大泉ひろこ特別連載

大泉ひろこ特別連載です。

QUAD日本篇+中国 (3)左系の中国志向

2022-05-20 22:31:21 | 社会問題

 共産党の志位委員長は、ロシアのウクライナ侵攻を責め、日本有事の時は自衛隊に守ってもらうと発言し、北方領土は四島ではなく、19世紀の平和時に日ロの条約で決めた「千島列島は日本領土」が正しく、それを返還してもらうべきと主張した。特に千島列島返還説については、多くの国民のネット上の賛同を得た。他の左系野党よりよほど明快だが、支持者は賛成意見なのであろうか。おしなべて左系有権者は異口同音に「福祉を増やせ、憲法を守れ、大企業に課税せよ、アメリカと手を切れ、中国を大切にせよ」と言うのを聞くが、所得の再配分を主張するのは分るけれども、外交は何故アメリカではなく中国でなければならないのか判然としない。

 野党にとって、外交は票を左右する課題でないことが多く、また、野党は外交の手段に恵まれていないため、内政に比べると論理の積み上げも足りないし、アピール力のある説明もない。「帝国主義アメリカは全てが悪いし、日本は中国を侵略した歴史があるから、その罪悪を償わねばならない」と単純な理由で有権者を納得させているのではないか。同様に、韓国についても、「日本は植民地支配したのだから悪者だ。彼らの言うことをもっと聞いてやらねばならない」の理屈抜きの感情的な意見ばかりが日本の左系の傾向である。世の中を強者と弱者に二極化、黒白をつけ、善悪に分けるのが常であり、それを語る政党幹部は突出して高学歴で、支持母体と必ずしもイコールではないと思われる。ただ、公平を期するために言えば、与党公明党にもその傾向があり、外交論議は底が浅い。

 しかし、中国は確実に変わった。特に21世紀になり経済力をつけ、習近平の支配になって変わった。孫子の兵法「戦わずして勝つ」の考えは無くなり、「策略をめぐらし戦って勝つ」姿勢が明瞭である。一帯一路政策は融資の返還ができない国の港湾租借権を獲得し、中国の「属国化」を図る。鄧小平の「トウ光養晦(能ある鷹は爪を隠す)」は消え、爪がむき出しになった。オーストラリアで親中派の政治家には迷わず贈賄するのだ。

 日本人に人気のある孫文や魯迅や周恩来を思い浮かべても、今の中国は全く異なる顔をしているのである。華為(ファーウェイ)は欧米から締め出されても中国政府の後ろ盾を得て活躍し、大企業家アリババは反政府発言で失脚するし、その権力の在り方は理解を超える。アメリカのような強者はけしからん、かつて日本がいじめた「弱者」中国を見直せなどど言ってられない。かつての弱者は、それこそ眠りから覚めた獅子であり、アメリカをも上回るかもしれない強者になっているのである。中国がかつて求めなかった海洋パワーを手に入れるため、尖閣諸島や南沙諸島の領有権を主張するに至っているのである。

 中国の強権的な顔は政府のものであって、中国人のものではない。中国人は、挨拶が「吃飯了嗎?」(ご飯食べましたか)というように、相手がきちんと食事ができているかどうかを気遣う文化を持ち、初対面でも、「我が家に餃子を食べに来てください」と誘い、実際に行ってみれば、大ご馳走を用意しているような人々だ。ただ、一方で、習近平が「虎も蠅も撃つ」と賄賂撲滅に乗り出した執政初期のころに、筆者は北京郊外の政府の「饗応施設」なるものを見学し、それを早速ブログにアップしたところ、すぐさま「削除してください」と友人に青い顔で窘められた。中国人は長い伝統を引き継ぎつつ、共産党の監視には神経を使って生きている様子が窺えた。

 習近平は毛沢東や鄧小平と同じく「終身のポスト」国家主席を得たと伝えられる。世界中を見渡せば、独裁国家のパフォーマンスは全て悪いわけではない。リークワンユーのシンガポール、マハティールのマレーシア、プーチンのロシア等、開発独裁の手法は国を発展させた。勿論、ナチスドイツを例にとるまでもなく、ルーマニアのチャウセスクなど恐怖政治も枚挙に暇がない。しかし、習近平自身が最もよく知るであろうことは、中国の歴史ではどの王朝も終わりを迎えるということだ。習近平が憧憬する中華思想も、中国大陸は中華思想の担い手漢人が一貫して支配したのではなく、北方の騎馬民族鮮卑、モンゴル人、満州人による王朝も長かった。純粋に漢人の国は、前漢、後漢、宋、明だけだ。つまり、中華復帰の中華は一貫しない、歴史のかけらの寄せ集めだ。

