日暮しトンボは日々MUSOUする

恋ヶ窪物語(再構築版)




私がまだ東京デザイナー学院(通称“東デ”)に通っていた頃、国分寺から少し離れた「恋ヶ窪」と言う所に住んでいた。 駅から25分の狭いロフト付きワンルームは、窓を開けて見える景色は畑の緑一色で、土に埋まっている時のキャベツとレタスの区別がつかないまま、僕と彼女は一緒に暮らし始めた。 東デで同じクラスになって、些細な部分が共鳴し合った僕らは、同じ夢を持つもの同志、一緒に住むのはもはや必然だった。 その鳥カゴのような狭い部屋には、洋服を掛けるポールハンガーが壁に備え付けられており、それが鳥カゴに付いている止まり木のようで、なんだか妙にこの部屋にマッチしていると思った。 初めて家族以外の他人と暮らすには、お互い最小限のルールが必要で、例えば風呂場の窓や冷蔵庫の扉などを開けっ放しにしないとか、部屋が狭いので、生活必需品以外のモノはなるべく置かないようにするとか、そのほとんどは僕に当てはまるものだったが、あの頃はその拘束が新鮮で嬉しかった。
ある日彼女がホームセンターで、先っぽが鳥の形をした大きな洗濯バサミを二つ買ってきて、これをポールに並べて付けると、まるで2羽のインコが止まり木で仲良く肩を寄せているように見えた。   

「ほらね、カワイイでしょ」と嬉しそうにインコの洗濯バサミを見る彼女。

「これじゃあますます鳥カゴだね」と言って、僕らは顔を見合わせて笑った。
すると彼女が突然、本物のインコを飼おうと言い始めた。
僕たちは国分寺にある「ハナコ」という画材店でよく絵の材料を買っていたので、そこで貰ったお釣りの端数を貯金して、それが貯まったらインコを2羽買おうということにした。
もちろんたかが鳥2羽が買えないほどお金がないわけではない。
ただ、焦らずゆっくりと自分たちのペースで築いてゆく何かが欲しかったんだと思う。
それは大それたものではなく、この部屋に似合う質素な目標でよかった。
早速インコ貯金なるものが始まった。
近所のリサイクルショップで買った缶の貯金箱に、買い物をした時のお釣りの5円玉と1円玉だけをこの貯金箱に入れるのがルール。 ハナコから帰ると真っ先に、貯金箱にお釣りを入れてはカランカラン振って、インコ貯金が貯まっていくのを二人で確かめた。
僕たちは、その音が徐々に重さを感じることに小さな幸せを感じていたんだ。

たまに余計なモノを衝動買いして彼女に怒られるけど、僕らはそれなりに幸せだった。




専門学校には相模原の実家から通っていたので、実家を出て自力で生活するのはこれが初めてだった。 友達と遊んで真夜中過ぎに帰っても、親が寝ている部屋の前をそ〜っと通ることはもうないのだ。 そんな開放的で自由度の高い新しい生活に浮かれていた僕は、学校の課題も疎かになっていた。かと言って遊んでばかりではない。 働かなければ生活はできないのだ。 彼女は早くも、国分寺の喫茶店でウエイトレスの仕事を見つけた。 僕は接客業が苦手なので、西八王子の印刷工房でシールやステッカーを制作するバイトを始めた。 彼女の仕事はローテーション次第なので、暇な時にはわりと自由が効く。 今までは東デの仲間たちと、アート展や美術館に行ったりもしたが、僕の仕事は授業がある時以外はなるべく仕事に行かなければならない。それ以外の都合では滅多に休めないので、僕だけ友達と付き合えない事が多くなった。 
ある日、いつもつるんでいるクラス仲間が、乃木坂の美術館でミュシャ展やるんだって、みんな行くことになったんだけど一緒に行こうよ。 と、僕を誘う。 けど僕はその日も仕事があってやはり行けない。 僕は皮肉まじりで「こちとら必死で家賃を稼いでいるのに、お前らスネかじりの在宅組は呑気でいいなぁ」と、わざとふてくされた感じで彼らに軽く言葉を投げつけた。 その彼らの後ろの方に彼女もいた。
アパートの部屋に帰ると彼女は、「私もミュシャ展行くのやめたから」と、言ったので、「なんで?行けばいいじゃん」と僕は言った。 そしたらさも気を使った感じで「元々あまり気が進まなかったんだ」なんて言うもんだから、僕の中の何かが吹き出した。 「行けよ。別に行くなとは誰も言ってないし。 僕らは同じデザインの道を志す者同志であって、恋人同士ではないんだから、束縛も干渉も一切なしだ」 それを言った後、彼女の口がへの字に状態のまま固まった。 少し間があって「わかった」と彼女は言って、ハシゴを登ってロフトに上がって行った。  天井と屋根の傾斜の狭い隙間から彼女の声が小さく響く。

