お天気が悪かった日の写真なのでそのまま放置され、すっかり忘れ去られていたコマでした。
あまり熱心に撮りには行かなかったオリエントエクスプレス、近所を通った時に数回撮っただけでした。
東北方面ではED75重連の牽引もあったようで、勿体ない事をしました。
列番不明、EF65PF機番読めず(1107~1115の何れかだと思う)
1988年10月24日撮影、原板は67ポジ(RD)
あまり熱心に撮りには行かなかったオリエントエクスプレス、近所を通った時に数回撮っただけでした。
東北方面ではED75重連の牽引もあったようで、勿体ない事をしました。
列番不明、EF65PF機番読めず(1107~1115の何れかだと思う)
1988年10月24日撮影、原板は67ポジ(RD)
JR西がこの手のイベント列車をもう少し熱心にしていたら、復活がもう少し早かったかもしれません(笑)
あまり関係ありませんが、後方の森が今はもっとこんもりしているような気がします。
32年の成長を感じます。
客車を船で運んで、台車を履き替えて走らせるという、バブル時代でなければ出来ないことですね。
屋敷森は一部伐採されたところもありますが、木が生長して高くなっているので、今の方がこんもりしていますね。
運んでくるだけでも大変なのに軌間が違い車輛をこれだけ整備するのも大変だったでしょう。
いうなれば、バブルがもたらした一大イベントだったんだと思います。
オリエントエクスプレスはニュースでも流れたような、、、その程度の記憶しかありません。
この頃は鉄道全般にあまり興味が失せていたような気がします。
当時はお休み中でしたか...
NIOEの名物車掌さんがTVに出ていたのを見た記憶があります。
あの頃は客レも沢山あって、撮る物に困らない時代でした。それであまり熱心には撮りに行かなかったものと思います。
NIOE…もう30年以上の時が経っているのですね。早い。確かDJ誌11月号に全行程が掲載され、当時の地元の通過はすべて平日。どうにかして撮影しようと日程や時刻を詳細に詰めたものです。
この9111列車はどうあがいても帰宅後にカメラを持って沿線では間に合わず、放課後に同じように見たい友人と駆け付けました。授業終了後、鞄とカメラをしのばせたリュックを担いで脱兎のごとく昇降口を駆け抜け沿線の踏切へ。
天候もいまいちで露出が上がらない中をゆっくりPFとともに姿を見せました。シャッタースピードが稼げないため先頭は動体ブレでしたが、通過後にかなりスピードを落としたせいかオニはしっかり止まってくれました。
翌月1017号機で上ってきた時には一緒に通学する友人に「明日はちょっと用事済ませてから直行するから」と話して、しっかり撮影してからギリギリの時間に何食わぬ顔で教室へ(最近はエクストリーム登校とか言うのでしょうか・この件はまた後日)。
いま考えても凄い時代でした。某お偉方ではありませんが当時は「できない理由でなく、できる方法を模索」していたのですね。
失礼しました。
列番ご教示有り難うございます。当時のダイヤ情報誌に載っていた事をすっかり忘れていました。と言っても、直ぐには出てこないので助かりました。
下り列車を撮ったのはこの時だけでしたが、今思うと、もっとお天気の良い日に撮りたかったですね。