 インドと中国を比べるとこの二国は正反対のことをして来た。中国は、一人っ子政策で人口の鈍化が進み、今になって政策を撤回し二人、三人もよしとしたが、人々は一人っ子に慣れ、共産国家にも拘らず、教育費が高いから子供は一人で沢山と考える人が多数を占めるようになった。生産年齢人口が間もなく減少に転ずるであろう。インドは、ガンジー夫人の第一次政権の頃、80年代前後は、強制的な優生手術まで行われたが、反発が大きく、政権は崩壊した。インドはその後も人口が増え続け、間もなく中国を抜き、若年層が大きく生産年齢人口は世界一となる。コロナ対策は、中国がゼロ対策に拘り、現在経済の鈍化をきたしても封じ込めないままにあるのに対し、ほぼ何もやらなかったインドでは、一時感染者が日に百万と報じられたにもかかわらず、現在は集団免疫が自然にできて、沈潜している。

 インドは鄧小平の市場開放政策に学び、インド人民党の党首モディ首相の下で経済発展を遂げ、いわゆる「ガンジー王朝」時代の社会主義政策を捨てた。逆に習近平は、経済発展させた鄧小平を次第に批判するようになっていて、習の父を可愛がったと言われる毛沢東のイメージに迫ろうとしている。つまり、経済よりも政治ということか。中国は国境を接するインドに追い上げられることは決して望まない。中国にとって周辺国は夷狄(インドはむしろ南蛮というべきか)であり、遠方の覇権国アメリカよりも忌々しい。インドがアメリカ、日本、オーストラリアと組んでQUAD四か国パートナーショップに参加することは怒髪天をつく思いかもしれない。

 さて、話を元に戻そう。左系の根拠なき中国への思い入れは危険だ。過去への思いだけで国を判断すべきではない。少なくも、アメリカ、日本、インド、オーストラリアは為政者が民主主義的に交代するシステムを持つ。これらの国では独裁国家を形作ることは不可能だ。民主主義という価値にも疑問符が付されるような時代になっているものの、少なくとも独裁国家を安易に許す考えには警告を発したい。

 

 

 

 

 

 

 

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QUAD日本篇+中国(2)島国日本の役割

2022-05-15 15:46:52 | 社会問題

 島国根性とは、日本を揶揄するときに使われる表現だ。しかし、イギリスも島国であるし、大きすぎるがオーストラリアだって島国、世界には数多くの島国があって、それらがすべて共通点を持つわけではない。ましてメリットこそあれデメリットが強調される所以はない。最近とみに流行の地政学では、島国即ち海洋国家は大陸国家と対称を成すものとして語られる。島国の形を取らなくても海に出られる国スペイン、ポルトガル、オランダは、イギリス以前に世界を制覇した歴史を持つのは、海洋国家だからである。その意味では、アメリカも西部開拓後は太平洋・大西洋のいずれも世界につながる海洋国家であり、20世紀の覇者になった。海洋国家は歴史的にパワフルであり、島国であることはデメリットではない。

 日本は島国であるメリットがゆえに、外敵と戦うことが極めて少ない歴史を持ち、海が国境を定めてくれて、人種も文化も純粋に近い形で育むことができた。「文明の衝突」でハンチントンが日本を中国とは異なる文明に分類したのも、そのせいだ。だが、日本は大陸国家が何たるかは分らない。ウクライナ危機を歴史、人種、宗教などの観点から理解しようにも、身を以て理解することは叶わないだろう。日本人は大陸に憧れ、中国の王朝から、律令制度や宗教や文化をしこたま仕入れたが、こともあろうに、理解及ばぬ大陸の大国である中国を制覇しようとして米国に敗れた。その結果が今日の日本だ。 

