『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

ゲーテの認識論を学びませんか?

2021年04月19日 | 神戸シュタイナーハウス
10年ほど前からブログでやり取りのあった
ステキな先輩に来ていただいて、
去年から、ゲーテの認識論を学んでいます。

その前に、神戸シュタイナーハウスの同じメンバーで、
神智学の「認識の小道」を読んだり、自由の哲学を読んだり、
実際に植物の観察をしていたこともあって、
改めて、理論と実践との両面から、
ものの見方を問い直してみよう、という時間になっています。

「ゲーテの認識論」なんていうと…というか、誰の名前かに関わらず、
「認識論」なんて言われた瞬間に
難しくて近寄りがたい気がしてくるのですが、
自由の哲学だって、半分認識論です。

あ、自由の哲学って言われても難しそうか。
「哲学」だもんなぁ。感覚がズレている…(^^;)。
私だって、哲学の本、言葉が難しすぎて
ちゃんと読んだの、コレだけやし。

って、哲学って全員に共通する法則だけに、
めっちゃおもしろいんだけど、
う~ん、やっぱり身近には感じられないよね。

えーと、それで、ですね。今日は、
興味のある方、一緒に勉強しませんか、
というお誘いなのです。

どんな人でも自分の眼鏡を通してしか
モノを見られないので、
自分のモノの見方の癖に、
モノの見方が左右されています。

自分の見方が自分のメガネ次第でいがんでいる、
なんてことを自覚すると、
あまりにも正しくなさそうです。

だから、データだのエビデンスだの再現性だの、
「確かなもの」を根拠に学問は進むんですが、
そしたら、今度は、不確かで揺れ動く気持ちが
「気のせい」として無視されてしまう。
その結果、病む。

自分がどういう眼鏡をかけてモノゴトを認識しているのか、
もっとクリアに見る方法はないのかと学ぶことで、
自分の眼鏡を意識して、レンズを磨いていく。
それによって、今まで見えていなかったものが
前よりもクリアに見えてくる。

だから、「ものの見方自体」を学ぶことって、
実はすごいことだと思うんです。
オンラインなので、「遠いわ~、残念!」
という方にもご参加いただけます。

毎月1回、少人数でzoomを使って、
平日の昼間にやってます。
次回は4月21日の午後。

ご興味のある方は、
プロフィール欄のメッセージからご連絡ください。

一緒に楽しみましょう!



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