『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

大人の学びの目的

2021年06月12日 | 神戸シュタイナーハウス
今日、神戸シュタイナーハウスのメンバーで話をしていた時、
「中学生の時期にいろんな大人に出会う意義はさんざん話したけど、
大人がいろんな人の話を聞く目的って、何でしょうね?」
と、あらためて考えてみました。

話し合いを重ねて、一緒に作ってきたから、
それぞれの考える答えが、見事に一致していてビックリ。
何の反論も違和感もなく
全員が「ですよね!!」って納得したのでした。

それは、
「知らない仕事のことを知りたいという事以上に、
自分の経験と照らし合わせて、
自分の生き方やものの見方を見直し、
自分の成長につなげたい」ということでした。

おお~~、パチパチパチパチ!

もちろん、大人が学び続けている姿、
自分たちで企画したものを協力して作っていく姿を
子どもたちが見ている事で、
大人になることに希望を持って成長してくれたらいいな、
という思いもあります。

知らない人に会って、知らない場所に行って、
自分のことが見える。

私が思っている私だけが、私じゃない。
人が見ている私だけが、私じゃない。

「私」は、すでに決まって固定された何かじゃなくて、
双葉や蕾の要素がいっぱいある、
どこまでも育ち、開いていく命、
なんだと思います。

だから、自分という種や苗に、
太陽と水をあげて大きく育て、実らせてあげることは、
自分の一生をかけた大事な仕事だよね?

知らない仕事をして、ゼロスタートすぎて迷惑をかけたり、
その中でも、どこか似たような役回りになるな~と気づいたり、
やったことのない事を引き受けて、意外と大丈夫だったりで、
迷走しまくっている私。

生まれる前に、今生はこういう人生にしよう、
と、誰でも設定して生まれてきた、と
何か(神智学?いかにして?)に書いてあったのですが、
自分が望む、その形に育っているのかな?

どんな人生を希望して生まれてきたんだろうな~。
もし、それがわかったら、
そこに全力で取り組めるんだろうか。
そこに縛られるのも不自由だよね。
でも、それが精神の領域まで含んでやりたいことだったら、
その大変さを引き受けるのも、自由だ。



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