 島国日本は、確かに、日清戦争と日露戦争では大陸国家に勝った。いずれも朝鮮半島の支配をめぐっての争いであったが、清は列強の支配に、ロシアは革命に向かう混乱に疲弊していた条件の下で勝ったのである。日露戦争は日英同盟が戦争直前の1902年に締結され、西欧のロシア嫌いが日本を助けた。しかし、島国日本は、日清戦争後は三国干渉に遭い、日露戦争に勝っても、最後は日ソ不可侵条約をやぶられて、北方領土を失うことになった。やはり、大陸国家との戦いはそもそも日本には無理だったのである。

 今の日本は、「憲法9条が日本を守ってくれる」との牧歌的な思い込みで、政治でも経済でもどんな分野でも世界を制覇しようなどとは考え及ばない。人口減と経済成長の鈍化は日本の国際的順位を下げるばかりであるが、戦後経済成長を享受した世代が高齢化するにつれ「あの夢よもう一度」は消えつつあり、政治経済でなくても、科学やものづくりにも十分な投資が行われていない。かつて自慢だった教育も学童の学力は北欧などにかなわない。もう日本が自慢できるのはアニメくらいしか残っていないかもしれない。大陸国家の中国やロシアに海上での脅威をもたらされ、大陸でも海洋でもない半島国家の韓国と北朝鮮とは最悪とも言える状況が続いた。水平線の果てまで視野のある島国のメリットをいささかも享受していない。一体、日本はどこへ行く?

 岸田首相は外務大臣歴が長いこともあって、労をいとわずASEANや欧州に足を運ぶが、G7の一員としての役割をこなすに止まり、ウクライナ危機についてもアジアの国々を引っ張るほどの力はなく、アメリカの意図を真実に知らされているようでもなく、日本はちんまりした「極東の島国」という印象である。ただし、これが正解なのかもしれない。よくわからぬ大陸国家の争いに独自性を発揮するほうが危険なのかもしれない。ならば、これから、バイデン大統領が来日の予定であるが、来たるべきQUAD会議において日本は何を主張するのであろうか。アメリカの要望だけを聞くことになるのか。

 筆者は、少なくとも韓国の新政権との会談を早く持つべきと思う。アメリカは文政権に懲りて韓国をQUADに引き入れる意欲が低い。日本は、韓国が大統領と野党支配の国会がねじれ現象にあっても、日韓関係を改善しようと意欲のある尹政権に、働きかける役割を率先して持つべきと考える。そのことが韓国の国民感情や政治を合理的な方法に向かわせよう。慰安婦問題も、徴用工問題も国際的に解決しているはずであり、韓国は国際社会の一員であり国際法に基づいて行動すべきこと、西側圏に属することを認識してもらうことがそれらの解決にもつながる。韓国がGDP世界10位の国にふさわしい国となるためには、儒教からくる秩序、即ち歴史的に冊封国家として中国の王朝の下にいた立場から、成り上がりの日本やアメリカは中国より下にあるという観念をいい加減に捨て、国際関係はリアリズムで動いていることを真に知るべきである。リアリストの隣人、島国日本こそそれを伝える役割を持つ。

 日本は残念ながらインドをリードすることはできまい。長い歴史にもまれた多民族国家インドは数段上手であり、既にQUADへの関りに独自性を出している。ODAを餌に、鉄道、高速道路への貢献を日本がいくら言っても、インドの信念はインドが決める、インド篇でその文化を紹介してきたつもりである。ならば、韓国誘致の次に来る日本の仕事は何か。AUKUSとFive Eyesに入るかどうかである。アングロサクソンの軍事同盟であり、情報同盟である。ただし、日本はスパイ防止法もなく、そもそも自衛隊が軍隊ではないと言っているのだから本格的な軍事情報を共有できる相手ではない。日本が欲するより前にほかのアングロサクソン国が日本を拒否するであろう。

 しかし、それでいいのか。ウクライナ危機で日本は完全に西側諸国の結束に誓いを立て、これまで以上に日米安保のゆるぎない同盟にコミットしたと思われる。ならば、情報機関もスパイ防止も可能な、確実な安全保障体制を創ることが望まれるのではないか。自民党の憲法改正案にある9条の2、自衛隊の明記を実現することにより、アングロサクソンの情報網に本格的に入れてもらう必要はないか。ウクライナが日本と同様の憲法で自衛権のみの戦いしかできず、ソ連崩壊の時に核戦力は全てロシアに渡したことが今日のウクライナ侵攻を許した原因ではないのか。日本は学ばなくて良いか。

