日直・橋本
「イタリア人は、ひとなつこい」というのは、
よく言われていることだが、
確かに、そういうところは有る。
最初はガンを飛ばしてるとしか思えぬような顔をしていながら、
ひとたび挨拶を交し合うと、
もう、まるで昔からの知己のように親しく話しかけてくる。
ギロッとにらんでいるからといって、
「このイタ公。やるならやってやろうじゃねーの。」と、
早まってはいけない。
彼らは顔がクソ濃いうえに、
「この人とは仲良くなれるかなー?」と、
小1のガキさながらの心理状態でサグリを入れているので、
こちらからすると、ムカつく顔に見えるのである。
「チャオ」でも「ブォンジョルノ」でも、
とにかく、こちらから挨拶を一発かましさえすれば、
もうオッケー。
「わーい、この人、いい人だー。ボクたち、お友だちー。」と、
なついてくる。
幼稚園児並の行動パターンと言っていい。
が、
たいした能力もないくせに知識人を気取り、気持ちの良い挨拶ひとつしようとしないバカな野郎たちより、よっぽどイイぞ、イタリア人。
「持ってる、他人との距離感」「他人との距離の置き方」が、
根本的に、日本人とはチガうのだろう。
イタリア人は、
列車の発着の遅れや変更などに対しては、
慣れやあきらめもあるのだろうが、
特にイライラしたりもせず、
「まぁ、仕方ないんでなーい?」的な、
ふところデカイ態度なくせに、
いざ列車が自分の降車駅に到着する際のスタンバイの早さは、普通じゃない。
到着まで、あと15分も有るっつーのに、
そそくさと出口に向かう。
なぜか、この点のみ、せっかち。
皆が皆、そうなので、ドア付近は大混雑。
あふれた人たちは、車両の通路に並ぶことになる。
重い荷物をかかえ、
通路に順序良く立ち並んで、到着までの残り15分間を待つのだ。
なぜ座って待たない。
理解不能。
そんな時も、おしゃべりなイタリア人は、しゃべり通し。
私の座席のヒジ掛けに、ちゃっかりケツを乗せたバァちゃんが、
嫁と孫2人と共に、通路で楽しげに立ち話。
「仲のいい嫁姑じゃん。」
と感心しているうちに、駅に到着。
私も降りるので、席を立ち、バァちゃん家族のあとに続いた。
ホームに降りると、バァちゃんと3人は、別方向へ。
連れじゃねーのかよ。
家族同士でしか生まれ得ぬような親密さを見せた4人が、
実は、まったくの赤の他人。
てっきり夫婦かと思っていた、バスの2人席に仲良く座ったカップルも、
ただの行きずり。
なんだ、その馴れ馴れしさぶりは。
アドリア海に臨むリゾート地リミニへ出かけた折のこと。
夕方、帰途に着くべく、
海岸そばの停留所で、駅へ向かうバスを待っていた。
木かげのベンチに座っていると、
浅丘ルリ子の化粧をほどこした左幸子、
要するにバケモノじみた(注:イタリアでは普通顔の範ちゅう)オバさんが、
私の隣にドンと腰を下ろし、
ザバと脚を組み、
ブワーと溜め息をつき、
そして、私にこう言った。
「タバコちょーだい。」
おめぇは私の友達か?
もしや、おめかしした乞食?
イタリアでは、タバコの値段は日本の約2倍だ。
もらいタバコ専門のタカリか?
面倒なので「持ってない。」と答えると、
「使えねー、この女。」という感じで、
私にさっさと見切りをつけ、
通りすがりの兄チャンに、
「ちょっと、タバコ。」と声をかけた。
立ち止まり、ごく当たり前のようにタバコを出し、1本くわえさせ、
火まで点けてあげる兄チャン。
「どうもね。」と礼を言うオバさんに、
「ああ。」という感じで頷いてみせた兄チャンは、
スタスタ去って行った。
あ、そう。
普通のことなのね。
見知らぬ他人に「タバコくれ」と馴れ馴れしく声をかけるのは、
たいしたことじゃないみたい。
どうってことないことみたいよ。
フィレンツェのミニ・スーパーマーケット。
入り口そばの冷蔵庫に並んでいるペットボトルの水を選んでいると、
店に入って来た少年に、イタリア語で話しかけられた。
13,4歳。
Tシャツ・短パン姿の、ごく普通の少年。
明らかにジプシーではなさそうなので、
話を聞こうと試みるも、まったく理解できない。
少年は、
なぜか、左こめかみのあたりから、ひとすじ血をたらしながら、
手のひらに乗せた数枚の小銭を私に示し、
何かを説明している。
もしや、サッカー少年きどりの乞食か?
