【おことわり】
エントリの性格上、リンクを多用しております。
オーマイニュース(以下リンク記事タイトルと引用部分を除いてOMN)が、今年5月に社員全員への解雇通告を行っていたそうです。いわゆる市民メディアのお仲間だったマイニュースジャパン(以下MNJ)の渡邉正裕代表取締役権編集長が、自らのサイトに執筆した記事の中で明らかにしました。
オーマイニュース、全社員に解雇通告 「ニュース」の看板降ろす
MNJは有料サイトです。一般読者に公開されているのは前半の約4200字ですが、そこを読んだだけでも、OMNが抱えながらも社員全員の解雇通告という事態になるまで改善しなかった(できなかった)問題点が次から次へと出てきます。そこで、記事を引用しながらその問題点を確認していきます。(引用部分はイタリック体で表示、フォント変更・太字は筆者)
渡邉氏は、記事の中でOMNの体質について言及しています。
「うちは、完全に大企業体質ですよ。マスコミ出身の人が多いからだと思いますが」。実際に解雇通告を受けた1人は、そう断言した。たった20人の会社なのに、現場は経営陣が何を目指し、何を考えているのか、全く分らない状態だったという。
OMNが大企業体質に染まっていたとすれば、それはマスコミ出身者が多いからではなく、旧来のマスメディアの感覚を持ったままOMNに乗り込んできた人間が多かったからでしょう。社員が20人しかいなければ、それだけでOMNが大企業か零細企業かの区別がつかなければおかしいのですが。それでもOMNが2年近くもったのは、ひとえにソフトバンクの膨大な出資金のおかげでしょう。
現場の全体会議とは別に、ソフトバンクから送り込まれた取締役らが元木社長と経営会議をやっていたらしいが、現場へのフィードバックは何もなかったという。
このあたり、現場から経営会議のフィードバックを求める声はなかったのか疑問に思うのですが、考えてみればOMNが市民記者や一般の読者からの声をまともに取り上げた記憶は全くといっていいほどありません。逆にコメント欄や記事での指摘にキレる編集部員やOMN認定プロの姿はいやというほど見てきました。そのような体質を思えば、仮に現場から声が上がったとしても経営陣がそれを無視するのはちっとも不思議な事ではありません。
そもそもベンチャー的な新事業が、大企業、大マスコミ体質の人間や組織のもとで成功するわけがない。
渡邉氏はこのように指摘しています。なるほどその通りとは思いますが、果たしてOMN内部にOMNを成功させようと考えていた人間がどれだけいたのでしょう?【註1】
鳥越俊太郎初代編集長について、渡邉氏は次のように書いています。
雇われ編集長の鳥越氏には金銭的なリスクが一切なく、テレビや大学の仕事も辞めないから、専従ですらない。客観的に見ると、「おいしいバイト」感覚だ。やり遂げる覚悟を最初から感じさせるものではなかった。
ですが、やり遂げる覚悟を持っていなかったのは鳥越氏だけだったのかどうか、ここに至るまでのOMNの動きや、こちらのエントリのコメント欄のやり取りを見る限り、どうしても懐疑的にならざるを得ません。この疑問を解消する為には、創刊からOMNに関わってきた平野日出木編集長がこれまでの成功に向けた取り組みを正直に詳細に語る必要がありますが、今回 「リニューアルオープンまで取材を受けない」 とのたまった平野氏がリニューアル後に取材を受けるかどうか、こちらも懐疑的にならざるを得ません。
そして、記事はOMNのビジネスモデルへの言及に続きます。
その一方、メディアの肝となる記事を書く市民記者は、原稿料1本300円であり、一部の「お人よし」を対象とした、完全な搾取モデルだった。経営資源の配分がアンバランスなのだ。
かなり辛辣な記述です。完全な搾取モデルとまで言われたOMNは勿論の事、お人よしと言われてしまった市民記者の中にもカチンとくる人は多いでしょう。でも、これが外部から見たOMNの現実だったのかもしれません。
ちなみに今年6月までの原稿料制度をベースにすると、OMNが市民記者に支払った原稿料の総額は創刊以来2年で1000万円強にしかならないのに、この記事によれば編集長は年収3000万円でデスクは年収1000万円。この数字が残酷なまでに現実を語っています。
彼らは政治や思想の自己表現として自主的に報道するから、原稿料など払わずとも勝手にタダ働きする。それをネットで見る人も大勢いて、そこに広告を付け、記事を雑誌に転用して広告をとれば、売上が立つ。これが韓国で当初のオーマイニュースが成功したビジネスモデルだった。
日本のOMNでも勝手にタダ働きする人がいなかったわけではありません。ただ、その絶対数があまりに少なすぎました。また、OMNは創刊宣言で 政治的・思想的な中立を守っていきます と謳い、 対立する二つの集団の間のコミュニケーションを支援する架け橋を目指します と自らの姿勢を明らかにしていました。創刊宣言は、ある意味韓国で成功したビジネスモデルとの決別宣言でもあったのです。
OMNは、幅広い層の参加に期待してこのようなスローガンをぶち上げたものと思われますが、これは完全に裏目に出ました。韓国の本家OMNは、盧武鉉政権の誕生に寄与した事が成功の大きな要因だったにもかかわらず、OMN日本版は特定の政治勢力や思想に肩入れしないと宣言したも同然だったからです。
身もふたもない言い方になってしまいますが、OMNは自ら作り出した創刊宣言によって、韓国で成功した親北・反米・反日的言論を売り上げに結びつけるというスタイルをそのまま持ち込む事ができなくなってしまいました。
例えば、鳥越初代編集長は、OMN内外で2ちゃんねるに代表される匿名による発言を口を極めて批判しました。その後を引き継いだ元木昌彦前社長は、OMNを自らの政治的・思想的な主張の場として利用しました。これらの行為は明らかに創刊宣言の理念に反します。主張の内容の如何を問わず、言行不一致やダブルスタンダードはそれだけで批判の対象になるというのに、トップに立つ人間が率先してそれをやってしまっては、一般読者の支持を得られるはずもありません。
市民記者や読者に対して誠実であること、正直であることをハナから放棄していたOMNを成功させるには、それを前提としたビジネスモデルが必要だったのだろうと、今更ながら考えさせられます
そして、記事は市民記者に対する関係者の愚痴へと続きます。
「市民記者のかたに、ここを直してください、再取材してください、とお願いしても、怒り出す人が多かった。そのままプツっと連絡を絶つ人もいた。韓国では、もともと市民団体向けに新人記者養成プログラムの講師をしていたオ・ヨンホ氏が始めたから、市民記者がある程度育っていたんでしょう」。ある関係者は市民記者とのやりとりを通して、そう感じたという。確かに記者は一朝一夕には育たない。
市民記者に対して記事の書き直しを依頼できる関係者というと、編集部員ではないもののデスク業務を行っていた渋井哲也氏あたりでしょうか?
