表千家一期一会

吉野の旅


表千家家元では
1月10日より初釜が行われ

13日14日は
全国からご挨拶に上がられた
大勢の稽古人たちにも
猶有斎宗匠のお点前にて
お濃茶がふるまわれたことでしょう

私はこの度は
うかつにも申し込みすることを
失念していて
この節目の初釜に
参加することができませんでした


それで
先日8日に行われた
今宮戎献茶式に参列させていただき


13日と14日は
大神神社と天河神社の
参拝にでかけることに決めました

途中吉野で
一泊することにいたしました


ところが
その吉野にて

思いがけなく
お茶に深いゆかりの場所を訪れることになり
嬉しい旅となりました


吉野町のHPによると
豊臣秀吉が絶頂の勢力を誇った
文禄3(1594 )年

徳川家康、宇喜多秀家、前田利家、伊達政宗らの武将をはじめ
茶人、連歌師たちを伴い

総勢5千人の供ぞろえで吉野山を訪れて
花見をしたのだそうです

その時泊まった所が・・・


苧ム院群芳園

桜の名所吉野山に佇む
宿坊を兼ねた旅館です

聖徳太子の創建と伝わる寺院で

豊臣秀吉が吉野山観桜の折
千利休も共にここを訪れたのだそうです



宿の人の話によれば
この木は
千利休が植えた椿の木だとか



苧ム院のこの庭園は
秀吉の吉野花見の際
利休が作庭し
後に細川幽斎が
改修したといわれているそうです



豊臣秀吉吉野山観桜時の
茶弁当

宿の玄関ホールに
何気なく飾られていて
驚きました



利休鍋

秀吉をもてなすため
利休が考案したと伝えられる料理

吉野葛でとろみをつけたお出に
生姜が効いていて風味もよく
体がとても温まりました


ゆくりなくも
秀吉・利休ゆかりの宿に
泊まることになり

しかもこの広々した宿に
この日はなんと
宿泊客が私たち夫婦のみ!

大浴場も何もかも
全館貸し切り状態でした

たった二人のために
赤い絨毯の敷かれた広い廊下のあちこちに
大きな石油ストーブを焚いてくださり

まるで太閤様になったような
贅沢な気分でした





翌日
近くの吉水神社にでかけました



吉水神社は
元は吉水院として
今から1300年ほど前に
役行者が創立した修験者の僧坊だったそうです


そして
文治元年(1185)
頼朝の追手を逃れた
源義経と静御前の悲恋の場所

歌舞伎や浄瑠璃で有名な
義経千本桜の舞台でもあったのです


春には
ここから見る桜が素晴らしいのでしょう!



さてここで
思いがけないものを見つけて
驚きました!

後醍醐天皇御勅作 金輪寺茶入



延元元年(1336)
京の花山院から行幸された後醍醐天皇が
吉水宗信の援護の元
南朝の皇居とされたのが
ここ吉水院なのだそうです



後醍醐天皇玉座

後醍醐天皇は
その後
すぐ近くの実城寺を皇居とされ
寺号を金輪王寺と改められたのだそうです

茶入金輪寺は
後醍醐天皇により
山中の蔦の古株で作られたといわれていますが
名前の由来は
ここにあったのですね!

桜の春に
金輪寺茶入で
お茶を点ててみたくなりました





ここには
ほかにも驚くような文化財が
所狭しと展示されており

悠久の時の流れを超えて
歴史のロマンに浸ることができました



コメント一覧

tomoko
金輪王寺は徳川時代に寺号をもとの実城寺に戻され、明治時代に入り廃仏毀釈により廃寺となってしまったそうです。現在は吉野朝皇居跡として三重塔が建っていました。

苧ム院で生徒指導の先生方が合宿をされたとは・・・まさに修験者ですね!

ともあれ金輪寺茶入の本歌に出会えたことは驚きでした。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。
雲や
思わぬところで苧ム院と再会することになりました。現役時代、大阪府の生徒指導担当の先生の合宿で何回か宿泊しました。お庭も拝見いたしました。
ただ、付近の金輪寺は知りませんでした。惜しいことをいたしました。写真とともによく教えていただきました。本年もよろしくお願いいたします。楽しみに拝見致します。
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