流血乞食。
少年の訴える内容が、9割方、解らず。
「わからない。」と言うと、
少年は、あきらめ、
少し離れた主婦のところへ行き、話しかけた。
了解し、少年に小銭を渡す主婦。
少年は礼を述べ、冷蔵庫から缶ビールを選ぶと、会計を済ませ出て行った。
どうやら、
「ビールを買いたいんだが、少々足りないので、融通してもらえないか?」
ということだったらしい。
あ、そう、そういうこと。
見知らぬ他人に「金くれ」とオネダリしても、
たいしたことじゃないみたい。
どうってことないことみたい。
ほんとか?
ローマ・ヴァチカン美術館、システィーナ礼拝堂で。
ミケランジェロの「最後の審判」が描かれた部屋は、
えらいことになっていた。
各国の観光客で埋め尽くされ、ごった返している。
映画『禁じられた遊び』のラスト・シーン、
あるいは、
ガス室に送られる前に集められた収容所のユダヤ人状態。
天井高く、広い部屋は、
温泉場の大浴場のごとく声が響いて、うるせー、うるせー。
「みんなで騒げば怖くない」方式で、
美術館内と言うことも忘れ、皆、しゃべり放題。
警備員らの「静かに!静かに!」の注意も、まるで無視。
こんなに人が集まって静かにできるか、ばーか。
だったら、入場制限しろ、ばーか。
部屋の壁に沿ってベンチなぞ設えてあるもんだから、
ますます「お休憩場所」化。
皆さん、思う存分、リラックス。
今に、誰かを撃つね、警備員は。
やっと見つけたベンチの空席で一休みしていると、
関西弁のオバちゃん5人グループが、
「空いてへん、空いてへん」と騒いでいるので、
「よかったら、どうぞ。」と席を立って譲った。
「サンキュー、ベリーマッチ!」と礼を述べるリーダーに、
「どういたしまして。」と返すと、
「あらら?!日本人!?」とビックリしている。
さっきから日本語話してるだろうが、私は。
そうと判ったオバちゃんたちは、まるで親戚のオバちゃんのような親しさであれこれ話しかけてくる。
しまいには、
自分らの「関空発8日間のイタリア・パックツアー」の全貌まで話し出す。
大阪のオバちゃん。
その馴れ馴れしさは、
イタリア人と共通の性質によるものなのか、あるいは・・・?
「イタリア人は、ひとなつこい」というのは、
よく言われていることだが、
確かに、そういうところは有る。
最初はガンを飛ばしてるとしか思えぬような顔をしていながら、
ひとたび挨拶を交し合うと、
もう、まるで昔からの知己のように親しく話しかけてくる。
ギロッとにらんでいるからといって、
「このイタ公。やるならやってやろうじゃねーの。」と、
早まってはいけない。
彼らは顔がクソ濃いうえに、
「この人とは仲良くなれるかなー?」と、
小1のガキさながらの心理状態でサグリを入れているので、
こちらからすると、ムカつく顔に見えるのである。
「チャオ」でも「ブォンジョルノ」でも、
とにかく、こちらから挨拶を一発かましさえすれば、
もうオッケー。
「わーい、この人、いい人だー。ボクたち、お友だちー。」と、
なついてくる。
幼稚園児並の行動パターンと言っていい。
が、
たいした能力もないくせに知識人を気取り、気持ちの良い挨拶ひとつしようとしないバカな野郎たちより、よっぽどイイぞ、イタリア人。
「持ってる、他人との距離感」「他人との距離の置き方」が、
根本的に、日本人とはチガうのだろう。
イタリア人は、
列車の発着の遅れや変更などに対しては、
慣れやあきらめもあるのだろうが、
特にイライラしたりもせず、
「まぁ、仕方ないんでなーい?」的な、
ふところデカイ態度なくせに、
いざ列車が自分の降車駅に到着する際のスタンバイの早さは、普通じゃない。
到着まで、あと15分も有るっつーのに、
そそくさと出口に向かう。
なぜか、この点のみ、せっかち。
皆が皆、そうなので、ドア付近は大混雑。
あふれた人たちは、車両の通路に並ぶことになる。
重い荷物をかかえ、
通路に順序良く立ち並んで、到着までの残り15分間を待つのだ。
なぜ座って待たない。
理解不能。
そんな時も、おしゃべりなイタリア人は、しゃべり通し。
私の座席のヒジ掛けに、ちゃっかりケツを乗せたバァちゃんが、
嫁と孫2人と共に、通路で楽しげに立ち話。
「仲のいい嫁姑じゃん。」
と感心しているうちに、駅に到着。
私も降りるので、席を立ち、バァちゃん家族のあとに続いた。
ホームに降りると、バァちゃんと3人は、別方向へ。
連れじゃねーのかよ。
家族同士でしか生まれ得ぬような親密さを見せた4人が、
実は、まったくの赤の他人。
てっきり夫婦かと思っていた、バスの2人席に仲良く座ったカップルも、
ただの行きずり。
なんだ、その馴れ馴れしさぶりは。
アドリア海に臨むリゾート地リミニへ出かけた折のこと。
夕方、帰途に着くべく、
海岸そばの停留所で、駅へ向かうバスを待っていた。
木かげのベンチに座っていると、
浅丘ルリ子の化粧をほどこした左幸子、
要するにバケモノじみた(注:イタリアでは普通顔の範ちゅう)オバさんが、
私の隣にドンと腰を下ろし、
ザバと脚を組み、
ブワーと溜め息をつき、
そして、私にこう言った。
「タバコちょーだい。」
おめぇは私の友達か?
