
昨日、仕事の後、家に帰ってから、
「今日、大学の先生に話を聞いたんだけどさー。
先生が「あらゆる学問は“いかに生きるべきか”に到る入口だ」
って、めっちゃいい話をしてくれはってん。ほんまにその通りやな~。
そしたら、入試担当の人が、
「高校生に大学の魅力を感じてもらうためには、
この勉強したらこんなに得するとか役立つとか言った方がいい」
って方向転換をリクエストしはってさ。
「学生ってそんなチープなもので釣れると思われてるんや。
なかなか見くびられたもんやな」と言っていたら、
中1の子どもが「いやいや、かーちゃん、
学生は表ではテキトーに楽しそうにやってるけど、
ほんまはもっと真面目に生きてるねんで」とゆーていた。ほぉ。
そして、
「勉強して得したいって思う学生に来て欲しいんやったら、
そういうアピールが正解ちゃうか?」と言い、
「でも、同じ内容の話で、タイトルが
“得する”と“本質的には”やったら、
私は“得する”を聞きに行くかなあ」とのたまいました。
ほおほお。
子どもは、心では「学生をナメるな」と不愉快に感じ、
アタマでは、ほとんど私の考えの影響のままのことを言い、
身体までその言葉を浸透させて考えた時点で
「でも、得するのは魅力的」って反応した。
賢いなあ。
私はアタマでっかち族だから、
アタマだけで考えて失敗する。
「正しくはこうあるべきでしょ」的な、
心も身体も放置してアタマだけで考えた浮世離れした結論。
子どもは中一だから、
年齢的にまだ、アタマで考えるのは難しそうだけど、
ちゃんと、身体も心も自分で動かして
現時点での自分なりの答えを出している。
「アタマも心も身体も全部使って生きてるんやなぁ」と
伸び盛りの若木のまぶしさを感じてしまいました。
…マザコンの反対、
ほとんど子どもコンかなぁ(^^;)。
いやぁ、こんなこと言うとバカっぽいけど、
時々は、ホントに子どもがまぶしいわ。
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