 島国日本は、77年も平和を享受してきた。間接的には、朝鮮戦争やベトナム戦争に十分関わってきた。湾岸戦争やイラク・アフガニスタンなどのテロ戦争も、アジアにおける戦争ほどの緊張感はなかったにせよ、関わってきたことは事実だ。平和を標榜する島国日本は、本来ならば、世界のどこにでも出向く平和ミッションの役割があるやもしれぬが、日米同盟、G7西側諸国のアイデンティティは既に世界に知らしめた。ならば、フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」は終って、新たな21世紀の歴史では、鮮明なるアイデンティティの下で、国際政治の自らの役割を見出すべきだ。島国の本来の根性を見せるべきではないか。

 少なくも、韓国のQUADへの誘いとアングロサクソン情報網への参加の手段を取るべきである。島国日本は外に向けた発信をするのが本来の姿である。

 

 

 

 

 

 

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QUAD日本篇+中国 (1)隣は何をする人ぞ

2022-05-08 21:17:53 | 社会問題

 オーストラリア篇で紹介したクライブ・ハミルトン教授による中国共産党の脅威については、日本が中国に忖度し過ぎであることを著書において警告している。日本がオーストラリアと全く違うのは、中国との関係は紀元前に遡り、中国侵略の戦争を仕掛けた張本人でもあることだ。最近の研究では、稲作は朝鮮半島を経ずに直接中国から伝来したのであり、同文意識が強く、高等学校で習う漢文は日本文化の一翼をなす。明治の文豪は夏目漱石を代表格に、漢文に親しんだ知識人から成り立っている。中国は、日本にとって経済関係ばかりでなく特別の存在なのである。

 戦後の共産圏に関する報道は不十分であり、かつ真実を伝えられたとは思えない。それこそ60年代、毛沢東の文化大革命は、朝日新聞など左翼系のマスメディアでは好意的に伝えたとすら思われる。60年代末の全国を揺るがした学生運動の掲げる旗は、毛沢東の「造反有理」を標榜し、既にスターリン批判は受け入れられていたものの、中国で一体何が起きていたのかは謎のままだったと言ってよい。筆者も、当時大学生であり、毛沢東の革命を称賛したエドガー・スノウの「中国の赤い星」に魅せられていた。

 1972年、田中角栄首相と周恩来首相は日中国交正常化を宣言し、78年、日中平和友好条約が締結されたとき、日本人はもろ手を挙げて喜んだし、その心底には中国に対する罪悪感もあって、友好国になりたいとの気持ちは高かった思う。平和友好条約では、中国が日本に対する賠償を放棄し、日本人はその内情を悉知せず「中国人は大人」との印象を抱いた。1972年と言えば、沖縄返還の年であり、前年に、ニクソン大統領の極秘の命を受けてキッシンジャー大統領補佐官が北京に赴き、79年に米中国交回復を行うまでに漕ぎつけた。

 このような米国の動き、それに先立つ中ソ関係の悪化が、冷戦時代の日本にとっても中国との国交回復が必要になったのである。しかし、アメリカより早く行動し、条約も先に行った田中角栄はアメリカを怒らせ、その後のロッキード事件で首相の座を追われたと分析する本も出た。筆者はその専門ではないので、ただ一国民として、一日も早く中国に行ってみたいと思いを馳せた。その気持ちは、革命後の中国を見たいとの政治的意図によるものではなく、幼き日に聴いた李香蘭の歌や唐詩選のいくつかの詩が思い浮かび、大陸の風景が観たかっただけである。

 70年代には、戦後長らく一般人の海外渡航が困難だった時代が過ぎ、ジャルパックなどの比較的安い旅行商品が出回るようになっていた。筆者は日中平和友好条約の2年後、1981年に初めて大陸中国に行ってみた。上海では、街を歩くと外国人見たさにたくさんの中国人がぞろぞろと後をついてくるような、今では考えられないほど「閉ざされた中国」を感じた。皆が皆いわゆる地味な国民服を着、唯一子供服を売る店だけが明るい様々の色の服を売っていた。筆者は大学で一年、中国語を勉強し若干の会話ができたが、後からついてくる中国人たちは、海外の情報を知りたがって、喫茶店でコーヒーをごちそうしてくれた。汚い店で、砂糖の入りすぎたまずいコーヒーだったが、日本はどうなっている、世界はどうなっている、との質問攻めにあった。

