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有名すぎて、難しい、かな?

2018-06-01 10:38:29 | 読書ー本の紹介

ドラッガーという人の本。  アメリカの経済学では、有名!

で、きっと難解で、読みにくいと勝手に思っていたが、なんのなんの、訳者が良いせいもあるかも、だが、きっと、元の文章も、分かりやすく書いている、のだと思う。

読んでいて、この人がすごいなあ、と思うのは、理論だけでなく(つまり机上だけでの企画ではなく)、実際に現場での、マーケティングが大切だということを、色々な事例を通して、同じ内容でも、それぞれが、違っている。 と、何度も紹介していることだ。  こうすれば、うまくいった、というどこかでの成功事例があれば、同じことをすれば、誰でも成功する、ということが間違いだ、ということを何度も何度も、事例を紹介しながら、教えてくれる。

そこがスゴイ。 しかも、具体的に、そこでは、何が良くて、何が問題で、何が良くなかったのか、などが教えられている。 

なので、そのまま、日本で、そっくりあてはまるものではないが、彼は、日本の組織のありようを、結構ほめている。但し、そのことはアメリカと日本の文化などの違いかもしれない。

 先日、ようやく読み終わったもの、がこれ。年代物で、1983年(昭和53年)の出版だ。なので、時代背景を考えながら読んでいたが、感服!である。 今の(もはや、平成も終わろうとしているが)時期、ようやく年寄りの問題が、すでに分かっていたのにもかかわらず、医療も含めて、幸せに生き切る(安らかに死ぬ)ということをテーマに、取り組んできた、ある医師の在宅ケアのハナシ、紹介である。

 実に、35年も前の実話!

病院で死ぬのが、今の都会では、当たり前のように意識しているが、それは、ある意味、仕方のない部分もあると思う。 が、この本では、実は、35年以上も前からこの問題に取り組み、在宅で老人が生き生き出来るためには、どうすれば良いか、ということをテーマに、医療の側から入っていき、とうとう、実践していくことになったいきさつが載っている。

その中で、気になる記事が載っていたので、少し引用したいので。 

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著者が、自身の親のさいごを看取った時のハナシの中で、身近にいた時は一生懸命であっても、遠くに離れると、つい疎遠になるし、例えば老人ホームに入ると、尋ねることが減っていく。 それに引き換え、イギリスやオランダに行くと、一人暮らしとかホームとか関係なく、家族が代わる代わる見舞いに来る。と、ある先生(日本思想史の研究家)におsれについて尋ねてみた。   「私は、西欧諸国の老人をつぶさに見たわけではないから詳しいことは分かりませんが」と前置きしてその先生は、こういわれた。

日本人には、対象物と自分との間の「関係」のみが実態として存在するので、手に触れることも見ることも出来ないものは実態として存在しない。例えば「雨が降る」という日本語は、天から水が落ちてくる状態と見ている自分の間の関係をさして言うものである。なので、密室で雨を見ることも出来ず、雨の音を聞くこともなければ、私には「雨は存在していない」。  しかし、西洋の思想から言えば、目に見えなくても、耳に聞こえなくても、客観的に密室の外の「雨は存在する」。例えをもう一つ言えば、AがBの財布を盗むが、見つかってしまいAはBに謝って返品する。日本では、罪はAとBの関係の中にのみ存在するので、Aの謝罪を受け入れて、Bが許してやれば「罪は存在しなくなる」。ところが西欧では、Bが個人的に許してやっても客観的には紙の前には「罪は存在する」。そして法律はそれを裁くのである。  と。

その先生は、その後いろいろと話したあと、「その意味では、あなたが設計、企画している”老人ハウス”の構想を評価します」と言った。

<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<< 少し、端折っているが・・・

で、ドラッカーに戻るが、この人も、日本人と、西洋人との違いについて、分析しているところがあった。 なので、同じく、ボランティアをやるNPOを立ち上げても、少し、方法が違うほうが、上手くいくという、解説だったような。  (少し、日本人の行動を、褒めているようなところも、確かあったような・・・)

ああっ、ややこしや~、ややこしや~。 ちょっと、お酒でも飲んで、落ち着いて考えようかっと。。

 しかし、在宅で、最後を看取ってもらう、なんてことは、難しいねぇ~、でも、幸せそうだなあ。(病院だと、最後にちょっと一杯、なんて出来ないもんネ! えへっ。)



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