22日、岡山アークホテルでOSS委員会主催の「草の根講演会」が開催されました。講師は岡山湯郷ベル監督・本田美登里さんです。
参加者は50名弱。メンバー12名、県関係4名、協会関係もある程度の数、メンバー外の方も飛び込み含めて何人か来られました。19時からの開会だったのですが、時間が近づいても講師は来られず、専務理事へ「事情で到着が遅れる」との報。確かにお忙しい方で、練習を抜けられて美作から岡山まで来られるので、無理はないですね。来場者も皆納得顔です。すいません、忙しい時に我々のために岡山まで来ていただいて。
到着後すぐに開会。さっきまで練習をされていたとは思えないカジュアルというか、お洒落なないでたちです。さすが日頃ベルの選手に女性としての身だしなみを説いておられる方だけの事はあると納得。
講演は前半はプロジェクターを使用して、湯郷ベル全般の話をまちづくりなどの話も交えて講演。後半はディスカッション形式での質疑応答。これは結構活発に盛り上がりました。メンバーも活発に挙手して質問していました。
M君氏の「岡山(ベル)から離れようと思った事はありませんか?」の質問に、「ない。湯郷ベルの名前も、エンブレムも、ユニフォームもすべて自分が関わってきたし、選手のスカウティングもほとんど自分がやってきた。まさに自分はゼロからベルを作っていった言わば母親のような存在だと自覚している。だが、新しい風も必要と思い、昨年三輪コーチを招聘して、正月の好成績につながった。今現在そういう気持ちは持っていない」という頼もしいお言葉を聞けました。話を聞くうちに、本当にこの方は岡山のこのクラブを愛しているんだなあと強く伝わってきましたね。
また、「美作地区におけるサッカーでのまちづくり」について質問が出ると、作陽の野村監督とよく美作・津山地区の話になるようです。日本選手権で準優勝した作陽高校とベルの本拠地という事なので、将来「サッカーの町宣言」をしてもおかしくないなぁと個人的に思ってしまいました。本田さんも、サッカーの町である、清水、浦和、藤枝、広島がうらやましいとおっしゃられていましたね。昔の清水(本田さんの出身地)は、学校開放(今はちょっと・・)や学校のナイター設備は当たり前だったとか。夕方から校庭で子供達がサッカーに興じている横で、父兄もサッカーに興じている風景がごく普通だったとか。そんな話を聞くと、岡山とはちょっと違うなぁと実感しました。
最後は専務理事さんのご挨拶で締まりました。来場されたマスコミから、「第2回はいつするのですか?」と聞かれたそうです。
講演内容を少しご紹介させていただきます。
学習したことをチームにフィールドバックしたいという事で、現在S級コーチ取得に向けて頑張っておられるようです。
クラブ後援会員は2001年は何と22人からスタートして、2007年の現在は千人近い方が入会されているそうです。「急いで来たから入会申込書を忘れた。持ってくれば良かった~」と悔やまれていました。OSSとしても一緒に配布する予定だったのですが・・・
地域活動として少女サッカー教室等を市内の幼稚園まで数多く展開されているとか。それこそ体育の授業でボールを蹴っているそうです。楽しそうな授業ですね。美作の女の子たちの目標ですね。ここまで下部組織形成に力を入れられる訳を本田さんは語られました。「いい選手をスカウティングするが、関東などのメジャーチームからいい条件で声がかかり、今まで何度も悔しい思いをした。それならば他のクラブから欲しいと言われるような選手を自前で育成したい」と。
「私もボランティアなど、裏方の仕事がどれくらい大変か自分なりに理解している」と言われていました。日本協会の事務方として7年ほどやってきた。大会運営や仕切りなど。今も思い出すのが、西が丘での雪の日の事。雪かきをやったり、人海戦術を体験したと。今の自分にとってプラスになっていると。裏方に加えて、もっと目立たない裏方の人がいる。美作のボランティアの方々のそういう様子を選手達にいつも伝えておられるようです。
そしてOSSの皆さんへという事で、「逆に自分達に何ができるのかを教えて欲しい」とも言われました。自分達には「勝つことしかない」と。
現在、ベルにはボランティア組織があり、約50人登録され、実際は半分の人数(OSSよりいいですねー)が動いているとか。人員が足りず、今後はマンパワーが必要だそうです。
元日国立という事で、29日はただ「喜び」だったが、元旦は本当に悔しかったそうです。決勝進出が決まって、チケット無いし、前座試合だし、市長さんをはじめ、大変な事になったと大騒ぎだったそうです。正月に国立まで来て、勝って帰れなかったのは本当に悔しかったとしみじみ言われていました。何か闘将らしいお話でしたね。ただ、6年で日本一になるのは簡単じゃない。という事でベルの物語は続くという事です。これからも頑張って下さい。 written by Bmount