 同行の高齢の紳士が昔住んでいた家を探すのを手伝ったところ、筆者の拙い中国語で探し当て、しかも、紳士の旧知の人が中に招じ入れてくれた。昼間でも暗い木造の古びた家だったが、大勢が一緒に住んでいて、「寝る場所が十分ないので、夜は代わりばんこで寝る」そうだ。そのせいだろう、上海は夜じゅう、街灯もない中、とてつもなく大勢の人々が動き回っていた。今のスカイスクレーパーだらけの上海からは想像もできない状況だった。

 租界地にあったブロードウェイマンションやキャセイホテルがそのままホテルとして使われていて、往時の贅を尽くした家具に驚嘆し、ラウンジバーでは、1930年代のジャズが生バンドで奏でられていた。市場では、生きた蛇の生皮を剥いで売っていたり、青空床屋が、木製の椅子に客を座らせハサミ一本で仕事をするのを眺めたりした。現在の中国では消えてしまった風景だ。家々も百年以上たっているであろう傾いた中に、そっとテレビを置いている人もいた。テレビは貴重で贅沢品だが、カーテンで覆って、持っていることを分からないようにしていた。持ち主のおじいさんは、昔、京都大学に留学したが、もう一言も日本語を覚えていないとのことだった。これらの家々は後に街が整理されて消えてしまった。

 その頃の中国で、ただの一度も日本人の筆者に敵意を表す人はいなかった。「共産中国では、落し物は必ず見つかります、泥棒はいません」とは旅行しながらよく聞かされた言葉だ。この時のことを思い出すと、風景も人々も完全に変わってしまった。のち、数年置きに中国を訪れているが、21世紀に入ってからは、行くたびに街が変わっていて、物価も高くなっていき、最初の旅行で得た、日本人がノスタルジアを感ずるような中国は、今やないと言える。ただし、豊かになる前の中国でも、さすがに食べ物だけは美味しかった。歴史の長い国の料理がうまいのは世界共通の事実だ。

 80年代の後半、筆者はWHOなどいくつかの国連関連の会議で、中国代表団の演説を聞いたが、いずれも「反帝国主義のプロパガンダ」ばかりで、議題と関係のないことを喋り捲っていたのを思い出す。当時の国際会議には、中国プロパガンダとアパルトヘイト反対の議論は常に語られていたのである。今やそれも昔話だ。中国は、国連機関のトップをいくつか占めているし、勿論、国連でも存在感を表そうとしている。

 筆者の世代は多かれ少なかれ中国と文化的な接点を持つ人が多い。それが単に三国志を読んだだけでも、オーストラリアとは異なる。オーストラリアは、政治も、港湾も、大学も、企業も、いつの間にか中国に乗っ取られるようになって、「中国のカネと市場が無ければやっていけない」と専ら経済関係だけに力を入れてきた政策を覆す必要性を覚えたのである。中国と長い深い文化的関係があるのではない。筆者は、クライブ・ハミルトン教授の本を読んでなおかつ、あの時の中国は良かったとの思い出が甦えり、すぐさま中国の脅威を認めることはできないでいる。

 しかし、近年訪れた中国では、ハミルトン氏が強調している事実に重なる経験もしていて、中国を語る時、あまりに長期的な視野で語るのはむしろ事実を鈍らせる危険があると感じている。中国の共産政府ができてから70余年、今の中国は、共産党がすべてであり、経済発展した覇権追求の国であり、その観点で真実を見出していくべきだろう。心温まる中国人との経験はとりあえず個人のエピソードとしてしまっておく必要がある。

 

 

 

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QUADオーストラリア篇 (10) ASEANがカギ(豪州篇最終回)

2022-05-02 00:19:35 | 社会問題

 ロシア侵攻が始まって以来、日本の関心はコロナからウクライナに移った。日本人にとって、歴史も地理も知らない国であったが、相変わらずのマスコミのワンパターン報道で、ロシアへの怒り、ウクライナへの同情、ロシアを真似るかもしれない中国への脅威が、日本の大方の世論となった。その中国は、先進国がコロナのピークアウトに向かいつつある中、ゼロコロナ対策にしっぺ返しを喰らい、経済回復を後戻りするほどのコロナ禍中にある。習近平体制にも影響が出よう。