それはさておき、これが事実なら愚痴をこぼしたくなる気持ちも理解できます。ただ、この関係者が市民記者に対してどのように記事の修正を依頼したのかが、この文章からはいまいち伝わってきません。OMNのサイト上で、市民記者や読者に対する編集部員のキレっぷりや木で鼻をくくった対応を繰り返し見ている私からすれば、怒り出したり連絡を絶った理由が、修正依頼そのものではなく、その時の姿勢や態度にあった可能性も否定できないというのが偽らざる気持ちです。
確かに、OMNが記者を育ててこなかった事は間違いありません。市民記者のスキル向上を目的としていたはずの市民記者トレーニングセンターは、全く活動を行わないうちになかった事になってしまいました。昨年末のオーマイカフェでそれらしき事をやったようではありますが、その詳細が動画配信される事もありませんでした。週間賞発表記事の中で「こういった記事を書いて欲しい」といった要望が出すのがせいぜいといったところです。
更に問題だと思うのは、OMNには市民記者ときちんとしたやり取りができる編集部員が殆どいなかったのではないかという点です。コメント欄でのやり取りは言うに及ばず、思わぬ形で表面化してしまった田村圭司記者の例に代表される放置プレーに、気に食わない記事の未編集掲載や市民記者と編集部の公開バトルを添付した記事の掲載。そんな編集部員に市民記者を育てられるはずもないでしょう。
市民記者は育たなかったのではなく、OMNが育てなかったのです。そして、OMNは市民メディア仕様の編集部員も育てていなかったのではないでしょうか?
ここで記事の前半に戻ると、OMNの現状がかなり詳しく書かれています。
賃金カットを受入れた少数が再雇用され、9月のリニューアルに臨む。編集部門で残ったのは、もともと正社員ではない平野日出木編集長や、韓国Ohmynews出身の朴哲鉉記者ら4人だけ。営業、事務、情報システム、デザインなど含めた会社全体でも社長以下10人弱に縮小した。事実上の親会社であるソフトバンクの意向による、抜本的なリストラ断行だった。
OMNは、こんな不名誉な事実を公表されたくはなかったでしょう。実際、記事に書かれているように編集部門が4人となってもOMNのサイトは平静を装っていますし、なによりここまで市民記者に対するアナウンスが一切なしというOMNの姿勢がそれを雄弁に物語っています。
ですが、平静を装った甲斐もなく、いざこうやって外部メディアにすっぱ抜かれてみると、みっともない以外の言葉が思い浮かびません。原稿料を改定【註2】したのは記事の評価基準を見直し、ダイナミックなレイアウトを実現する為で、実質的に週休2日制を採用したのは編集作業の効率化を目的としたもの。これらのアナウンスが単なるその場しのぎの言い訳にしか過ぎなかった事が明らかになってしまったOMNは、次にどんな言い訳を考えているのでしょうか?
これまで、OMNは自分に都合が悪い事には基本的に上から蓋をしてやり過ごしてきました。鳥越氏の辞任騒動や木舟周作記者による編集部に向けた提言のように、それでも表面化してしまった問題については、訴訟をちらつかせて記事の取り下げを要求したり、身内の契約ライターが執筆した反論記事を掲載するなどして事態の沈静化を図ろうとしていました。
しかし、組織が崩壊し、内情を知る編集部員や関係者を抱え込めなくなってしまえば、もう情報のコントロールは不可能です。これ以上言い訳を重ねても、言ったそばからその裏に隠された真実が出てくるだけでしょう。もしかすると、OMNの内部には今が底だと考えている人がいるのかもしれませんが、こんな事を繰り返している限り、いつになっても底にたどり着く事はできません。そして、OMNが残した隠蔽体質という名の負の遺産は確実にオーマイライフに引き継がれていきます。決して相続放棄で逃げられる性格のものではありません。
相続放棄ができないのならば、その荷を少しでも軽くするのがこれまでOMNに貢献してきた市民記者、そして看板をかけ替えてスタートするオーマイライフに対するせめてもの礼儀というものです。遅きに失した感はありますが、それでも黙って頬被りを決め込むよりはよほどマシなのではないでしょうか?
OMNはきちんとアナウンスをしましょう
OMNは誠実かつ正直に現状を市民記者に伝えましょう
【註1】OMNが成功するとこれといった根拠もなしに考えていた人間ではありません
【註2】OMNは原稿料カットという言葉を使っていません