『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

生物としての本能と、人間としての命

2021年03月15日 | 考える日々
蜂が苦手な方、突然の写真でスミマセン。

昨日考えてた人口爆発の続きなんだけど、
生物としての本能で、虫と同じように人間も、
人口が増えすぎたら、人口を調整するために
戦争して殺し合う、っていう怖い説があるじゃない?

それに比べたら、少子化も仕方ない気がしてきた。
超高齢化社会も怖いけど、
爆弾に地球ごと吹っ飛ばされるよりはマシ。
少子化の方が、まだ手段を講じる余地があるはず。

って、二者択一になってるけど。
この問題を一次元繰り上げて
…一元論で考えたら、どうなるんだろ?
問いの立て方が、わかんないぞ???

答えは「一人ひとりの命を大事にする」に着地したいけど、
答えを導くために問いを立てるって
順番がおかしい? 

あ、でもアリか。 
「地球も命も大事にするために、今何ができるか」。
持続可能性、SDGsっていうヤツだな。
誰でも何かしらできることがある、っていう。

そして「命」っていう時に、
その言葉の指し示す範囲が問題。
「身体という魂の器」を生かすだけを目的とせず、
「心や精神も含めた私(あなた)」を生かすのが目的
身体は命の容物であり、
外と私(あなた)をつなぐためのものだから。

こうやって、机上の空論を転がしてて感じたことは、
子どもってなんて貴重なんだろう! ということ。
若い人たち。小さな人たち。未来に生きる人たち。

私たちは、今の枠組みが続く前提で、
その社会で役立つように子どもを教育してるけど、
昨日見てたグラフ(下)を見ると、
そんなの、幻想にすぎないってわかる。

紫の線は人口増加グラフ。縦軸が人口、横軸が年。by総務省)

もし、彼ら彼女らの中にあるものを信頼して、
1人ひとりの伸びたい方向に伸ばしてあげる事が出来たら、
その中から、次の答えが出て来るかもしれない。

オルタナティブスクールが増えてるのも、
不登校の子が当たり前になってきたのも、
LGBTの人たちの存在が受け入れられてきたのも、
人間の本能としての必然かもしれないなぁ。

ついでに、私が高齢者となる頃までに
望む人には、高度な医療を受けなくても、
与えられた命を全うして終われるような
制度や環境や文化になっていたらいいな。



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1 コメント

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Unknown (ZIP)
2021-03-16 12:41:33
https://m.youtube.com/watch?v=2rd8VktT8xY
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