じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

駕籠に乗る人 担ぐ人 そのまた草鞋をつ作る人

2005-04-07 | 論評(comment)
 加入率が63%程度というのは高いのか低いのか。あのNHKですら80%超ですから、公的年金制度はNHK以上に嫌われていることになります。どうしてか。40年後や50年後の人生に保険をかけるという実感がわかないからですが、そもそもその考え方がまちがいなんだというのが社会保険庁(という伏魔殿みたいな役所)の年金観です。(解体されるなんてことはまずないだろうね、国会議員さん)
 《公的年金は、「現在の現役世代が自助努力によって支払う保険料により現在の高齢者の年金給付を支え、現在の現役世代が将来高齢者となった時には、個々人の現役時代の保険料納付の実績、すなわちかつて高齢者の年金給付に対して個々人が行った貢献の度合いに応じて、次の世代の支払う保険料によって年金給付を受けるということを順繰りに行う」という考え方を基本として組み立てられています》(社会保険庁の言い分)
 日本社会で日本人として生命を長らえる者はすべからく相互扶助でいくんですよ、というのはそのとおりですが、これまで悪知恵のかぎりをつくして私腹(いや、官腹か)を肥やしてきた官庁にいわれちゃあ、お仕舞いだという不信感こそが根っ子にあるんじゃないのか。したい放題・たかり放題が露見したのはついこの前のこと。他人の金は俺の金と、いったいどれだけの金がドブ(マイポケットやマイストマック)に棄てられたか。弁済や弁償などとはきいたことがない。だから、払う側からすれば、金輪際(こんりんざい)関わりたくないということになりますね。
 仮に今、わたしは80歳だとします(もうじきです)。月々のささやかな年金で露命をつないでいる。60年前から払い込んだ掛け金はとっくにどなたかにまわってあとかたもない。だから現役(20歳から60歳までの見ず知らずの奇特な方々)に担(かつ)がれているわけですね。でも、駕籠(かご)なんて担ぐのはめんどうだししんどいから、自分はやめるよ(駕籠には乗りたくない)という人がどんどん増えている。だから、わざわざ担がなくてもいいみたいだね?
 何十年も駕籠を担いだ人は、次は自分が担がれることを期待しているにもかかわらず、担ぎ手になるだろうと想定(待望)される人・草鞋(わらじ)を作る人が後から続いてこなければ、こんなばかな駕籠にはだれも近づかないだろう。さらに不愉快なのは、国民であるならば「だれでも担がなければなりませぬ」と大声でいう側にいる連中が高価な駕籠を勝手につくって乗り放題というんじゃ、こんな制度なんか維持できるわけはないじゃないか。(この中には政治家のお手盛り「議員年金制度」もあります。これをも年金というのかね。まるで第何番目かの報酬だろ。下手に年金制度をいじると、この「お手盛り」もなおさなければならぬから、まず触らないと思うね)つまり、多くの国民は「かつがれたんだ」
 交通違反をすれば、有無をいわさず罰金(反則金)を巻き上げる。その大金はどこに消えるのかしら。(まさか?道警や神奈川県警やに…。)NHKなど見もしないのに、(みんなじゃないけど)いやいやでも受信料を払う。なにがしかの所得があれば、それなりに税金は払う(みんなじゃないけど)。でも、払うべき人が払わない(しかも4割も、イチローも負けそー)ままで、それをずっと放置しているという美風。その間にグリーンピアやらなんやらという「純金の駕籠」を乗り回されて、お払い箱にして棄ててしまう。そして、貯まっているはずの年金基金は食い物にされていく。公務員というのはたかり(T型)とおごり(O型)という新手の血液型なんだな。ここらあたりで腹をくくって、ちっとはまじめに考えなければならぬ。他人まかせがいちばんよくないね。さて、どうするか?
120万人が所得5百万超 国民年金保険料の未納者 (共同通信) - goo ニュース