留萌本線撮影の次の日(7月31日)は宗谷本線の塩狩峠でC55、C57、D51を撮影、そのまま名寄の駅前旅館に投宿。
翌8月1日は名寄を出発する322レ(C5787)を撮影後、旅館に戻って朝食をとり、名寄を8時過ぎに出る1623Dに乗って一の橋までやって来ました。
一の橋~上興部間には名寄本線の一番の難所、天北峠が控えています。
一の橋から国道239号線を上興部に向かって約2Km歩くと、やがて線路が近づいてきます。
国道から線路際の斜面へ登り、1691レを撮影、ナンバープレートに特徴がある49666の牽引でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/54/07b49bca8f321209d0958937ba185078.jpg)
名寄本線 一の橋~上興部 1974年8月1日撮影
下の方に国道239号線が少し見えています。
この辺りから峠に向かっては未舗装だったと思います。
1972年7月31日~8月1日にもこの区間で96の牽く貨物列車を撮影していますが、その時は一の橋から上興部まで11Kmを踏破しています。
暑い日で、未舗装の峠越えは時々通過する車で埃まみれ、汗をかくとアブが寄ってきてこれを払いながらの行軍でした。
そんな思い出があったので、この時は流石に天北峠をもう一度踏破しようとは考えませんでした。(笑)
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翌8月1日は名寄を出発する322レ(C5787)を撮影後、旅館に戻って朝食をとり、名寄を8時過ぎに出る1623Dに乗って一の橋までやって来ました。
一の橋~上興部間には名寄本線の一番の難所、天北峠が控えています。
一の橋から国道239号線を上興部に向かって約2Km歩くと、やがて線路が近づいてきます。
国道から線路際の斜面へ登り、1691レを撮影、ナンバープレートに特徴がある49666の牽引でした。
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名寄本線 一の橋~上興部 1974年8月1日撮影
下の方に国道239号線が少し見えています。
この辺りから峠に向かっては未舗装だったと思います。
1972年7月31日~8月1日にもこの区間で96の牽く貨物列車を撮影していますが、その時は一の橋から上興部まで11Kmを踏破しています。
暑い日で、未舗装の峠越えは時々通過する車で埃まみれ、汗をかくとアブが寄ってきてこれを払いながらの行軍でした。
そんな思い出があったので、この時は流石に天北峠をもう一度踏破しようとは考えませんでした。(笑)
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夏の時期になると、汗を掻くとアブが寄って来るので厄介ですよね。
当時は虫除けスプレーなどないでしょうから払いのけないと
大変な事になりますね。
このキューロクのナンバー、見てくれは悪いですが
素性を読むのにはいい配置してますね。
キューロクは下二桁が99まで行ったら万の位を1増やせばいいので
製造数が分かりやすいですが、ハチロクは面倒ですね。
この番号付与方法、どうも慣れません。
計算が不得意なもので、ハチロクは本当に面倒ですね。
96は、アルファベットが付かない形式で一番最後まで残った形式ですが、こんなに長く使われるのだったらD**に改番しても良かったかも知れませんね。
未舗装ですか。この頃の北海道だったら地元の人の運転、荒そうですから、埃まみれになりますね。
いまでこそ(笑)が後ろにつきますが、当時は辛い思い出だったんでしょうね(笑)
当時やっと中坊だった電関人がもっとこの罐の
魅力を理解していればと後悔が残ります。
糸田線の背合わせ重連など・・・。
でも、峠のサミット付近は夏場は良い撮影地ではなかったですね。
酷道とか酷電とか...当時と比べると今はホントに楽ですね。
北海道はほとんどトラ塗りだったので否応無しでしたが。(笑)
名寄本線天北峠は73,3と74,3の2回訪れています。
いずれも一の橋駅からサミットまでの徒歩による踏破です。
1691レを撮影した後にサミットを越えて1690レを撮影。その後、名寄にC55の交換を撮影に行き、戻っては一の橋駅から歩いて1693レの撮影が定番行為でした。3月なので暑さや虫に悩まされた事は有りませんし、深い雪に覆われていたので全てが神々しく見えたものです。今から思えばよく歩いたなと思います。それだけに思い出は深いですね。
サミットまでは一の橋側からでも5~6Kmあったと思いますが、雪中行軍はさぞ大変だったと思います。
でも、努力に見合った写真が撮れたでしょうね。