功山寺決起

青山繁晴事務所から自由民主党の党員になりました。(2020年)

11月11日発売!(2020-07-21 16:23:49)

2020-07-21 17:24:51 | On the Road


▼本日7月21日火曜の未明、夜が明けるかどうかのとき、自宅の仕事場にてのことです。
 まだ、細かな手直し、確認はしますが、もう大きく改稿することはありません。

 作家としてのぼくにとっては、ちいさな記念日となりました。 ( さきほど、チャンネル桜の「青山繁晴が答えて答えて答える」の収録があり、そこでもすこしお話ししました )
 純文学小説として「平成紀」 ( 幻冬舎文庫 ) がありますが、それに続く第二作が、ようやく上梓されることがこれで固まりました。

 実は「平成紀」のまえに、文學界新人賞 ( 文藝春秋 ) の最終候補作となった「夜想交叉路」があります。
 しかし、この回の文學界新人賞は結局、受賞作品無しとなりましたから、これは印刷されていません。
 だから、印刷され出版される小説としては、この「わたしは灰猫」が第2作となります。

▼アイデアを次第に練っていって、起稿、すなわち実際に書き始めたのは、平成14年、皇紀2662年、西暦2002年の3月16日でした。
 そこから11年3か月半を経た平成25年の7月4日に初稿を脱稿しました。
 ここまでも信じがたい長い歳月を要したわけですが、そのあとさらに、いわば数奇な運命を辿るとは思いもしませんでした。
 ある伝統ある文芸誌に掲載が決まっていたのが、編集長の交代で急に無くなったり、まさかのことが起こりましたが、そのたびに、むしろ改稿のよき機会と考えて、書き直しを重ねました。。

 そして時代は、平成から令和に進んだ今日、実質的に脱稿したわけです。実に18年と4か月余りを経て、ついに本の姿になっていくというのは、それなりの感慨があります。
 しかし本はみなさんに、読者に読まれて初めて本になるというのが信念のひとつなので、ほんとうはまだ生誕前です。

▼最後は、ほぼ〆切通りに脱稿しました。
 したがって、版元の扶桑社から提示された出版日程のままに進めることができると思います。

 このあと、数日間、いずれも必ず深夜の作業になりますが、最後の推敲をいたし、8月上旬に版元からゲラ ( もう本のページの姿になった仮印刷 ) が届き、あらためて印刷されたものを違う目で見てみて、ゲラ直しを行います。
 このゲラ直しを二度にわたって丁寧に行い、完成し、出版社に戻すのが、8月下旬、そして「校了」を迎えます。
 これは、著者の手を離れて、完成本の印刷作業に入ることを意味します。
 この校了日は、8月28日です。

 これと同時進行で、帯の文言を決めたり、表紙のデザインをやったり、という、ちょい愉しい作業をやります。
 この作業の〆切も、8月上旬です。
 これも本文と同じく、ゲラが出てきて、それを確認・修正します。
 校了は、本文と同じく8月28日です。

▼そして、ついに見本が出てくる予定が、11月上旬。
 さぁ、この先は読者の世界です。
 都心の書店に夕方から発売になるのは、11月9日、全国津々浦々の発売が11月11日です。




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暗転(2020-07-21 07:23:36)

2020-07-21 08:30:59 | On the Road

▼たくさん同時進行せざるを得ない懸案のうち、海外の同胞への一律10万円給付については、ぼくには海外の同胞から直に、声が届いています。
 しかし、たとえば自由民主党の二階幹事長は、ぼくが押しかけたとき「党には、そんな声は来ていない」と、はっきり仰っていました。そのとき同席されていた林幹事長代理も、頷いておられました。同席ですから、謙虚な林代理は発言はされませんでしたが、深く頷いておられました。
 二階さんが小泉政権の経産大臣の時代から、すなわち15年前から、ぼくは民間の専門家の端くれとして、資源エネルギーについて議論をいたしてきました。
 議論のときに決して、誇張や嘘は言わないひとです。たとえば中国をめぐって、考え方ははっきり違います。ぼくは、それを絶対に隠したりしません。しかし、この中国についても、二階さんは議論のとき、すくなくとも一対一で向かいあう議論の際に、都合良く変えた話をされたりすることがありません。

 党も政府も、「青山さんが言う割には、在外邦人から声がそんなに来ていない」というのが本音です。



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