もしや、おめかしした乞食?
イタリアでは、タバコの値段は日本の約2倍だ。
もらいタバコ専門のタカリか?
面倒なので「持ってない。」と答えると、
「使えねー、この女。」という感じで、
私にさっさと見切りをつけ、
通りすがりの兄チャンに、
「ちょっと、タバコ。」と声をかけた。
立ち止まり、ごく当たり前のようにタバコを出し、1本くわえさせ、
火まで点けてあげる兄チャン。
「どうもね。」と礼を言うオバさんに、
「ああ。」という感じで頷いてみせた兄チャンは、
スタスタ去って行った。
あ、そう。
普通のことなのね。
見知らぬ他人に「タバコくれ」と馴れ馴れしく声をかけるのは、
たいしたことじゃないみたい。
どうってことないことみたいよ。
フィレンツェのミニ・スーパーマーケット。
入り口そばの冷蔵庫に並んでいるペットボトルの水を選んでいると、
店に入って来た少年に、イタリア語で話しかけられた。
13,4歳。
Tシャツ・短パン姿の、ごく普通の少年。
明らかにジプシーではなさそうなので、
話を聞こうと試みるも、まったく理解できない。
少年は、
なぜか、左こめかみのあたりから、ひとすじ血をたらしながら、
手のひらに乗せた数枚の小銭を私に示し、
何かを説明している。
もしや、サッカー少年きどりの乞食か?
流血乞食。
少年の訴える内容が、9割方、解らず。
「わからない。」と言うと、
少年は、あきらめ、
少し離れた主婦のところへ行き、話しかけた。
了解し、少年に小銭を渡す主婦。
少年は礼を述べ、冷蔵庫から缶ビールを選ぶと、会計を済ませ出て行った。
どうやら、
「ビールを買いたいんだが、少々足りないので、融通してもらえないか?」
ということだったらしい。
あ、そう、そういうこと。
見知らぬ他人に「金くれ」とオネダリしても、
たいしたことじゃないみたい。
どうってことないことみたい。
ほんとか?
ローマ・ヴァチカン美術館、システィーナ礼拝堂で。
ミケランジェロの「最後の審判」が描かれた部屋は、
えらいことになっていた。
各国の観光客で埋め尽くされ、ごった返している。
映画『禁じられた遊び』のラスト・シーン、
あるいは、
ガス室に送られる前に集められた収容所のユダヤ人状態。
天井高く、広い部屋は、
温泉場の大浴場のごとく声が響いて、うるせー、うるせー。
「みんなで騒げば怖くない」方式で、
美術館内と言うことも忘れ、皆、しゃべり放題。
警備員らの「静かに!静かに!」の注意も、まるで無視。
こんなに人が集まって静かにできるか、ばーか。
だったら、入場制限しろ、ばーか。
部屋の壁に沿ってベンチなぞ設えてあるもんだから、
ますます「お休憩場所」化。
皆さん、思う存分、リラックス。
今に、誰かを撃つね、警備員は。
やっと見つけたベンチの空席で一休みしていると、
関西弁のオバちゃん5人グループが、
「空いてへん、空いてへん」と騒いでいるので、
「よかったら、どうぞ。」と席を立って譲った。
「サンキュー、ベリーマッチ!」と礼を述べるリーダーに、
「どういたしまして。」と返すと、
「あらら?!日本人!?」とビックリしている。
さっきから日本語話してるだろうが、私は。
そうと判ったオバちゃんたちは、まるで親戚のオバちゃんのような親しさであれこれ話しかけてくる。
しまいには、
自分らの「関空発8日間のイタリア・パックツアー」の全貌まで話し出す。
大阪のオバちゃん。
その馴れ馴れしさは、
イタリア人と共通の性質によるものなのか、あるいは・・・?