公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

34年ぶりの中島みゆき

2010-08-07 06:38:58 | 日記
34年前大学に中島みゆき(一応北大フォーク研の関係者ということで)が学園祭にやって来た。すでにブレークしていた本人にとっては最低の観客だったろう。それでも34年前のアルバム「私の声が聞こえますか」は大学で大ヒットしていた。ほとんどがテープのダビングだったが、中島みゆきの歌声は空気のように寮のどこからも聞こえていた。

久しぶりに聞くと、キャラクターをかぶった変幻自在のみゆき節は今と変わらない。今更ながら気づく事もある。「歌をあなたへ」と「渚便り」は大きな別れの前後の一対の曲である事がわかる。明るく鼓舞するように振る舞う送別曲の前者と、海風に涙をぬぐうエピローグ曲の後者は、キャラクターの違って見える同一人物の強がりと未練が重なるかわいらしさが何とも言えず若く、いじらくもあり、かわいい中に決意の強さを思わせる。それにしてもアレンジに使う道具が古くて、リズムも別録が杜撰でバラバラで笑ってしまう。ビジネスにはならないが後世に残すためにも、もう一度セルフカバーする価値のあるアルバムだろう。

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「歌をあなたに」

何ンにも 言わないで この手を握ってよ
声にならない歌声が 伝わってゆくでしょう
どんなに 悲しくて 涙 流れる日も
この手の中の 歌声を 受け取ってほしいのよ


いつか夢みたような いつか忘れたような
夢をたずねる人に 今 贈る
歌おう 謳おう 心の限り
愛をこめて あなたのために
歌おう 謳おう 心の限り
愛をこめて あなたのために

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「渚便り」

涙色した貝は
私の心
あなたの指から
こぼれ落ちた 波のしずく
サヨナラは 砂の色
私の手を はなれ
キラキラキラと
光の中で 輝いているわ



風に吹かれて 渚にいれば
みんな きれいに 見えてくる
悲しいはずの 思い出も
やさしい出来事に 見えてくる

やさしい出来事に 見えてくる

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みゆき節を聞いていると、言葉のコラージュが綾なすイメージのなかに塗り込められた過去の記憶の中の自分のメッセージが、つげ義春の漫画のように<いつか夢みたような いつか忘れたような>イメージとなって契機不揃いに因果なしに心に蘇る。

過去に夢見た未来の自分に再会したように懐かしく、その後30年を見ず死んでしまった友を憶うと涙があふれ、声は帰らず。友は語らず。<いつか夢みたような いつか忘れたような>みゆきのように歌は謳えないが、自分は心のかぎり今を生きよう。あなたのために。

アルバム最後の曲として収録された「時代」のように、30年を振り返る立場になった。ただ年月が流れた。30数年妥協せず、変わらずに常に納得できる<自分のなかの自分の先頭にいたいと思う気持ち>を維持する意地が「歌」を贈られたと勝手に感じた側、一ファンの答え、誠意かもしれない。

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