 この状況の中で、対中国政策パートナーシップたるQUADにも若干影響が出てきた。先ずアメリカは、NATO加盟国でないウクライナに対し、後方支援は行うが自らロシアと戦わないと宣言していることにより、果たしてパートナーシップのリーダーとして頼れるかが問題である。インドはもともと友好国のロシアに対し、国連の非難決議は棄権し、西側の経済制裁には反対を表明している。日本はアメリカに従いつつも、軍事支援以外の支援にとどめ、オーストラリアはアメリカと同じ立場であるが、そもそもロシア同様資源輸出国であり、有効な経済制裁手段がない。つまり、パートナーシップは同盟ではないから、そろって同じ行動をとるのではないことが明らかであり、台湾有事の場合でも、自らが攻められたのでなければ、ウクライナの場合と同じ対応になる可能性がある。

 筆者のQUAD執筆の意図は、QUAD四か国にいずれも居住した経験から、それぞれの文化的土台を自己のエピソードに基づいて描いてみたかったところにある。必ずしも外交を語るのではない。ここまで書いてきて、四か国の中で、一番QUADへの思い入れが強いのはオーストラリアではないかと感じている。中国から喉元に剣を突き付けられているのはオーストラリアであり、アングロサクソンの大国アメリカとアジアの仲間、日本及びインドとの連携を強く望んでいる。いつの間にか、自国の政治家、企業、大学が買収されているのに気づき、中国の札束外交から逃れたい一心である。

 オーストラリアが学ぶべきは、オーストラリアの北に位置するASEAN諸国である。1967年、当時五か国で結成されたASEAN(東南アジア連合)は、今や十か国で、全体の人口が6億6千万人、GDPは日本の6割に当たる。タイを除いて欧米の植民地から独立し、概ね教育水準の高さと真面目さから経済発展を遂げ、EUとは異なって域内にボスを作らず、中国、インド、日本、韓国と並ぶアジアの大きな勢力となった。政治体制は共和国であったり、王国であったり、社会主義国であったりまちまちな上、宗教も仏教、キリスト教、イスラム教が共存し、大国におもねることなく、平和や経済に貢献し、現在のEUよりもはるかにうまく運営してきた国際共同体だ。

 しかし、近年は、中国の一帯一路政策の恩恵を受けると同時に、中国支配を警戒するようにもなっている。殆どの国は、日本とアメリカに友好的な国である。ベトナムは中国を嫌い、マレーシアは欧米を嫌い、ラオスは同じ社会主義国として中国寄りと言うように、いささかのバリエーションはある。しかし、近隣であるはずのオーストラリアはあまり意識されていないようだ。オーストラリアの方では、筆者が在住したキャンベラのオーストラリア国立大学において、東南アジアの留学生はたいへん多く、中国に次ぐ。その多くはオーストラリア側が奨学金を出していて、オーストラリアが近隣のASEANを取り込みたいという意図がはっきり読み取れる。

 特に多いのは、インドネシア、マレーシア、タイ、ベトナム、シンガポールである。極めて少ないがラオスからの留学生もいた。ラオス人は、英語ラオス語辞典がないので、英語タイ語辞典で勉強すると言った。ラオス語とタイ語は近くてお互い通ずるそうだ。しかし、ラオス人の彼女は「ラオス人はタイが嫌いだけれど」と付け加えた。日本人には、分からない国民感情だ。ベトナム人に至っては、口を開けば中国の悪口を言う。古代から現代まで、属国にされたり、中越戦争をしたりの相手だから、同じ共産国でも仲が悪い。マレーシアの欧米嫌いは、言うまでもなく、長期政権を築いたマハティール首相の「欧米ではなく、日本を見習え」のルックイースト政策の影響であり、アジア経済危機の時に欧米に罵詈雑言を浴びせたのも記憶に残る。

 インドネシアとマレーシアはもともとマレー人として同じ人種だが、中国系やインド系に比べるととてものんびりしている。ガツガツ勉強して早く学位を取ろうというようなところはない。ベトナム人は集団が好きで、いつも集まって長い時間かけてベトナム料理を食べているが、その時間が長すぎるせいか学位を取らないで帰る人が多い。これは意外だ。ベトナム戦争でアメリカに勝ったベトナム人を筆者は尊敬していたが、二世三世は先祖の粘りを受け継いでいないらしい。かくのごとき多文化多様性はオーストラリアならではの光景だ。

