~The Night Shadow Allows You~

月の水面に 映りし君の 愛でき姿は 己が命の 容なるかな

天つ日を 灯す拠り代 嗣ぐ拠り代

2009年05月31日 | society

個人的な意見だが、歴史、伝統、権威を蔑ろにする、それが戦後世代の流行、「雰囲気」だったような気がする。

例えば、皇室を語れば「贅沢してる」とか、「開かれてない」とか、何ともこれまでの(みかど)の労苦など知らぬ存ぜぬの、まるで駄々を捏ねる反抗期の子供のような言葉を良い大人から聞くことがある。
まあ大体、そんな人間に天皇が「天皇」になるためには皇太子の御修道があり、また天皇になられてからも祭儀のための御修養を毎日欠かさずおやりになられている。

そんな厳しい修行を、あんたら毎日欠かさず出来るか?
寧ろ、毎日やっているのなら、そんな蔑ろな事は云えまい。

また天皇が何故「天皇」たるか、神武天皇を通しての話を語ると、知らなかったと眼を皿のように丸くして驚く。
何も知らないで、さも知ったような口を利く。だからつまり、蔑ろにする「雰囲気」なのだ(※1)(※2)。


まあさておき、最近気になったニュースが2つある。

真言宗と天台宗 1200年ぶり交流 天台座主、高野山を来月訪問

織田、6・1本能寺で必勝参拝/フィギュア


この2つの記事は日本の特殊性と歴史の連続性というのを垣間見るものである。
前者は、秘教的には、ここでもしかしたら修養の方法としての新たな指針が出来上がる可能性もあるし、また更なる精錬を期待しうるかもしれない。
顕教的には、世界の不良思想に対しての超然たる態度で以て臨む、そういった覚悟が出来つつあるといった感じにもうかがえる。
まあ何はともあれ、めでたき事だろうと思える。

後者に関しては、言わずもがな織田氏の系統である。しかも、血筋として信長由来が明らかなところに、人間ロマンを感じる(我々はどこから来たのか知っている。それは先祖から来ている)。
しかも、その子孫がかの本能寺で必勝祈願とは、全く以て感慨に至るばかりである。

そういえば、ある織田家家臣の末裔の方の話、その方が比叡山延暦寺に故あって訪れたときの事、そこで言うも言わさず、鳥獣の攻撃にさらされた事があるといったのを聞いた事がある。
時代は流れゆき、その容は変わろうとも、眷属たる鳥獣らは決してその警戒を忘れずといったところか。
各云う私も、刀を振っては、妙な落ち着きがある事に気がつく。
この心象面での現象は、遺伝、和魂、生まれ変わりなど、色々と妙な事を、つくづく思い浮かべる。

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※1:こういった話に興味が出始めた20代の半ば頃、私に対して「そんなの他国の王室もやってる。日本の皇室なんぞ大した事は無い」とのたもうた人が居た。
外国こそ「力」の皇室であるというのを分かっていない、無頼漢とはこういう人のことを言うのであろうと、今では思う。
※2:参照リンクを検索中にこのような記事に出会う。
私はこの手の話を面白がって話している人間が不快に思えてならなかったので、これまであまり言及はしてこなかった。
しかし、「国民の支持のために離婚のご決断を」とは、全く以て日本の皇室を理解していない。
寧ろ、この問題に関しては、神話の世界に立ち戻って考えるべきで、ただ只管、説得あるのみである。
また、「天津日嗣(あまつひつぎ)」の伝統の体現者である天皇のお住まいである皇室を、卑賤の自身と同じく論じようとするところは、全く以て不理解か、賊の感覚である事だという事を自省して頂きたいものである。
天皇を武装させ、卑賤のそれに落とそうとした者たち(天皇を選別しようとする人々)とはこのような事を云う人々である。