参加者は50名弱。メンバー12名、県関係4名、協会関係もある程度の数、メンバー外の方も飛び込み含めて何人か来られました。19時からの開会だったのですが、時間が近づいても講師は来られず、専務理事へ「事情で到着が遅れる」との報。確かにお忙しい方で、練習を抜けられて美作から岡山まで来られるので、無理はないですね。来場者も皆納得顔です。すいません、忙しい時に我々のために岡山まで来ていただいて。
到着後すぐに開会。さっきまで練習をされていたとは思えないカジュアルというか、お洒落なないでたちです。さすが日頃ベルの選手に女性としての身だしなみを説いておられる方だけの事はあると納得。
講演は前半はプロジェクターを使用して、湯郷ベル全般の話をまちづくりなどの話も交えて講演。後半はディスカッション形式での質疑応答。これは結構活発に盛り上がりました。メンバーも活発に挙手して質問していました。
M君氏の「岡山(ベル)から離れようと思った事はありませんか?」の質問に、「ない。湯郷ベルの名前も、エンブレムも、ユニフォームもすべて自分が関わってきたし、選手のスカウティングもほとんど自分がやってきた。まさに自分はゼロからベルを作っていった言わば母親のような存在だと自覚している。だが、新しい風も必要と思い、昨年三輪コーチを招聘して、正月の好成績につながった。今現在そういう気持ちは持っていない」という頼もしいお言葉を聞けました。話を聞くうちに、本当にこの方は岡山のこのクラブを愛しているんだなあと強く伝わってきましたね。
また、「美作地区におけるサッカーでのまちづくり」について質問が出ると、作陽の野村監督とよく美作・津山地区の話になるようです。日本選手権で準優勝した作陽高校とベルの本拠地という事なので、将来「サッカーの町宣言」をしてもおかしくないなぁと個人的に思ってしまいました。本田さんも、サッカーの町である、清水、浦和、藤枝、広島がうらやましいとおっしゃられていましたね。昔の清水(本田さんの出身地)は、学校開放(今はちょっと・・)や学校のナイター設備は当たり前だったとか。夕方から校庭で子供達がサッカーに興じている横で、父兄もサッカーに興じている風景がごく普通だったとか。そんな話を聞くと、岡山とはちょっと違うなぁと実感しました。
最後は専務理事さんのご挨拶で締まりました。来場されたマスコミから、「第2回はいつするのですか?」と聞かれたそうです。
講演内容を少しご紹介させていただきます。
学習したことをチームにフィールドバックしたいという事で、現在S級コーチ取得に向けて頑張っておられるようです。
クラブ後援会員は2001年は何と22人からスタートして、2007年の現在は千人近い方が入会されているそうです。「急いで来たから入会申込書を忘れた。持ってくれば良かった~」と悔やまれていました。OSSとしても一緒に配布する予定だったのですが・・・
地域活動として少女サッカー教室等を市内の幼稚園まで数多く展開されているとか。それこそ体育の授業でボールを蹴っているそうです。楽しそうな授業ですね。美作の女の子たちの目標ですね。ここまで下部組織形成に力を入れられる訳を本田さんは語られました。「いい選手をスカウティングするが、関東などのメジャーチームからいい条件で声がかかり、今まで何度も悔しい思いをした。それならば他のクラブから欲しいと言われるような選手を自前で育成したい」と。
「私もボランティアなど、裏方の仕事がどれくらい大変か自分なりに理解している」と言われていました。日本協会の事務方として7年ほどやってきた。大会運営や仕切りなど。今も思い出すのが、西が丘での雪の日の事。雪かきをやったり、人海戦術を体験したと。今の自分にとってプラスになっていると。裏方に加えて、もっと目立たない裏方の人がいる。美作のボランティアの方々のそういう様子を選手達にいつも伝えておられるようです。
そしてOSSの皆さんへという事で、「逆に自分達に何ができるのかを教えて欲しい」とも言われました。自分達には「勝つことしかない」と。
現在、ベルにはボランティア組織があり、約50人登録され、実際は半分の人数(OSSよりいいですねー)が動いているとか。人員が足りず、今後はマンパワーが必要だそうです。
元日国立という事で、29日はただ「喜び」だったが、元旦は本当に悔しかったそうです。決勝進出が決まって、チケット無いし、前座試合だし、市長さんをはじめ、大変な事になったと大騒ぎだったそうです。正月に国立まで来て、勝って帰れなかったのは本当に悔しかったとしみじみ言われていました。何か闘将らしいお話でしたね。ただ、6年で日本一になるのは簡単じゃない。という事でベルの物語は続くという事です。これからも頑張って下さい。 written by Bmount