ということで・・・
日本ではプロダクション・マネージャーというタイトルがなく、つまり職種がなく、プロダクション・マネージャーになるというのは現時点では方法論がないように思います。が、プロダクション・マネージャーの役割は日本の劇場や劇団にも存在しているし、今後、官民の双方の劇場で自主事業が増えれば、その需要も出てくるでしょうし、ポジションも作られると思います、と書きました。
考えれば日本の劇場や劇団で専門職として働く人たちは、どのようにしてそこに辿りついたのでしょうか。その多くは学生の部活動から徐々に移行したり、技術スタッフなら専門学校から技術会社に、劇団で裏方をやるうちに徐々に活動が広がって職業になった、なんて人が多いのではないでしょうか。つまり弁護士や医者のような資格試験もなく、一般企業のような新卒採用もほとんどないのが現状で、さらに言えば系統だった学術的な養成機関もあまりない、ということです。
アメリカの場合、劇場で働くスタッフ、制作、照明、衣装、音響、舞台監督、舞台美術、演出、そして役者まで、ほとんどの人が大学の演劇科か舞台関係の学部を卒業しています。そしてかなりの数の人がさらに大学院まで卒業しています。何回か書きましたが、アメリカの特に地方都市の場合、劇場文化の中心は大学に付属する劇場であったりするので、大学の劇場といっても当然かなりハイレベルな内容の施設が多く存在します。大学校内ながら学生のプロダクションは上演させてもらえないところも多々あります。国内のカンパニーだけでなくヨーロッパやアジアの国々のカンパニーを積極的に招聘したり、フェスティバルを開催したりしている施設もあります。そういう大学や大学院では舞台だけでなく、衣装のためのショップ(作業場)や、大道具の工房なども完備し、舞台芸術を作る現場を総合的に学ぶことができます。
考えればクラッシック音楽の演奏者の多くは音楽大学や大学院を卒業しているのですから、同じような教育機関が演劇やダンスにも存在していて当たり前なのです。歴史や背景が違うのですから単純に日米の状況を比較して優劣を論じるのは乱暴かもしれませんが、日本の劇場文化がどうしても商業的なものに押されて流れてしまうのは、そういったアカデミズムのバックグラウンドが脆弱なせいかもしれませんね。
日本ではプロダクション・マネージャーというタイトルがなく、つまり職種がなく、プロダクション・マネージャーになるというのは現時点では方法論がないように思います。が、プロダクション・マネージャーの役割は日本の劇場や劇団にも存在しているし、今後、官民の双方の劇場で自主事業が増えれば、その需要も出てくるでしょうし、ポジションも作られると思います、と書きました。
考えれば日本の劇場や劇団で専門職として働く人たちは、どのようにしてそこに辿りついたのでしょうか。その多くは学生の部活動から徐々に移行したり、技術スタッフなら専門学校から技術会社に、劇団で裏方をやるうちに徐々に活動が広がって職業になった、なんて人が多いのではないでしょうか。つまり弁護士や医者のような資格試験もなく、一般企業のような新卒採用もほとんどないのが現状で、さらに言えば系統だった学術的な養成機関もあまりない、ということです。
アメリカの場合、劇場で働くスタッフ、制作、照明、衣装、音響、舞台監督、舞台美術、演出、そして役者まで、ほとんどの人が大学の演劇科か舞台関係の学部を卒業しています。そしてかなりの数の人がさらに大学院まで卒業しています。何回か書きましたが、アメリカの特に地方都市の場合、劇場文化の中心は大学に付属する劇場であったりするので、大学の劇場といっても当然かなりハイレベルな内容の施設が多く存在します。大学校内ながら学生のプロダクションは上演させてもらえないところも多々あります。国内のカンパニーだけでなくヨーロッパやアジアの国々のカンパニーを積極的に招聘したり、フェスティバルを開催したりしている施設もあります。そういう大学や大学院では舞台だけでなく、衣装のためのショップ(作業場)や、大道具の工房なども完備し、舞台芸術を作る現場を総合的に学ぶことができます。
考えればクラッシック音楽の演奏者の多くは音楽大学や大学院を卒業しているのですから、同じような教育機関が演劇やダンスにも存在していて当たり前なのです。歴史や背景が違うのですから単純に日米の状況を比較して優劣を論じるのは乱暴かもしれませんが、日本の劇場文化がどうしても商業的なものに押されて流れてしまうのは、そういったアカデミズムのバックグラウンドが脆弱なせいかもしれませんね。