日々是好日

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日記帳

新城海岸

2017年07月22日 | 2017年5月宮古島の旅
この日二つ目の海岸。
ここも、前日にシュノーケルをしようと目をつけてた場所。
宮古島の東海岸にあって、宮古でも有名なシュノーケルのスポットらしい。
設備もしっかりしていて、海の家で食事もできるし、シュノーケル3点セットの貸し出しもある。
海岸のテラスは、場所により無料なのも嬉しい。
それに、屋外のシャワーも無料だ。
朝、8時頃には到着して、テラスでアイスコーヒー飲んでのんびり過ごす。

さて、海の中。
あまり沖に行かなくても、サンゴや魚が豊富だ。
中の島海岸よりも、海の中は明るいイメージだ。
ここが人気スポットなのもわかる。
今度また、宮古へ行く機会があればぜひ再訪したい。




























2017年5月の宮古島の旅の記録
3日目

宮古郊外

2017年07月21日 | 2017年5月宮古島の旅
中の島海岸でのシュノーケルを1時間ほどで、きりあげて、次のシュノーケルの場所、新城海岸へ向かう。
シャワーもないので、そのままウェットスーツを着たまま移動した。

途中の風景。
宮古島の農地の40%以上がサトウキビ畑で占められてるそうだ。
4月と8月に植え付けがあり。5月の連休の時は、小さな苗のサトウキビ畑をたくさん見た。
台風も少なかったせいで、冬の収穫も多かったと聞いた。
平良の街や宮古空港までの間は、建物も多く、市街地がひろがっていたが、郊外へ行くと、農地が多い。
緑がとても気持ちいい。

牛をみると、食用の宮古牛を想像してしまう。
子牛の時に本土に出荷されたものは、その地でブランド牛になる。

宮古の牛の何%が、食用の宮古牛として、出荷されるんだろう。
ほとんどなのかなあ。
なんか、牛の表情にも悲哀を感じる。







2017年5月の宮古島の旅の記録
3日目

中の島海岸(下地島)

2017年07月19日 | 2017年5月宮古島の旅
前日の宮古島一周の時に、シュノーケルをしようと目をつけていた海岸。
宮古島の新城海岸と、下地島の中の島海岸です。
まずは中の島海岸へ行った。

早朝5時に起きて、平良の宿で、あらかじめ薄いウェットスーツを着てレンタカー乗りこんだ。
今回は、ブーツと、足ヒレ、マスクなどあらかじめ広島から送っておいた。

伊良部大橋通って30分の道のりだ。
早朝なので、海岸には誰もいない。

中の島海岸の海の中は想像どおりで、岩場やサンゴ、多くの種類の魚見ることができた。
ただ、今年は海水温が高かったせいか、サンゴの白化が進んでるように見えた。



















2017年5月の宮古島の旅の記録
3日目


トゥリバーサンセットビーチ

2017年07月17日 | 2017年5月宮古島の旅
埋立地にできた人工のビーチ。

平良港コースタルリゾート計画で、一大リゾート建設が予定されている。
1990年に計画が策定され、もうすでに27年。
今も継続されてるのかどうか知らないが、宮古の自然の海岸を多く見てきただけに、なんだかもったいないなあって思った。
敷地が広くて、リゾートホテルや、マリーナ、スポーツ広場などを作る計画のようだけど、どこまで計画が進んでいるのかわからない。

離島には離島の事情があり、埋め立ててしまったけれど、ここにリゾートホテルの進出があるんだろうか。
そういえば、宮古島には、宮古島リゾートがある。

こうなった以上、あと戻りはできないので、美ら海水族館のような施設ができたらいいけど、それも経営がうまくいくかどうかは、わからない。

観光がこの島にとって大事なので、自分みたいな自然だけでいいのでは、きっと金も雇用も生まれない。
島が豊かになるためには、開発も必要だけど、宮古の自然を生かした開発こそ観光資源になると思うけど、そうもいかんのかなあ。










2017年5月の宮古島の旅の記録
2日目終了

宮古島一周、急いでしました。
1日で廻るには廻れたけれど、ゆっくり見ることはできませんでした。
でも、始めての宮古島なので、自分の居場所がどこなのか、ようやく理解できました。

次からは3日目の旅の記録です。
でも、3日目は突然の出来事があり、4泊の宮古の予定が2泊になり、突然に終わってしまいました。

サバウツガー

2017年07月15日 | 2017年5月宮古島の旅
昭和41年まで230年間伊良部島の佐良地区ので使われていた井戸。
それ以前は、水道設備がなかったというのが驚きだ。
水汲みは女性の仕事で、1日3から4回、123の階段を往復していたと、案内板に書いていた。