 オーストラリアはASEANと類似点が多い。先ず、植民地から独立した。そして、第二次世界大戦中に日本軍の攻撃を受けた。オーストラリアにとって攻撃を受けたのは、今の今まで日本だけなので、戦争博物館での日本の扱いは極めて大きい。そして、筆者が既述したように、その恨みは残っている。東南アジアも、大東亜共栄圏の名の下、独立を援助する名目で植民地化しようとした日本に対し、戦後長らく恨みを抱いていた。田中角栄首相が東南アジアを歴訪したときに火炎瓶を投げつけられ、田中首相は帰国して東南アジア友好の必要性を痛感し、ODA強化や新たに東南アジアの船という青少年の交流事業を始めた。その後、福田赳夫首相が東南アジア歴訪し互いの立場を尊重しあう「福田ドクトリン」を演説し、ASEANとの関係は改善した。

 オーストラリアも、シドニー湾急襲の恨み、アジアでの捕虜収容での恨みが残るのは分らないでもないが、捕鯨や従軍慰安婦問題で日本を責めるよりも、未来志向になってほしい。それは、近隣のASEANがとった道だ。今、日本に恨みを語るASEAN加盟国はないと断言できる。宗主国も植民地もアングロサクソンという歴史で、ASEANとは異なるプライドはあるのかもしれないが、経済的にも世界政治上もASEANはオーストラリアを凌駕しているところが多い。

 オーストラリアがASEANとの類似を認めるかどうかは別としても、白豪主義を完全に払拭するには、領土が大きいだけでは政治力が大きくなることはないので、人口の大きいASEANとの密接な共存を考えるべきであろう。APECはアメリカやカナダや日本が入っているので大きすぎるし、ANZUSやAUKUSは軍事同盟だ。もしかしたら、その地政学的特性から、オーストラリアはASEANと組むのが有効的に中国支配を断じる方法かもしれない。

 

 

読者の皆様

次回から日本篇(タイトルは日本と中国篇)を執筆いたします。どうぞ継続してご高覧ください。

 

 

  

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QUADオーストラリア篇 (9)シルバーコロンビア約束の地

2022-04-26 09:57:33 | 社会問題

 高度経済成長期の日本で、民間企業の給与が上がり、官僚の人気が落ちたころでも、大蔵省(現・財務省)と通産省(現・経産省)は日本を背負いたい若者の登竜門としての存在感を持ち続けていた。城山三郎の「官僚たちの夏」(1975年)に描かれた通産省における国際主義の勝利、同じく70年代に通産官僚の堺屋太一が書いた「油断」や「団塊の世代」は、文字通り、世界を闊歩する通産官僚の世界が描かれている。しかし、それは今は昔の話であり、90年のバブル崩壊以降は、財政均衡主義に拘泥した財務省も、アベノミクス第三の矢に失敗した経産省も、霞が関全体の地盤沈下に抗うことのできない存在に堕ちた。

 筆者出身の厚生省のような旧内務官僚から見ると、通産省は動きが早く、瞬く間に制度や政策を作り上げる組織であった。まさに城山が書いたように、国際主義が保護主義に勝ち、1968年経済大国二位となり、71年ニクソンショックで従来の円安環境が劇的変化した環境の中で、大企業は通産省の行政指導を不要とするようになった。彼らは、国際競争の世界に自ら身を投じて行ったので、バブル崩壊よりはるか前に通産省は手持無沙汰になったのだ。

 元気のいい者が仕事を奪われると、他者の仕事を奪うことになる。仕事が山ほどあった厚生省は狙われた。福祉機器の規格に手を付けたのは通産省が先であり、薬事行政を産業として発展させるのは通産省の役割だと叫んだ。現在では経産省に健康を与る部局がある。また、通産官僚は出世が早く、課長レベルで業界に飛び込む、あるいは天下りするのが当然であり、事務次官まで残るのが勝ち組とはいえない。だから、早く辞めて政界に出る人も多く、仕事の多い、ビジネスチャンスの多い厚生分野に切り込んできたのである。

