じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

行乞記

2007-04-07 | 随想(essay)
 昭和五年九月九日
 私はまた旅に出た。愚かな旅人として放浪するより外に私の生き方はないのだ。
 七時の汽車で宇土へ、宿においてあった荷物を受取って、九時の汽車で更に八代へ、宿を決めてから、十一時より三時まで市街行乞、夜は餞別のゲルトを飲みつくした。同宿四人無駄話とりどりで面白かった。殊に宇部の乞食爺さんの話、球磨の百万長者の欲深い話などは興味深いものであった。(『あの山越えて』山頭火著作集Ⅰ、潮文社刊。69年)

 ほととぎすあすはあの山越えて行かう

 しばらく山頭火の旅につきあいたくなりました。あまりにもわがままかってな世相に背中を向けるつもりはないのですが、わがままなら、この御仁の右に出る人はまずあるまい、放哉を除いては。というわけで、神懸かりの奇人(畸人)に寄りそいます、久しぶりで。