公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

存在は軽くもなく重くもなく

2013-01-01 00:00:00 | 俳句など



 東京は句の浮かばない街だ。

 人は見えるが人に会えない街。

 一体本当の人はどこに隠れているのだろう。

 この街は軽くもなく重くもなく。

 作用なくニュートリノみたいに通り過ぎる。

 句が漂うか人が漂うか

 東京は軽くもなく重くもなく灰色

 苦もなく句もなく銀色


ザ・ピーナッツの歌った「ウナセラディ東京」という岩谷時子作詞の名曲があるが、60年代の東京は詩の生まれる街だったのかもしれない。
たしか日比谷公会堂で、岩谷時子が詩を完成したらしい。その時に詩が曲に対して不足していて、最後に付け加えられた歌詞がある。これが岩谷時子の天才性を示している。

哀しいこともないのに
なぜか涙がにじむ
ウナセラディ東京....
いけないひとじゃないのに
どうして別れたのかしら
ウナセラディ東京....
 
あのひとはもう 私のことを
忘れたかしら とても淋しい

街はいつでも
後ろ姿の幸せばかり


ウナセラディ東京....


窓の外に歩くオフィス街サラリーマンのワイシャツ姿を見て、その場で「街はいつでも 後ろ姿の幸せばかり」という名文句がでてきたらしい。 

Milvaの歌はやはり声がカンツォーネ
ミルバがきっかけでヒットした。
そのころの東京皇居外苑 内堀通り 昭和38年ころ。




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