じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

愛国心?

2006-03-25 | 教室(classroom)
 且夫れ一定の学制を布きて国民を一様に教育せんとするは、結局行われざるのみならず、設ひ実行せらるヽも、所謂一主義を国中に弘布するものにして、国家開明の最も害とする所なり。全国民をして一様一体の精神に養成せしめんと欲せば、則ち浴衣の揃でもよし裸の揃でもよし、斉しく是れ一様なり一体なり、唯有形無形の差あるのみ。豈国民をして如此操人形に為す可けん哉。宜く精神の異同を養成して以て独立の気象を渙発す可き也。(植木枝盛『愛国新誌』明治十三年十月)
 且つ夫れ教の義たる、先覚者の後覚者を開誘するにある以上は、恰も父母の児童を訓ゆると一般なり。父母の児童を訓ゆるは緊束を要す。則ち教育の義、固と干渉の旨を含有せりとす。且つ夫れ普通教育にして政府の干渉すること無ければ、則ち教員たる者教育の順次を誤まり、自己の癖する所に随て子弟を誘導し、未だ人間普通の徳義を弁ぜらるの児子に高尚の理論を教え、史学に托して政論を説き、甚だしきは世変に処するの術を講ずるものあるの徴を現ずるに至る。(河野敏鎌「地方学事視察につき上書」)
 この二つの文章をじっくり読んでみる。いずれも土佐の出身である両者は、<教育>を巡って両極に位置しています。一方は<自由教育>を標榜し、他方は国家の<干渉教育>を主義としているのです。いずこも同じ秋の夕暮れ、いや教育のたそがれのように思われます。時は明治十三年。自由民権運動に驚異を感じた政府筋は、国権の発動として教育を管掌(干渉)するためのさまざまな策を凝らします。これはその後の「学校教育」の分岐点となりました。この国の<近代化>に「学校教育」がおわされた制度的な使命は幾変遷をたどりつつ、敗戦にまで至ります。あるいはその後の六十年も同じ軌跡をたどったか。
 時の政府は「全国民をして一様一体の精神に養成せしめん」としているが、そんなことは実行できないし、「国家開明の最も害とする所」と激しく批判するのは植木。対して河野は「則ち教育の義、固と干渉の旨を含有せり」と勝手な理屈を並べて、国家による「干渉教育」こそとるべき教育政策だと天皇に上申したのです。
 この百三十数年、学校教育は「宜しく精神の異同を養成して以て独立の気象を渙発す可き」と「普通教育にして政府の干渉すること」の間を揺れてきたように見えますが、実際には「政府の干渉」は一貫していたというべきでしょう。とするなら、いずれ政府も管掌するのに疲れるのが道理で、近年では会社や民間団体に教育を任せようとさえしています。 ところが「精神への干渉」だけは手放したくないと見えて、どこからどこまでが実体であるのか判然としない<国家>を愛せよと教育基本法に書き込むのだという。命短し、愛せよ国を!「人間は国家を愛する動物だ」とでも考えているのかどうか。国家のなにを、どこを、どのようにして愛せよというのか。国家は幻想の共同体だと言ったのはだれ?
 どこかの地域の学校で「愛国心」の教育評価を下しているとされます。「君はあの子を愛せよ」とだれかに命じられて、相手を愛するとは信じられない。とするなら、そのような信じられない愚行・蛮行をまたぞろ強制しようとする、性悪の「干渉」教育が行われないともかぎらない。いや、現に白昼堂々と行われているのです。
 ラジオの深夜放送を聞いていた。ある番組のなかで聴取者からの手紙が紹介されました。同期に兵に取られた友人へ故郷の「恋人」から手紙が届いた。上官は内容を全員の前で朗読するように「命じた」。「春の来ない冬はない」という文面。事前に検閲して知っていての上官の仕打ち。「友人は軍法会議にかけられ、以後行方知れずとなりました」とあった。なんという愚劣。「干渉教育」の卑怯千万な一事例ではなかったか。(反干渉派)