鬼橋ブログ

鬼界浩巳事務所の構成員、鬼界(きかい)と橋本が書く日誌です。ブックマークからHPにも行ってみてね。

ちょっとコワイ話

2009年07月31日 | 日誌
日直・鬼界


もし、あなたがマンションに一人暮らしで
リビングに携帯を置きっぱなしにしてる時に
トイレに入って用を足し
出ようとしたら
ドアノブが壊れてしまって動かない。
そして、そこが、窓のないトイレだったら・・・

どうなるの?
餓死?

だって、うちのトイレのドア、けっこう頑丈ですよ。
足で蹴っても壊れそうにないし
狭いから体当たりもできないし・・・。

あ、でも、水はたっぷりあるから、なかなか餓死はしないか。
ん?ってことは、苦しむ時間が相当長いってこと?
トイレで衰弱死?
さいてー・・・。

昨日、ふと思ったんですよね。
そしたら、もう、トイレのドア閉められなくって、
小も大も開けっ放しでしました。

そしたら、家じゅうが臭くって・・
毎日、こんなことしてたら、これで衰弱死しそうだ・・・


アナーキーな

2009年07月20日 | 日誌

日直・鬼界


前回のブログでちょっと触れた、7時のニュース。

書こうかどうしようか迷ったんですよね。
最近、人間が丸くなったとか言われてる僕ですし、
いちおー、許容量というか、
男としての懐の深さが問われる年齢ということもあるし・・
でもね、
昨日の見て、頭ブチ抜かれた感じで
いても立ってもいられず、書いちゃうわけさ。

まず、あの番組がどういうスタイルかというと

冒頭でスタジオ内が俯瞰で映し出されると
男性アナと、フロアディレクターが中央にいて
そこから離れ~たところに、まるで立たされてるみたいに女性アナがポツンといる。
一応、原稿台を置いてもらっているが
非常に中途半端な、所在ない、不安定な位置取りである。
早い話が、
男性がメインで
女性はサブというか、オマケというか、どうでもいい扱いを受けている。

そして、その女性アナは現在、4人が交代で担当している。

一人目が、「優しいお母さん」。
見てて、つくづく思います、
ああ、この人が授業参観に来てくれたら、どんなに友達に自慢できるだろうか、って。
優しそうだし、知的だし、品があるし、キレイだし。
いいないいな。
でも、待てよ。
ってことは、
アナとしては20年前に使うべきだったんじゃないのか?
そうだよ、20年前だったら、どんなに上玉だったんだ?
ちっ、旬で拝見したかったぜ、ガッデムっ!!
というような人。

二人目が、「影の超薄い人」
この人も美人なんです、細身でスタイルもいい。
が、
画面が切り替わった途端、
あれ?今の人、どんな顔だったっけ?
まるで思い出せないんです。
美人だったよな?そうだよ、美人だったはず。「美人だ」って思ったもん。
じゃあ、どんな美人だった?
ええっと、それは・・・たしか・・・目は2つだった、よね?
そういうレベル。
ぜんぜん印象なし。ある意味、珍しいタイプ。

三人目は、「おてもやん」
数年前に6時の関東ローカルニュースを担当してて
その当時から
「垢抜けないなあ。昨日、田舎から上京してきたみたいじゃん」
と思ってたのに、
何千日かたった今もなお
「まるで昨日、田舎から上京してきたみたいじゃん」
と思わせる、稀有な実力の持ち主。

この3人だけでも相当なもんでしょ。
看板番組にわざわざこげな人たち使うか?
が、
問題は
四人目の「物体X」
はっきり言って、ヒドイ。ヒドすぎる。
これだけの顔、町を歩いててもなかなかお目にかかれない。
かなり大掛かりかつデリケートなオーディションをしないと授からない逸材だ。

「形容も出来ないくらい前人未到の、お顔の不自由な方を募集いたします。
自選他薦を問いません。
但し、ご応募は受信料をお支払いの方に限らせていただきます」

いや、マジで
見るとホントに驚くよ。
なんのためにこの顔を電波に乗せるのか?
人類に対する挑戦だ。
だって、晩御飯のときに、バラの映像と腐ったバラバラ死体の映像見るの、どっちがいい?
そういう話ですよ。
Xも気にしてるようで、
先々々週は目の下を真っ白に塗ったメイクで何かをカムフラージュしようしてみたり、
先々週はそれをエスカレートさせて
顔じゅうを白っぽく塗ってみたり、
(ただ、首から下は肌色のまんまだったので
顔だけが飛び出して見える3Dになっていた)
先週は前髪を思いっきりたらして顔の可視部分を少なくしてみたりしていたが
いかんせん・・・。
そして、今週は

