国際交流のススメ

舞台芸術・海外公演に関する情報をニューヨークから発信します。

週刊新潮が伝える“日本の新聞が書けない舞台の評判”って

2009年11月27日 | 海外公演



週刊新潮の11月26日号の“TEMPOエンターテイメント”セクションに<日本の新聞は書けないNY「香取慎吾」舞台の評判>なる記事が掲載されていました。先週末に終了した三谷幸喜・作・演出、香取慎吾・主演のミュージカル「Talk Like Singing」NYプレミア公演についての記事でしたが、なかなか週刊誌らしい刺激的なタイトルと思い中身を読んでみたのですが・・・

新潮いわく・・・スポーツ紙の芸能欄が揃ってこの公演を大きく取り上げ、860席の劇場はミュージカル好きのNYっ子や、日本から駆けつけたファンで埋まったと報道しているが、現地ジャーナリストによると観客はほとんどが在留邦人や日本人観光客と日本のマスコミ関係者であり、日本で報道されているそれとはかなり違っている。さらに日本のカルチャーを米国人に紹介する「ジャパン トレンド プレス」というサイトに掲載された記事の抜粋 <香取慎吾をミュージシャンと思っている人など誰もいない> <純真な日本人ファンは、彼らのアイドルが“夢の国”で活躍していることだけが喜びなのだろう。これまでも多くのアイドルが、アメリカの有名なステージに立ったが、すべて日本のファンへのプロモーションでしかなかった> を掲載し、この公演の米国での本当の受け取られ方、として紹介している。

AKB48のNY初ライブに関する報道を読んだときにも思ったのですが(詳細は過去ブログをご参照ください)、今回の三谷さんの舞台に関する報道を通しても、やはり日本の報道というのは随分いい加減なものだな思いました。確かに作品が良かったかどうかは個々人でそれぞれなんでしょうけれど、例えば・・・

• 作品に関する観客の意見は批判的なものが圧倒的に多かった、
• 広告以外で米国のメディアで公演が取り上げらることがほとんどなかった、
• 公演後もほとんど批評・後記事が出ず、少ない批評も厳しい酷評ばかりであった、
• NYでの公演でありながら観客のほとんど(90%以上?)が日本人で占めらた、
• オフ・ブロードウェーと言いながらメディアも含めてアメリカ人には全く公演が知られていなかったようだ、
• かなりの数の無料招待券が日系社会でばら撒かれた、
• 現地の状況とは全く乖離した中で開催される、“芸能人”による公演はもう何年も前から現地日本人たちから嘲笑の対象となっている

などという状況があって、さらにそれ以上の裏話をメディアの人たちは仕入れているであろうに、目にする記事は、どこも右に倣えで「香取、NYブロードウェー初舞台は大成功!」の見出しばかり。

人の好みは色々ですから、あれは成功だった、と言う記事があっても良いのですが、これだけ公演に対して批判的でネガティブな意見が大勢を占め、それを裏付けるような事実や噂が溢れる状況にあって、どうして日本ではそういった論調の記事が全く書けないのでしょうか。まあ、芸能マスコミなんて所詮そんなものかもしれないし、TV局も含めて芸能マスコミも芸能界の一部であって馴れ合いや相互依存もあるだろうし、芸能界という隔絶された世界の中に身を置き続けると、一般の人たちの感覚が理解できない政治家と同様、外の世界の普通の感覚というのが見えなくなっているのかもしれませんね。

しかし、今回の公演の場合、そのプレゼンテーションの手法やその後の報道に大きな問題があったと思うし、そういう意味ではマスコミも制作者に加担したのですから、その罪は二重の意味で重いと思うのですが・・・・。

昨日、マイケル・ジャクソンのドキュメンタリー映画「This Is It」を遅ればせながら見てきました。見ながらふと、「Talk Like Singing」に関わった人たちには、是非この映画を見て欲しいなと思いました。ジャンルは若干違うものの、アメリカにおいてメジャーなエンターテイメントを提供する人たちのレベルの高さや細部に至る準備と徹底具合、さらに前半にバックダンサーのオーディションシーンがあるのですが、そのレベルの高さと競争の厳しさを目の当たりにして、彼我の違いを痛感できるのではないでしょうか。よもや同じ地平線で作品を作っているとは思えないのではないでしょうかね。


