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気ままな散策に出かけた寺神社、風景、人、城跡、歴史建物、花などです。写真は他に転載禁止

掛川市の城巡り①

2006年10月21日 | 静岡県の城

静岡県掛川市の城巡り高天神城跡へ(たかてんじん)

徳川家康と武田信玄・勝頼父子が10年にわたり攻防した難航不落の城。駅からバスにて城東中学校前に着き歩き・・・

 

地元の人に聞き後ろの城山ですと・・・

高天神城址へ

まずは登り口の地図を見る・・・搦手門址

三日月井戸武田軍が井戸を造った。

右へ行くと二の丸跡へ左の階段を行くと高天神神社から馬場平。

とりあえず馬場平へと・・・

高天神神社の右に高天神城紀の碑があったが読みにくいな・・・昭和三年と刻まれていた。

馬場平から右側に御前崎が見えるかなと思っていたがあいにくの曇りだ。抜け道の説明があり・・・

甚五郎抜け道と説明・・・

道はあり行きたがったが時間なくもとの戻り二の丸へ向かった。

二の丸 堂の曲輪址

先ほどの左下へ歩き・・・

本間・丸尾兄弟墓碑

本間五郎兵衛は丸尾和泉守の子 八郎三郎を養子としている。本間家は徳川に属し後-勝頼に属し高天神城で鉄砲にて討死、その子は後に徳川に支えた。一豊みたいににているかな・・・

井戸曲輪へもどり本丸址へ向かう・・・

途中の説明板

左に横須賀城、(天正6年家康築城)上には掛川城(文明年間今川義忠築城 永禄12年家康領有)、右には相良城(元亀2年信玄築城 天正6年勝頼修築 天正9年家康領有)、右上には諏訪原城、小山城

やつと本丸址へ標高130mくらいかなー

説明板

武田信玄が落とせなかった城を勝頼が三の丸まで攻め使者を立て知行1万貫を与えることで降伏をと・・・小笠原長忠は家康援軍待ったがついに開城をした。そのご家康は4キロ先に横須賀を築城し浜松城の防衛にあたらせた。

 

本丸から東の眺望。茶畑・・・左へは掛川駅と・・・地元の人は昔ここに模擬の砦の寄付を集めていたが、県の許可下りずたち切れとなったとのこと残念。(天正9年に家康が焼き払ってしまった)

本丸から下山し大手門址を通り・・・

大手門から下り道・・・

駐車場へ着いた。こちらからの方が本丸までは近いな・・三の丸をパスしてしまつたので残念・・・次回にと、いつになるやら

帰りのバス停まで歩き・・・近くのバス停があったが土日曜は走ってなかった、さらに歩き・・・最初のバス停まで2キロぐらいかな疲れた。土日曜は一時間に2本しか走ってない。やはり次回は車だと思った。

20分くらい掛かって掛川駅へと・・・

 

 

 

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