って、俺はマニアか!なんで毎週欠かさず見てんだ?ウゲッ

今週は、開き直って前髪も上げて、顔全開!
皆既日食を肉眼で見ても、これほどのダメージは受けまい。

ね、ガマンしきれなくて書いちゃう気持ちもわかるでしょ。
ホントにホントにスゴイんだから。
アナーキーすぎる・・
お手柔らかに願いたいです。

ちなみに、Xちゃんは毎週日曜日にご覧いただけます。
さあ、あなたも未体験ゾーンへ。


密かな楽しみ

2009年07月17日 | 日誌

日直・鬼界


政界が風雲急を告げてきた。
喜ばしい展開である。

え?
今日はマジな話?いえいえ、

麻生おろしがどうとか、
解散総選挙がどうとか、
そんなこたあどーでもいいんです。

政治のニュースが増えると、
政治家のインタビューが増えるでしょ。
国会の廊下とか
党本部の玄関先とかで
政治家のコメントを取ろうとして
記者が群がりICレコーダーを突き出す場面、
あれです、楽しみは。

もちろん、インタビューされてる政治家ではなく
している記者。
男はどーでもいいんです。
並み居る男性記者の中に
一人か二人いる女性記者。

これがなぜか密かにレベルが高い。
NHKの7時のニュースの5万倍くらい美しい。

各局なり各社なりが
キレイどころを送り込んでるとしか思えない。
理由は?
不明。
写るか写らないかわからないところに美人を使う意味はないし
美人がインタビューするほうが政治化の口が滑らかになるとも思えない。
でも、なぜか美人が多い。

もちろん、100発100中というわけにはいきません。
総理の定例記者会見はダメ。
毒にも薬にもならない優等生というかマジメタイプが多い。
「わたし一生懸命仕事してまっす!」みたいな。
問題外。
野党も、当たればデカイけど、はずす確率のほうが高い。
狙い目は、自民党のそこそこエライ人。
これはバラエティに富んでいてかなり楽しめる。

極めつけは、
昨日の加藤元幹事長(どうでもいいけど自民党にはやたらと元が多い)のインタビュー。
加藤が廊下を歩いてくる。
金魚のフンみたいに記者がぞろぞろついてくる。
インタビューに応じるために加藤が立ち止まったそのとき、
ちょうど、バカ面した男性記者とマヌケ面した男性記者の間から
廊下の壁にもたれている女性記者がフルショットで写った。
最近、僕のお気に入りの、若い頃の川島なお美に似た美人記者だ。
加藤が話を始めているのに
女性記者は壁にもたれかかったまま、
けだるそうに髪をかきあげる。
そう、けだるそうにだ。
彼女はその場を動かない。
加藤じゃない人物を待っているのか、とこちらが思いかけた刹那、
彼女は溜息をひとつもらし、
おもむろに加藤に群がる人だかりに近づいてくる。
そして、一旦、フレームアウトしたあと、
ウンコ男性記者をかきわけ、
加藤の斜め後ろにポジションを取り、レコーダーを突き出す。
そのタイミングを待っていたかのように、カメラが加藤にズームインし、
彼女の顔半分が画面から切れるのだが
加藤の頭越しに、彼女のアーモンド型の潤んだ右目がアップになるのだ。

こんな絶妙なタイミングの精巧な画面つくりは
ドラマや映画でもできませんぜ。
『おくりびと』よりも
この30秒間のニュースにオスカーを贈呈したい!

