じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

わたしはこのように授業に参加していました

2006-05-13 | 教室(classroom)
(ある授業における「学生」のコメントから)
①《「私の嫌いなこと「考えること」でした。今まで生きてきて、学校でこのような授業は一度も受けたことはないし、学校でなくふつうの日常生活においても「考える」ことはせず、物事をすぐ決めてしまう私でした。「考える」と「悩む」に至ってしまい、答がきちんと出ないと気持ち悪くなる、だから嫌いなんです。でも、この授業は、それを私に初めて行わせました。今までの勉強が、答のあるものだったから、「考えて」も答がでないと気持ち悪いと思えてしまったようで、大学に入り、この授業を受けることで、「考える」ことは答を求めるのではなく、自分で何をどう思っているかを腹の底からえぐり出すことだと分かりました。つまり「考える」ことで、自分が何を思っているのか分かる、自分を知っていけるのだと。その課程(過程)は私にとってつらいものであるけれど、「考える」ことをすればする程、自分の思っていることが明確化して、自分を知れるので、つらさの後に何か分からないけど、満足感を得られるので、「考える」こと、嫌いじゃなくなりました。何だか、ぐちゃぐちゃで言いたいことが伝わっているかどうか、心配なんですけど、来年もいろいろ「考え」させて下さい。考えます。》(一年・F)
②《こんなに考えても考えても答の出ない授業は初めてでした。でも、ものすごく心地のよい脳疲労です。いろいろな人の生き方に触れることができたのも、とても興味深くておもしろかったです。半年間あっというまでした。ありがとうございました。》(三年・F)
③この教育学研究法の授業は、私に今まで何も感じられなかったことを教えてくれる授業でした。前期とは全く違っていたので、はじめはあまりなじめなかったけどとても多くのことを、教科ではなく教科外授業のようなことを学ぶことができました。授業で招介(紹介)された人物などの本を図書館でかりて読んだりして、自分の考え方も変わってきたり広がったりしました。わかるようなわからないような奥が深くて手に負えない授業で、私は多くの感銘を受けることができました。》(一年・F)
④《…この授業は考えるチャンスを私に与えてくれたと思います。私はもともと教育学部志望ではなかったのですが、教育を考えることが人としての魅力につながると信じて日々生活しています。この授業はそういう点でほんとうにためになりました。ありがとうございました。》(一年・F)
⑤《教育とは何か?という事を考えるにあたって、一番わかりやすく参考になることが、この授業で授かることが出来ました。》(一年・M)
⑥《一年間この学部で様々な授業を受けましたが、この授業が最も視野が広くそして真をついていたと思います。とてもモチベーションの高い授業で良かったです。》(一年・M)
⑦《考える素材を提供し、考える時間を与えてくれるこの授業は自分の思考を深めることができました。完璧な教育は無いとは言いたくないけれど、多勢に向けた授業としての学びの場で、自分の考えを深めていけた場所はこの授業で初めてでした。よい機会を与えてくださりありがとうございました。》(一年・M)
⑧毎回の授業に重みがあった。自分の知識のなさを痛感させられたこともあったが、考え方は最初と比べると明らかに変わったと思う。影響をとてもうけた。》(一年・M)
⑨《正直に言うと、私ははじめの頃、先生の授業に対して抵抗がありました。なにかどこでか反発していたのだと思う。先生は私が当たり前だと思って疑わないところに焦点をあててくる。なぜ、こんなことに疑問を持ち探求するのだろう…。私はずっとそう思ってきました。毎回、触発されることばかりで、親(新)しい見方を発見する時間だったように思う。そして、何よりも雑学というか教養というか、そういう持っていると自分が豊かになるような知識(?)を得る時間でした。短い間でしたけど、ありがとうございました。》(一年・F)
⑩《非常に残念なことだが、自分は自分を、可愛がってしまう。20年という教職をどうも肯定したいと思っていたのは事実である。プロとしての自覚を持ち、給料を貰うのは当然と思っていた。しかしこの授業で教育による犯罪に等しいことが行われてきたことには、さすがに閉口した。自分を振り返り、一切、生徒との関り(略)がなく、授業を受けるたびに自分の実力を知り納得し始めた。先生の話すこと、意図することに頷くことが本当に多かった。生徒に慕われようなどと、自分が思っていないと強がりを言っていたが、裏を返せば、人間的に劣っていただけのことですね。》(三年・M)