公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

切り取りダイジェスト 今日 パース 学者の誠

2021-12-13 06:51:00 | 意見スクラップ集

 

自明となるまでは問い続けることをやめない。それが学者の誠だと思う。戦前にはあったが戦後は見かけなくなった学者タイプ。パース、隠者パースと言う天才の不遇に似る日本人学者は、数学者岡潔ぐらいだろうと思う。
 
パースを参考書の名前だけで、自分はパースを何度も通り過ぎて知っている様だが、実は読んだ本は一冊もないのだ。

しかし西田幾多郎の起点をジェームズとして、善の研究真実在の境界への移行が徹底経験主義としてチョーンシー・ライト、チャールズ・サンダース・パース、ウィリアム・ジェームズを経由し開花させていると考える鶴見俊輔による佐藤信衛の指摘は面白いと思ったので読んでみた。隠者パースと言う天才の不遇は、数学者岡潔に似ている。近所にパンをもらい生活する貧乏な晩年**。それで読んで見たくなった。

それに恥ずかしいことに私の説明できるプラグマティズムはもっと狭い便宜主義だけだだったから。その時まで私はプラグマティズムを、パースを本当に理解していたとは言えない。学門とは究極の自問であり、自明となるまでは問いを止めることはできない。パースはそういう学者だった。
どうして戦後の学問は徹底的に誠意がないのだろうか。それは日本人が同胞というものを常に見放すように西欧、とりわけ米国は善なる新しい同胞(ユートピアの同胞)と誘導され指向し続けてきたからだろうと思う。学者自信が軸足を海外のアカデミアに求め続けた。
 
戦前にも江戸時代にも輸入された学問はあった。しかし和魂洋才にみとれるように先人は輸入を即善、正義正統とは考えていなかった。何せまず翻訳語に必死だった。輸入概念が日本人の文化にないものと峻別し大和言葉から独立させるためには勝手に安易な名前は付けられなかった。その学問にもよる。医学は割とすぐに和魂を捨てたが、数学は和魂こそがエンジンだった。
 
 

佐藤 信衛(さとう のぶえ、1905年2月8日 - 1989年5月20日)は、日本哲学者評論家

茨城県生まれ。1928年東京帝国大学哲学科卒。1937年法政大学講師。三木清とともに『文學界』同人となる。戦後1951年法政大学教授。1973年退任。

 

 

 


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