じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

ふたたび、編集協力費ってなんです?

2005-04-05 | 論評(comment)
 新聞じゃなくて週刊誌だからかまわないとでもいうのかしら。文春に指摘されたから「白状」する、それも弁解がましく、とはいかにもやりきれない思いだ。「天下の朝日」がもつ週刊誌だから、なおさら「慎重に検討すべきだった」と思います。
 NHKの「政治家介入」問題で「ことの本質はNHKと政治家との距離の問題だ」というのが朝日の報道の主眼でした。同じことをそっくりいわなければならないね。「あってはならないのは一企業と週刊誌との癒着の問題だ」と。報道は社会の木鐸といわれたのはなぜでしたか。あらためて「天下の朝日」に伺いたいけれども、無駄かな。弁解・釈明などではなく、事実を以て語らしめよ。いったい、どういうことだったのか。なにがあったのか。
 その昔、沖縄の海でだったか、傷つけられた珊瑚礁の痛々しい姿(写真)が新聞の一面を飾ったことがありました。「だれだ、心ない行為をしたのは?」それを撮影したカメラマンが珊瑚礁を傷つけたご当人だった。これは単に新聞社のひとりの社員の問題ではなく、会社そのものの体質の表れだったんじゃなかったか。三菱自動車をはじめとする「大企業」の救いようのない退廃・腐敗も、会社自体の体質だと思うからこそ、やりきれないのだ。
 ある政党の大派閥では億の金がいとも無造作に(だと思う)右から左に流され、当然のようにその事実は闇に葬られている。総理大臣経験者でさえ「知らぬ存ぜぬ」とほおかむりを決め込んでいる。みんなでよってたかって、事実を隠し事の本質をゆがめてしまう、そんな政治家の現実に警鐘を乱打するからこそ目の敵にされる。それこそが当の新聞社の存在根拠だと思うのですが、批判や非難の対象と同じ事をしているようじゃ、存在の理由があるのかな。「言うに落ちず語るに落ちる」といいます。語るに落ちた話とは、どういう意味ですか。(ホントは「スズメの学校」の続きをのんびりと書きたいんです)
慎重に検討すべきだった 週刊朝日が釈明記事 (共同通信) - goo ニュース