祖母が亡くなった時の母の振る舞いを見て、正直、あれはないよね、と思いました。
ああは、なりたくない・・・。
道徳的にどうのこうの、というのではなく、あれでは祖母も母も苦しかろう、と。
母は、結局、実の親と、この世で最後まで和解できなかったわけでしょう。
それって、相手が死んでいなくなったから終了、というほど単純なことではない気がするんですよね。
つまりね、亡くなって数年経った今でもなお、母は、心の中で、祖母と戦っているんじゃないかって、
そんな風に思えてしまう。
そりゃ、いつもいつもではないけれど、何かのきっかけでスイッチが入ってしまうと、
相手が亡くなってこの世にいないだけに、逆に、やり場のない怒りに振り回されてしまうんじゃないか、
それはもう、本当に苦しかろう・・・そんな風に思えてしまうのです。
だから、ああは、なりたくない。
例えは違いますが、私は結婚して親元を離れ、主婦として母として長く生きています。
もういいかげん、一人の大人の女性なわけ。
ところが、なにか、洋服を買おうとすると、自分は「これ、綺麗でいいなぁ。」と思っても、
心の中で、母の「なに、こんな色のひらひらした服。やめなさい。」という声が聞こえてきてしまい、
気に入っている服を買うことをためらってしまう。
そんなばかばかしいことが、ほんの10年前くらいまで、私の心の中では起こっていたのです。
内なる子、インナーチャイルドがいるように、内なる親、インナーペアレンツも存在するのです。
私の場合も、その「内なる母」が、実に様々な場面で出てきては、私を支配し責め続けました。
私も、心の中で、母と戦い続けてきたわけです。
すごく疲れる上に、なんの益もない。
だから、やめよう、やめなくちゃ、と思ったわけ。
これが「折り合いをつける」っていうことでした。私なりの。
ああは、なりたくない・・・。
道徳的にどうのこうの、というのではなく、あれでは祖母も母も苦しかろう、と。
母は、結局、実の親と、この世で最後まで和解できなかったわけでしょう。
それって、相手が死んでいなくなったから終了、というほど単純なことではない気がするんですよね。
つまりね、亡くなって数年経った今でもなお、母は、心の中で、祖母と戦っているんじゃないかって、
そんな風に思えてしまう。
そりゃ、いつもいつもではないけれど、何かのきっかけでスイッチが入ってしまうと、
相手が亡くなってこの世にいないだけに、逆に、やり場のない怒りに振り回されてしまうんじゃないか、
それはもう、本当に苦しかろう・・・そんな風に思えてしまうのです。
だから、ああは、なりたくない。
例えは違いますが、私は結婚して親元を離れ、主婦として母として長く生きています。
もういいかげん、一人の大人の女性なわけ。
ところが、なにか、洋服を買おうとすると、自分は「これ、綺麗でいいなぁ。」と思っても、
心の中で、母の「なに、こんな色のひらひらした服。やめなさい。」という声が聞こえてきてしまい、
気に入っている服を買うことをためらってしまう。
そんなばかばかしいことが、ほんの10年前くらいまで、私の心の中では起こっていたのです。
内なる子、インナーチャイルドがいるように、内なる親、インナーペアレンツも存在するのです。
私の場合も、その「内なる母」が、実に様々な場面で出てきては、私を支配し責め続けました。
私も、心の中で、母と戦い続けてきたわけです。
すごく疲れる上に、なんの益もない。
だから、やめよう、やめなくちゃ、と思ったわけ。
これが「折り合いをつける」っていうことでした。私なりの。