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『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

いったん「必然」だと受け止めることで

2021年06月11日 | 考える日々
周りで起こることを、
理不尽だの、ラッキーだの、
誰が良いの悪いの言わずに、
いったん「必然」だと受け止める。

ただ、それだけで、
その出来事には何か意味があるんじゃないか、
そこから何か学ぶべきことがあるんじゃないか、
…そんな風に、考え始めることができる。

出来事の受け止め方が
喜怒哀楽の領域に留まっている時は、
外の出来ごとに反応して、ヤラレている状態。
出来事の意味を理解しようとすると、
自分の中から、外の出来事に向かっていく状態。

外で何が起ころうが、揺らがない、
というメンタルになろうとは思わない。
外で起こったことに揺らいで倒れた後に、
「あ、倒れてる」と自分を観察して考えることで、
少しだけ自由になっていけるね、って話。

ザ、自由の哲学。

自分の上に起こることは、
自分のせいだけじゃなくて、
運だったりする事もあるかもしれないけど、
それが何であっても
それを「変化を促す何か」にできたら強い。

エゴを越えて意識的に変化する時、
それは必ず進化だと思うわ。



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2 コメント

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コメントありがとうございました (はなうた)
2021-06-11 09:22:30
コメントありがとうございます。
ここずっと童謡詩を鑑賞していますが、直近で読んだ
金子みすゞ「蓮と鶏」を読んで感じたことと似たような感覚を今日の記事で受けました。
これも「必然」だったのかもですね。
返信する
Unknown (オキツ)
2021-06-12 00:35:18
おお~、その詩、知らなかったのですが、通じるものがありますね! 私が私じゃないっていうのは、おもしろいですね。
返信する

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