じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

竹島・教科書・靖国神社

2005-04-06 | 論評(comment)
 今や日韓関係は(日朝はいうにおよばず)「外交戦争」(盧武鉉・のむひょん・大統領) 状態に入っています。竹島(独島)は「我が国の領土だ」とたがいに譲らない。いろいろな経緯があって現状に至っていることをまず相互に理解する必要がありますが、それをやらなければならぬ政治家がかえって事態が紛糾するように煽っているのだからたまらない。旗振りですね。ある人たちにとって、旗は大事なんですな。
 ある大臣などは「竹島は日本固有の領土」と教科書に明記せよ、とのたまっておられる。北方四島もそのようにあつかっているからというのが理由です。でも実際に四島はどうなっているのか。ありのままを書くのなら教科書に掲載する意味がある。でも、韓国やロシアは悪い国で「日本の領土を不法占拠している」というだけなら、それを教えることからどのような効果・逆効果を生むことになるか。
 おりしも06年度から使用される中学校教科書の検定結果が発表されました。ここにも大小さまざまの問題がありますが(検定=検閲なのだから問題があるのはあたりまえ)、歴史教科書では自虐史観が減少して、自讃史観というか手前味噌史観が大手を振って歩きだしたという趣(おもむき)です。教科書は、基本的には教師がつくるものという立場にわたしは立っています。検定なんて野蛮なことだとも思っています。だから、この教科書問題に関してはいうことがほとんどない。(やることはいっぱいあるけれども)
 現実に「検定教科書」なんだからといわれれば、さてそれをどのように料理するか、それが教職の醍醐味だとでもいいましょうか。勝手なことをすると処分されるぜ、とくるならどうぞ、どうぞ。
 教科書が聖典だと信じこまないかぎり、それは授業をつくるための単なる材料(教材)にすぎないのです。教科書をそのまま教えるなどというのは、仕入れてきた魚をそのままお皿に載せて客にだし、あろうことか金まで取ろうというようなもの、じつに無粋で、許されざる蛮行ですね。
 さて、靖国神社です。先日、いってきました。雨の靖国もいいですね。総理はいつ参拝にいかれるのか。心配しているのではありません。ここ当分は「郵政(似非)民営化」で時間がなさそう。いくといったらいく、これが男というものかどうか、わたしには理解できませんけど、東アジアの国々にとっては看過できない行為だということは疑えないようです。
 思い切っていえば、国家が背負うべき「戦争責任」や「戦後補償」というものをあいまいなまましてきたのだから、そして、それはもう済んだことだといいつづけてきたのだから、いつでも事が起これば、そもそもの発端(韓国併合や「侵略」時代)に戻るにちがいない。そして、今のままならこの国が存在するかぎり「外交戦争」は止むことはないと思っています、残念なことだけど。(市民や民間レベルの交流は、それとは別問題です)