 さて、前提が長くなったが、そんな通産省が1986年、シルバーコロンビアなる政策を打ち上げた。その頃の経産省はやたらにカタカナ名の政策が多かったが、80年代に厚生省が基礎年金改革や老人医療改革に勤しんでいるのを横眼で見やりながら、通産省は、健康で金のある老人に、世界の大地でのびのびとした老後生活を送ろうと企画したのである。もともとは企画した担当課長が赴任したスペインを頭に描いていたそうだが、オーストラリアはマレーシアなどと共に、その候補として取り上げられた。当時のオーストラリアは、人の数より羊の数が多いと宣伝され、お金や労働力をもたらす人々は大歓迎だった。悪名高い白豪主義も法律上禁止されていた。

 おそらくこの政策のモデルになったのはアメリカだろう。アメリカ人のリタイヤ―した人々は、老後をメキシコで暮らすと物価も安く、同じ年金収入ならば贅沢に暮らせると言って、多くがメキシコ暮らしをしていた。メキシコはアメリカのリタイヤ―警察官ばかりだと言う人もいた。日本でも、東南アジアで暮らし、何人もの妻を娶り悠々自適の生活をしていた男のニュースが報道されたりしたが、国力にギャップがあり、ドルや円が強いときには確かに思いつきやすい政策ではある。現在、メキシコも東南アジアも経済発展し、かつてほどの大きなギャップではなくなっている。

 どんなメリットがあるにせよ、老後を海外で過ごす選択には、海外で過ごした経験や少なくとも英語は話せるのが条件となろう。結局、この政策は打ち上げたものの、具体策に欠け、いつもの通産省の思い付きに終わった。しかし、筆者は、オーストラリアで、オーストラリア人が第一の人生とは異なる悠々自適の老後を送っているのを見て、ああ、ここにシルバーコロンビアがあるのだと感動した。

 筆者は、オーストラリア人に誘われて、クリスマスを泊りがけで一緒に過ごすことになった。キャンベラ郊外の大きな牧場を経営する家で、もともとご主人は会計士であったが、五十歳代で都会での仕事を止め、牧場を買って妻子とともに新しい人生を始めた。牛を飼うのは大変ではないかと聞くと、放牧して、牛が勝手に大きくなると言い、飼っている牛の数も把握していないとのことだった。「都会のビジネスマンで牧場主になるのは非常に多い」と彼は言った。瀟洒な大邸宅の一角に事務所を設け、今でも、パソコンでいささかの会計士の仕事はしていると言う。邸宅の寝室は数えきれないほどあって「何人でもお客さんを泊められる」そうだ。

 日本でも、コロナの影響もあって、田園回帰の生活を選ぶ人も増えているが、これほどの規模の第一次産業を手掛けることは日本ではできない。その意味では、シルバーコロンビア政策をやり直してみるのも悪くはあるまい。そう思って筆者は、老後をオーストラリアで過ごす一組の日本人夫婦にお会いしたが、「ずいぶん計算してきたつもりが、予想外の支出が多く、どんどんお金が無くなって不安です。牧場なり何なり、働きながらの老後でなければ難しいでしょう」。実際にオーストラリアに住んでみて、物価が決して低いわけではないし、年金暮らしをオーストラリアでというのは難しいようだ。

 ただ、日本において特別養護老人ホームを作り続ける政策は、大規模保育所を作り続ける政策と共に、安易な考えと思える。かつて山口県に赴任したとき、当時高齢化率が日本一と言われた大島の特別養護老人ホームで、こんな話を聞いた。「ここの老人は、最後の最後までミカン畑で仕事をし、よくよく体が動かなくなって初めて入所するので、誰も歌や体操の時間に参加しません。それができるならミカン畑に帰ると言うのです」。実際に、入所してから死亡までの期間は極めて短いことも教えてくれた。ならば、老人を自然の中で過ごせる環境をつくり、お仕着せの娯楽や三度三度の食事を提供する施設よりも、シルバーコロンビア方式の老後生活の場を選択として整備することはできないか。

 かつて通産省は「せんみつ屋」と言われ、千の政策を打ち上げて三しか実現できない「軽い」省だと言われていた。シルバーコロンビアも実現できなかった多くの政策の一つだが、しかし、コロナ対策を始め「重くて鈍い」厚労省がいいと言うわけでもない。スポーツ好き、アウトドア好きのオーストラリア人の享受できる老後の在り方を参考にして、社会保障費を削ることで凌ごうとする政策の貧困を反省すべきである。

 

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