これは、「財産と言えるものがあって、親族に適切に配分しなければならない」場合を除くハナシだ。
6年前に母が亡くなり。
1年と数カ月前に、父が亡くなった。
この間に、ワタシもいろいろ経験した。
「前と今」は違う。
5~6年の間に、世の中も変わった。
(母が亡くなった直後、「人形供養」の依頼先は妙に少なかった。今、たいていの神社で受けている。需要があるんだわ、きっと!)
言うに忍びないことだが、「遺品を人に譲ろう」と思い込んではならない。
特に、先だった連れ合いのものは。
もったいない、とも思うだろうし。
誰かに使ってもらいたいと、感情的に思うだろう。
よくわかる。
わかるけれども…。
「よかったら…」
と、言われた相手は、断りにくい!
ワタシ自身、断れなくて、いただいてしまった物もある。
でも…今、使うかと聞かれれば…使ってませ~ん。
これを、いつ処分すればいいのだろう。
譲ってくれた方の、亡くなったあとかしら。
知り合いに譲ろうとする前に、ちょっと落ち着こう。
1年くらいすれば、捨てるとか、寄付するとか、何か思いつくし、気持ちの踏ん切りもつく。
とにかく、人間、正気のうちに、身辺を整理しなければならない。
その第一歩は、「買わないこと」「ものを増やさないこと」だ。
難しいことだと、わかっている。
若い世代の子から義務的にしか接してもらえないと、年金で物を購買すること以外で、世の中と肯定的にかかわることができない。
「実家の親が、いらないものをやたらと買う」と思っている人たちは、実家の親の孤独を知らない。
ただ無駄な用が多いだけなのに、「自分の人生は充実しており、親の世話は余分な苦労」だと思い込んでいる子供たち。
とても面倒なことだが、老親とかかわることをお勧めする。
それは、「充実してる」あるいは「意味があって忙しいと錯覚している」ご自分の生活が、もう片足を突っ込んでいる老年時代を知るチャンスだ。
あらァ~・・保険の約款の様な小さい文字になってます。眼鏡を替えなくっちゃ~・・
目覚めに ひらめいたので一発ギャグを
本日はバレンタインデー
やり取りするチョコレートは
バレンタインチョコ
が主流。
ひょっとして・・・
義理で頂くチョコを
こう呼ぶかな??
ボランタイン チョコ
面白かったら、、反映を、、
ダメナラ 反映不要に・・・
今日の記事は、近くに寄ってきて遠巻きに責めるって のパターンの記事で、難しい。