難しだ。老人は、置き去りにした記憶をめぐっていつも苦しんでいる。妙薬と宣伝されている物を飲んでみても、効きはしない。二千年も前、秦の始皇帝が不老長寿の薬を必死に求めたが見つからなかったのだ。二千年経ても事情は変わらない。老化の過程を受容し、今後はAI技術によって機能を補充することを考えるのがせいぜいではないか。

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読者の皆様

2019-02-04 10:32:15 | 社会問題

 昨年は「リベラチェ アット ハート」を連載し、その後、時折気ままに、「余禄」も綴ってきましたが、そろそろ次の連載に移りたいと思います。

 昨年11月、寺島実朗氏の「ジェロントロジー(老年科学)」の話をお聞きしました。寺島氏は、縁あって、数回にわたり、お会いし話を伺う機会に恵まれましたが、氏が専門のエネルギー問題や国際関係を離れ、ジェロントロジーに関心を持ったのは、都内新興住宅地の「元就職列車組」の一斉高齢化に衝撃を受けたからだと言います。

 筆者は、この1年は特に「少子化」に取り組み、幸い、当該ブログのホームページ・アイコン「少子化政策の提言」には多くの読者のアクセスを得ました。今回はこの連載欄においてジェロントロジーに挑戦しようと思います。

 思えば、1973年、田中角栄首相の下、福祉元年と言われたこの年、筆者は厚生省社会局老人福祉課に配属されました。前年には、有吉佐和子著「恍惚の人」がベストセラーになり、高齢化率7%を超えたばかりの日本社会(現在28%)において、超高齢社会予告編のような意味を持っていました。この小説の中で、老人性痴呆症(現在では認知症)のお祖父さんが亡くなった時、孫が「もっと生きていてほしかった」と言ったのは、今よりも高齢者に温かい気持のある社会であったと思われます。

 老人福祉課に当時有名だった森幹夫老人福祉専門官がいました。厚生省に入って、私の人生に最も大きな影響を与えた人です。1963年に老人福祉法ができてから10年余りでしたが、森さんは、つねに先を読んでいました。人としての尊厳を守る施設とはどうあるべきか、いつもそれを話していました。筆者が人事院の留学生試験に受かり、大学院を決めあぐねているときに、森さんから教えてもらったのは、全米で初めて、1965年に老年科学研究所(Institute of Gerontology)を創設したのがミシガン大学であることでした。人事院の留学生の殆どはハーバードやイェールなどのいわゆるアイビー大学に留学する中、筆者はミシガン大学を選択したのです。

 ミシガン大学行政学大学院(現在はフォードスクールと命名されている)で単位を修めた後、筆者は老年科学の教授の下で「アジア系移民の老人問題」を修士論文に書きました。今思えば赤恥のような内容ですが、大学で国際関係論を学び、国際社会に憧れていた筆者が生涯を厚生行政のテーマで生きることを決意した行動でありました。

 行政においても、海外生活においても、ジェロントロジーは私の興味をそそってきました。行政では、児童分野の方が長かったのですが、今回は、ジェロントロジーのテーマで書きつくることを試みます。数日後に海外出張を控えているため、2月半ば以降の書き出しとなります。どうぞご愛顧くださいますよう、お願い申し上げます。                                          

                                             2019年立春の日 大泉博子

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