公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

意図と経営

2010-07-10 14:18:47 | 日記
「事実、決定の実行が具体的な手段として誰か特定の人の仕事と責任になるまでは、いかなる決定も行われていないに等しい。それまでは意図があるだけである。
 これこそ、企業の経営方針の決定によく見られる状況である。すなわち、経営方針の多くには行動のための措置が何も盛り込まれていない。その実行が誰の仕事にも誰の責任にもなっていない。そのためそれらの経営方針は、トップがまったく行う気のないお題目と見られている。」
         ドラッカー『経営者の条件』p182

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 行動のための措置を施さない経営の方針は、点滴ルートを確保しない緊急医療と同じで、手遅れだけが目の前に繰り出されてくる。最終的に破綻する経営には問題予兆がある。日航の破綻のように、わかっていながら破綻するのか理解できない経営というのは、問題が理解できていない訳ではない。むしろはっきりとわかっているケースが多い。
 問題は問題をコントロールするための、責任=価値体系が欠如していることにある。うまく行っている会社には、価値が何であるかを知っている社員がいる。そして同時に価値に対応する責任を知っている。だから経営者は責任配置を支持するだけで済む。
 創造的な組織は、責任=価値体系を基軸とするから使命を忘れる事が無い。マネージメントはメタ(経而上)レヴェルで行うのが上策、措置(経而下)は修正のメッセージ。
究極の経営はそいう《祭り事》でなければ、下からの創造的経営は継承できない。

これはドラッカーも気づいていないし、どこのMBAでも教えていない真実。

未だにスティーブ・ジョブズなきアップルの未来を想像できないのは、経営が政《祭り事》である発想が歴史的に無い社会で産まれたから。
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