政治は本当に奥が深い。
痛感しました。


今さらですが

2009年07月10日 | 日誌

日直・鬼界


『おくりびと』を見ました。

生と死をテーマにすえ、
一人の青年の成長を縦糸に、
いろいろな人々との出会いと別れ、反発と理解を横糸にした
クロサワ映画を彷彿とさせる脚本を
時にユーモラスに、時に静謐に
懐の深い、情感あふれる演出で描き
美術と音楽の特筆すべき成果に加え
山崎努の圧倒的存在感もあいまって
現在の日本映画のひとつの頂点に到達した秀作である。


えっと、ほかになんかあったっけ・・・?
あ、そうそう

なお、アカデミー賞を始め、国内外の賞を総なめにしている。

まさに、本当にいい映画でした。

でも、僕はぜーんぜんダメだったのですよ。

隠していた仕事の内容が納棺師だと妻にバレて、ひと悶着あるんです。
その時点で自らの仕事の価値を認め始めている夫は
なんとか説明しようとし、
妻の身体に触れそうになったとき
「触らないで。けがらわしい」と妻は言い放ちます。

ここでアウト。

この一言は決定的です。
しかも、一生やろうと思っている仕事と自分
に対して、
こんな風に発せられた言葉は取り返せないと思う。
「あのときは納棺師のすることもわかっていなかったから」
「なんか不潔なような先入観があったから」
「つい心にもないことを勢いで言ってしまった」
「信じて。そんなつもりじゃなかった」
「あのときの私は私じゃないの!」
後でなんと言われようと
そのときは、実際、そう思ってたわけだから。

さらに、そのケンカがもとで
「仕事をやめる決心がついたら迎えに来て。それまでは来ないで」
という言葉を残し
妻は実家に帰ってしまうのですが、
夫は本当に何ヶ月も迎えに行こうともせず
土手でチェロを
のんきに、という言葉が悪ければ
無神経に(としか僕には思えない)弾いているのです。

これで2アウト。

なんで迎えに行かないのだろう?
迎えに行けなくても、今の自分をわかってもらいに行くこともしないのはなぜだろう?
妻は大切な人じゃないの?
逆に妻の立場からすればどうなんでしょう?
仕事をやめる決心がつかないから迎えに行けない、
というのは理屈であって、
気持ちは違うでしょ。
なんで迎えに来てくれないんだろう?
なんで会いにさえ来てくれないんだろう?
私は大切な存在じゃないの?
ふたりのあいだに大きな溝です。

そして、実は妊娠していたことがわかった妻のほうから
戻って来るのです。

これで3アウト、ゲームセット。

もし、妊娠しなかったら、どうなったんでしょう、この二人。
離れ離れのまんま?

そう考えると、幸せな夫婦に思えないんですよ。
本当は、本当の愛情のない夫婦。

僕がグダグダ書いてるのは、主観であり、僕の感想なわけですよ。
客観的な評価は冒頭に書いたとおりであり、
実際、脚本の構成上
妻に「けがらわしい」と言わせるのは
一旦、落としとかないと、上げたときの効果がないというセオリーだし
迎えに来る来ないというのも
その間に脚本的には
夫が納棺師の仕事にますます目覚めていくというプロセスが描かれているので
重箱の隅をつつく必要はないわけです。
要は、切り口の問題で
同じ題材でもどういう角度で描くかで脚本の良し悪しが決まります。
たとえば、
この映画でいうなら、夫が納棺師の技術を習得する過程は
100%省かれています。
必要ないからです。
極論を言うなら、この部分に焦点を当てて描けば、
ダメチームがハードな練習の末にエリートチームを破るという
アメリカお得意のスポーツコメディのような映画になったはずです。
要は、切り口です。
夫婦の愛情よりも、生命の尊さに重心を置いてるわけです。

そんなこたあわかっちゃいるんだけど、
この映画は3アウトなんだよねえ。
見てても気になって気になって。
生死?そんな大それた問題はどーでもいいんだよ、
あんたらは相手のこと、どう思ってんだよ?
え?惚れた腫れたの仲じゃねえのかよ?って。
そもそも、もっくんが山崎努ほど良く見えないのはそこでしょ。
もっくん演ずる夫は、妻を迎えに行かなくても平気な人には
設定してない。
優しい繊細な人です。
あの人だったら、妻をほったらかしにはできないはずなのに
大きなテーマと共にストーリーが展開して
そっちに目が行かなくしてある。
妻役の人にまったく生活感がないというハンデを差し引いても
人間性の豊かな魅力的な人物にはちっとも見えません。
やっぱ、愛でしょ、人間は、つまるところ。
愛愛愛、これさ。

ううむ、なんか満たされてないのかな、僕は・・・。

ま、とにかく、いい映画なんだけど、好きな映画じゃないってことで。

いい悪いと別もんですからね、好き嫌いは。