おが の 冗談本気

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第753話 「忌野清志郎 氏・・・死去」

2009年05月05日 10時44分39秒 | Weblog

もうニュース関連で色々やってるので皆さんはご存知だと思いますが
忌野清志郎さんが58歳の若さで亡くなりました。
それでは忌野清志郎のことを少し書いてみようかと思います。

忌野清志郎はご存知、RCサクセションのボーカルでした。
私がRCサクセションの存在を知ったのは私が小学生の頃でした。
この頃の記憶はちょっとうやむやなんですが
当時人気だった歌番組、ザ・ベストテンに出演したのを観た記憶があります。

たしかレコーディング・スタジオからの中継で「サマーツアー」
を演ってた記憶があります。
司会の黒柳徹子がRCサクセションの命名の由来を質問して
清志郎がガムを噛みながらふてぶてしい態度で
「みんなで作曲をしようとしたためで~す~」と言ってた記憶がある。
当時としてはど派手な清志郎のメイクもそうなんですが
小学生の頃の私はその映像は衝撃でした。
この頃の音楽はアイドル全盛。
その中でラリってるような清志郎は小学生には刺激が強すぎました。

そして当時YMOの坂本龍一と清志郎がユニットを組み、
「い・け・な・いルージュマジック」をリリースし大ヒット。
たしか化粧品のCMソングに起用されてました。

私が中学生になってたしか中3の頃、同じクラスの女の子で清志郎
を好きな女の子がいたんですよね。
私の周りには当時はそんな人は居なかったんで
「変わってるなぁ・・」とは思ってました。

そして中学生の頃に初めてバンドを組もうかと思ってた頃、
同級生で清水氏という人がいて彼は当時の八戸で一番上手いギタリストだった。
私と村口氏とで清水氏の自宅に初めて行ってギターを聴かせてもらった。
その清水氏の部屋にRCサクセションのポスターが
貼ってあったのを憶えてますね。

私はRCサクセションをちゃんと聴き始めたのは比較的遅かった。
学生の頃はハードロックやメタルばかり聴いていた。
上京してきてパンクに目覚めるんだけど
パンクに目覚める前までの短期間、この頃に少しだけ聴いた。

たしかこの頃の私はエアロスミス、ハノイロックス、
ニューヨーク・ドールズ、ローリング・ストーンズなどを聴いてた。
この頃のRCサクセションは「COVERS」というアルバムをリリースした頃。
色んな昔のロックのカヴァーをしてるんだけど歌詞は日本語で
世間的にはタブーとされてる事を歌詞にして話題になってた。
発売禁止とか色々あった。
その後、清志郎は「COVERS」の延長線上の音楽性をもった覆面バンド、
タイマーズを結成して話題を振りまいてた。

私はRCサクセションはそんなに聴きこんだって訳じゃない。
何枚か有名なアルバムを聴いたくらいだ。
しかし日本のロックにおいては間違いなく重要なバンドだし
最近でも現役で頑張ってる清志郎は尊敬に値するミュージシャンでした。
ここ数年の映画にも清志郎は何本か出演していて頑張ってました。

RCサクセションのアルバムを久しぶりに聴き返してみようと思ってる。
私がRCサクセションを聴いてた頃、一番好きだった曲が
「トランジスタ・ラジオ」でした。
不自由な高校生活を送ってた私に自由を感じさせてくれた曲でした。
オヤジロッカーとしての見本を見せてくれた
忌野清志郎氏のご冥福を心よりお祈りします。


※You Tube動画


●RC サクセション / トランジスタ・ラジオ



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