「ねぇ、そのまま印刷工になっちゃうの?」 

僕は彼女が言ったその言葉の後に、ただの沈黙でつなげた。

それから彼女の生活と僕の生活は、同じ部屋に住んでいても、生活サイクルは全く別になった。
彼女は僕に気兼ねすることもなく、仲間たちと美術館やアート展巡りをし、デザインの勉強に本腰を入れ始めた。 友達の家で課題をやるのでアパートに帰らない日も多くなった。
相変わらず彼女は貯金箱にお釣りを入れていたが、僕は全く入れなくなった。

しばらくして、会社の暇な時期を見計らって僕は印刷工房を辞めた。 そして思い出したかの様に、サボっていた学校に真面目に行くようになり、課題にも真剣に取り組むようになった。 




僕は時々、国分寺の画材店に行くのにわざわざ玉川上水の遊歩道を
ぶらぶら散歩しながら行く。
この日は珍しく同居人の彼女が一緒についてきた。
いつもはジーパンと安物のスリッポンなのだが、この時は夏らしい花柄のワンピースに
サンダルと麦わら帽子だった。
深々と緑が生い茂った樹々の間から、溢れた光がザワザワ動く。
水路の横の細い道を僕と彼女はてくてくと歩いた。
途中にある小さな橋の真ん中で彼女がポツリと言った。

「あのね わたし好きな人ができたの… 」


「 あ… ああ そう 」


僕の脳裏にクラスメイトのある男の顔が浮かんだが、
とっさに冷静を装うことができてホッとしている。
僕たちは同じ道を志す同志であって、恋人同士ではない と言ってしまったあの日から、
いつか言い出すのではないかと、覚悟はしていた。

彼女は橋の欄干に手を置いて「ごめんね」と優しい声で言った。

「別に謝ることじゃないよ、僕たちは結婚を約束したわけじゃないし…
 これはただの共同生活だ。 君が誰を好きになろうと自由だ」

こう言ったセリフは前もって用意はしていたものの、まさか本当に言う日が来るなんて…
深いため息を押し殺して、なおも冷静を装う。
それから少し彼女と話しながら、画材店近くの道で彼女は別の用事で別れた。
僕はイラストボードとリキテックスの足りない色を数本買い、アパートへ帰った。

彼女はまだ帰ってないみたいだ。 

僕は久しぶりに、画材のお釣りをインコを買うための貯金箱に入れた。

あの時、彼女がごめんねと言って涙なんか流していたなら、
ここぞとばかりに彼女の心変わりのせいにして、自分を庇ってしまっただろう。

僕の心の奥底にしまい込んでいた彼女への感情に一生気付くことはなかった。






やがて時が過ぎ、
窓の外の野菜が、キャベツかレタスわからないまま別の野菜に入れ変わった頃、
この部屋には僕だけが残った。
一人になった分、僕の私物が増え、散らかしっぱなしで前よりも部屋が狭くなった。 
いつも片付けてくれてた人がいなくなったからだ。
残されたインコ貯金の缶の横で 僕はボ~ッと窓の外を眺める。




そうか…   鳥カゴの扉を開けっ放しにしたのは僕だった。






この物語は8割が実話で、あとの2割がキラキラメモリーでデコってます。 (苦笑)

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