旺生のラクガキ。。。
初めて訪問された方は
コチラ→らんまりのラクガキ。。。説明書
【病名】
【内服薬種類】
【手術歴・治療経過】
詳しい内容はママンのラクガキ。。。
【発達障害関連】
詳しい内容はママンのラクガキ。。。Ⅱ
【製作・アプローチ関連】⇒☆click☆
【教材製作】小学1年生用⇒☆click☆
小学2年生用⇒☆click☆
【成長の記録】⇒☆click☆
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らんまりのラクガキ。。。
初めて遊びに来てくれた方は
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単心室症
手術歴・治療経過についての
詳しい内容は
コチラママンのラクガキ。。。
心理学に関しての知識はないんだけれど
ブログを書くにあたって
心情や書きたい内容を書きなぐった上で
「こういう気持ちをどう表現したら
もっとうまく文字で表せるのかな」って
少し掘り下げて考えようとして
調べたりすることがある。
『同質の原理』
“類似性の法則”などについて少し書いたけれど
あれに少し似ているもの。
ブログを書いていて
「自分の気持ちを
代弁してもらった気分になった」
などというコメントをいただけることもあり
そんな風に言ってもらえて嬉しく感じる。
何故かというと
おそらく自分の今までの経験の中で
自分の気持ちを代弁しているような
本だったり歌詞だったりに
心地良さを感じてきた記憶が
あるからだと思う。
そもそも人は何故
自分の気持ちを代弁されることに
心地良さを感じるのか。
ブログを書くにあたって
当たり前なんだけれど
ある事象が生じさせる自分の感情を
文字に起こす。
この作業をするとき
気持ちを整理する目的と
100%の自分の気持ちを
形にして残したい
という想いがどこかにあって。
そしてその表現の仕方は
ひとりとして同じものはなく
また読み手によって変化したりもする。
プロという言葉が
適切なのかわからないけれど
詩人だったり小説家だったり
アーティストと呼ばれる芸術家だったり
芸術活動を生業にしている方々の作品に触れて
心を揺さぶられたり
心を奪われたりすることがある。
そういう目に見えない衝撃が
琴線に触れることで
特に若い頃に陥りがちなのかもしれないけれど
その時の感情の高ぶりや空気に呑まれて
本来なら誰かの心に共鳴されるものなのに
本質を掴めぬまま
自分が気持ちよくなるための
手段に成り下がり
自己陶酔気味のポエムのようなものを
発信してしまって
後で振り返ってみると赤面もの
みたいなものを誰しも一度や二度
目にしたことがあるのでは。
ブログは
過去に書いた記事も生き残る。
だから私もそれだけは避けたい
という想いは常にあって
でも自分の気持ちを
できるだけストックしておきたい
と思いながら
特に強い想いを秘めて
記事を書いている時なんかは
文字を書くことに
気持ちを綴ることに
難しさを感じる。
人は想っていること、感じていることが
心の中に確実にある。
音楽だったり歌詞だったり
詩だったりに刺激され
感動や共鳴が生まれるから
自分の気持ちを代弁されることに
心地良さを感じるのだろうか。
芸術活動に携わったこともない
ズブの素人が書く
“らんまりのラクガキ。。。”
というブログを
読んでくださる方がいてくれて
それだけでも喜ばしいことなのに
「自分の気持ちを代弁してくれて救われた」
などという言葉をいただけることを
心から嬉しく思っている。
そんな中である方から言われたこと。
「ブログを読んでいると
歌をきいているみたいな気持ちになる」
その言葉がすごく嬉しくて。
冒頭に書いた『同質の原理』とは
聴き手の気分やテンポに合った
音楽を与えることで
精神的に良い方向へ
向かわせる音楽療法の原理。
この根底に存在するものは
“共鳴”
なのかな。
私の場合
自分の気持ちを
代弁してくれているような作品に
出逢った時
心の傷が癒えるような感覚に陥る。
らんまりのラクガキ。。。も
そんな力を持っているといいな
なんて思う。
というのも
自分の“あの頃”の気持ちを
鮮明に映し出しているものを
目の当たりにしたからなんだと思う。
それぞれが意味を持ち繋がっていく感覚。
角度によっては
全然違う物語を映し出していて
それぞれの心をひも解く力を持っていた。
どこにピントを合わせても
心をもっていかれるような表現に
次元の違いというべきか
圧倒的な格の違いを目の当たりにする。
私より人生経験を積んでいる方からすると
「まだあなたも若いでしょうに」と
思われるかもしれないけれど
若い頃に比べると
感動することに鈍くなったというか
心を射抜かれる事象に
なかなか出逢わなくなったように感じる。
歳を重ねるたびに
胸を焦がすような想いや
しびれるような衝撃が
走らなくなるというか。
そんな中
私は旺ちゃんに巡りあって
その存在の大きさに
旺ちゃんに背負わせてしまった運命に
心がひきちぎられそうになっていた
あの頃の気持ちを
まるで心を覗かれていたかのように
綺麗に
痛々しくも鮮明に
映し出されていた。
いつも読んで下さり
ありがとうございます。
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