関富士~石山観音~そして、ラストは河内渓谷
11月29日のこと。
ひと頃の混雑ぶりが嘘のように静かな長徳寺周辺の散策です。
妻も下からスマホ
紅蓮の炎
長徳寺は津市芸濃町雲林院と言って河内渓谷入り口に所在します。
境内の龍王桜は一見の価値ありです
本来の桜とは時期が若干遅れ、ピンク色の桜と新緑の若葉が同時に楽しめます。
長徳寺から、徒歩で渓谷入り口の門前ガ淵へ下ります。
少し前まで大渋滞を招いたスポットで、夜間のライトアップもの大人気でした
アーチが綺麗な忍田橋
↑の川は津市内を貫流する安濃川で左右に、津市の名峰・経ヶ峰&錫杖ヶ岳を源流とします。
以前、沿岸には十箇村あったが現在大半は廃村か、限界集落となっています。
私は山歩きをしているうちにこの地域に興味を持ち、妻と一緒によく訪ね歩いたものです。
この門前ガ淵より先の集落名をあげてみると、まず安濃ダムの下が①梅ケ畑と言って五色椿の浄徳寺は唯一残った有人のお寺です。
そこから少し左に入って②宝並、源了寺は若和尚が時折スポーツタイプのセダンで通っている。
そこからダムを越えると錫杖湖となるが、その湖底に③杖立という集落もあった。
昔の河内小学校の跡地の湖水荘を左に公園を抜けるとまもなく④下之垣内だ。中心は本法寺で錫杖ヶ岳の登山口でもある。
更に進むと川は二つに分かれる。そこは⑤落合で中心となる高台に成覚寺がある。地元では維盛さんと呼ばれてもいる。
平家の落人伝説が残る「平維盛の墓」が今も本堂裏にある。住民は平家の子孫とされ落合さんばかりだ。
住職さんは先年、奥さまを亡くしお一人になられたのを機に、麓に引っ越され時折通われている。落合の右隣が⑥北畑でそれより先には集落はない。左に進路をとる。
しばらく左岸の道を走ると右側に地蔵が祭られた祠があり、今夏その前の川で孫と川遊びをしたものだ。
それはさておき、さらに進むと右手に小山内神社の急な石の階段がある。更に走り民家が見えてくれば⑦南之垣内だ。川は大きく屈曲しその根元に澄源寺がある。
右へ走ると、対岸に10軒ばかり民家が見えるが、一目で廃村と分かる。⑧六呂屋だ。さらに進むと⑨覚ヶ野で、Nさんという方が20年ほど前から住み始めている。
以上9箇村と資料にはあるが、さらに道は山を登り切ると⑩峠という集落に達する。伊勢国と伊賀国との国境の地だ。
この集落が数に含まれないわけは、江戸の時代には存在せず昭和のバブル期に別荘ブームを当て込み造成されたと思われる。
<人口の推移>
江戸時代には1,039人 → 明治時代 870人 → 大正時代 722人 → 我が生誕年 730人 → 令和元年 50人
この人口推移は、全く驚くべきことではない。地方では今や当たり前の現象だ。現に私の故郷大紀町など現象比率は河内集落を凌ぐのではないだろうか!?
我が母校・柏崎小学校は全児童約600人ほどだったと思われる。現在、大内山と錦と柏崎の3校が合併しようやく50人るのだろうか
そこで私が世の、政治家先生たちに言いたいのは、一極集中vs地方創生論なんてきれい事ばかり言ってるとホントに日本滅びるぞッと。
~ 体調(風邪)も天候もパッとしません。こんな時こそと思い(?)ノートレしてみました ~
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