この日は疲れて、下まで降りる元気がない。
今、思うと悔やまれる。

疲れても、雨が降ろうが風が吹こうが、生活のために水汲みをしなければならなかった当時の人達。
大変だっただろうな。





2017年5月の宮古島の旅の記録
2日目

下地島空港

2017年07月12日 | 2017年5月宮古島の旅
2017年5月の宮古島の旅の記録
2日目

1979年に開港した下地島空港。
パイロット訓練を目的にした飛行場で、かつては日本航空や全日空の操縦訓練使用されていたが撤退して、現在はどこかの小型機の訓練で使用されてるらしい。

建設が表面化した頃、賛否両論が激しく対立。
軍事転用しないという屋良覚書が琉球政府と日本政府で交わされ着工した。
その後、自衛隊訓練誘致を決議したり、白紙撤回したり、普天間飛行場の移転が提案されたり、揺れ揺れ。

それにしても、こんな小さな美しい島の飛行場にオスプレイが来て訓練、騒音、墜落危険、軍隊………
どうしてそんな発想が出てくるのか理解できない。
新基地建設ともいっていい規模の辺野古の海の破壊、宮古島ならいいというのか。
さっさと普天間返還して、足跡残さず撤退して欲しいものだ。

今後、どのような計画があるのか知らないが、平和な利用であって欲しいと思った。
ここでぼっーとできて、飛行機の発着が見れるだけでも、大きな観光資源だと思うんだけど、そうもいかないのかなあ。



















佐和田の浜

2017年07月09日 | 2017年5月宮古島の旅
2017年5月の宮古島の旅のこと書いてます。
2日目

海岸近くに多数の石が点在してた。
18世紀の明和の大津波で運ばれたものだそうだ。

下地島空港そばの海岸に、魚垣(かつ)という漁法で使われる石垣が残っていた。
潮の引潮を利用して魚を捕まえる。

大きな岩
帯石という名前がついている。
石の中央に波に侵食されたくぼみがある。
現在は信仰対象になってるが、これも明和の大津波によって打ち上げられた津波石。
世界最大だそうだ。
このような津波石は、下地島に無数にあったようだけど、下地島空港建設の時に爆破され、この帯岩だけしか残されていない。







通り池

2017年07月07日 | 2017年5月宮古島の旅
2017年5月の宮古島の旅のこと書いてます。
2日目


下地島西海岸に、二つの池が底でつながる通り池があった。
水深が30m〜40mだという。

この通り池にまつわる伝説を二つ

人魚伝説(ヨナマタ伝説)
ヨナマタが捕らえられて殺されそうになった時、ヨナマタの母が津波を送り、無事波に乗って海に戻ったが、島は全滅したと伝えられる。

もう一つ
まま母がまま子を亡き者にしようと池に突き落としたら、この子は実子だったという、まま子いじめの話。


渡口の浜

2017年07月04日 | 2017年5月宮古島の旅
2017年5月の宮古島の旅のこと、書いてます。
2日目

ようやく、2日目の宮古島一周が終わりに近 づいてきた。
2015年1月に開通した伊良部大橋を渡る。

宮古島と伊良部島を結ぶ長さ3540mの橋。

伊良部島の橋入口から島を縦断すると、下地島との間に渡口の浜があった。
伊良部島を代表する海水浴場。





ふばかり石

2017年07月02日 | 2017年5月宮古島の旅
2017年5月の宮古島の旅のこと書いてます。
2日目


平良市内の海岸近くに、石柱があった。
地元では、ふばかり石(賦計り石)と呼んでいて、この石より身長が高くなると、人頭税が課せられるという言い伝えがあるそうだ。
ただ、これは史実とは無関係のようで、人頭税に苦しめられた宮古の人々の声という見方もある。

特に宮古島は、全体が隆起さんごの低地で、河川がなくやせ地だったため、当時の人頭税の過剰負担は計り知れないもの。
15歳から税金を払わなければならず、年齢や位などによって、細かく規定されている。
男子は米、女子は布を納めるわけだけど、沖縄大百科辞典によると、17世紀中期の八重山人口での計算では、男子一人平均1石8升、女子一人平均5反余。

布を1年で一人が5反。
イメージが全くわかないので
少し調べてみた。

1反とは宮古上布で8〜9m。5反といえば40〜50mだ。
100m走って10秒というんじゃない。
編んで編んで50m。

現在の宮古上布の生産高は後継者不足で、年間20反ほど。
1反120万円位から、いいものでは1000万円以上のものもあるらしい。

イメージがちょっとわいた。
すざまじい。
朝から晩まで米作りと布作り。
そしてそれを琉球王府 が徴収し、それを薩摩にとりあげられ、さらに徳川体制を支えていく。

先島の過酷な人頭税廃止運動は、宮古で生起して、1903年(明治36)にようやく廃止されます。