おまけ:
以下のブログで新潮が紹介していたサイトの記事が読めます。比較的平易な英語で書かれているので、簡単に読めると思います。ただこの記事、記者名が実名でなかったので不明ですが、僕は日本人書いたんじゃないかなと推測していますが・・・。

http://www.japanpress.info/archives/866



加護ちゃんの1日店長って

2009年11月24日 | アメリカ徒然日記



今日、なにげにNYの日本人向けフリーペーパー「週間NY生活」11月21日号を見ていて、加護亜依さんがKDDI Mobileの1日店長をする広告が掲載されているのを発見!会場はニュージャージーにある日系スーパーマーケット・ミツワ内の特設会場とのことで、(KDDI Mobileのお客のみ対象の)携帯での写真撮影会、握手会、抽選会が行われるそうな。整理券配布で先着100名様までですって。(ってもう終わってるやん!)

ニュージャージー(特にフォートリー周辺)は昔から日本人駐在員が多く住む地域で、最近では駐在員もマンハッタンやウェストチェスター群(NY市から車で45分から1時間ぐらい北に行ったところ)に多く住むようになりましたが、ミツワはNY・NJ地域では(いや、もしかすると東海岸でも)恐らく最大の日系スーパーマーケットでフードコートも充実していて、ラーメンの山頭火やJTB、三省堂なども出店しています。日本人ばかりでなく、韓国系や中国系の人たちも多くショッピングに訪れ、結構いつもにぎわっています。ミツワはかつては海外進出で有名なヤオハンでした。が、ヤオハンがつぶれた時に誰かに買われたのか、店名が変わりミツワとなりました。

で、加護さんのブログ「ビスケット・クラブ」を見てみると、おお!NYに来ていたんですね。空港のパスポートコントロールで別室に連れて行かれたエピソードが・・・。最近ねえ、オバマ大統領になってビザや入国、移民に関することがブッシュ時代よりも改善されるかと思いきや、全く逆で、どんどん締め付けが厳しくなっているんですよね。アメリカも不況で、とにかく仕事のパイが小さくなるので、とにかく移民をできるだけ受け入れたくないようなんですよね。難しい時代です・・・。

まあ、しかし、どこかで加護さんとすれ違ったりするかしら・・・。



辻仁成がヴォーカルを務めるZAMZAのNYライブって

2009年11月24日 | 海外公演



辻仁成さんがヴォーカルを務めるバンド・ZAMZAのNYライブが、2009年11月19日(木)午後7時から、NYの老舗ライブハウス・ウェブスター・ホール!その地下にあるThe Studio @ Webster Hallにて開催されました!ウェブスターホールと言えば、そう、あのAKB48がNY初ライブを行った会場です。AKBは2階のグランド・ボールルームでの開催でしたが、ZAMZAは地階にあるライブ・スペースでの開催。公式キャパは300人とのことですが、200人も入ればかなり満杯になるんじゃないかなと思えるコンパクトなライブハウスで、当日はまずまず満員な入りでした。http://websterhall.com/thestudio/

ZAMZAは11月11日に、彼らのアメリカデビューCDとなる「MANGA ROCK」をリリースしたばかりで、今回のライブもその記念的公演だったようです。http://zamza.info/index.htm




作家としてはもちろん、映画監督としても活躍している辻さん。そのファーストネームの読み方で混乱することが多いように思うけど、作家の時は「つじ ひとなり」、映画監督の時は「つじ じんせい」と使い分けているとウィキペディアに書いてありました。さらにバンド活動時のアーティストネームは「Zinc White」あるいは短く「Zinc」を使っているようです。

邦楽・洋楽情報満載の音楽ポータルサイト「バークス」によると・・・
http://www.barks.jp/news/?id=1000047356

「2007年に結成され2008年から活動を本格化させたラウドロックバンド、ZAMZA N'BANSHEE(ザムザンバンシー)に今、熱い注目が集まっている。メンバーは以下のとおりだ。

Zinc White(辻仁成)(ヴォーカル)
Hiroki(伊藤浩樹)(ギター)
BANSHEE ALIOUXCE(恩田快人)(ベース)
KOHTA(五十嵐公太)(ドラム)

要するに、JUDY AND MARYのリズム隊である恩田快人と五十嵐公太、ECHOESの伊藤浩樹と辻仁成という2バンドが合体したドリームバンドで、酸いも甘いもかみわけた百戦錬磨の連中が、ただただラウドにロックする、ピュアな轟音バンドだ。」

なるほどね。音楽にはさほど詳しくない私ですが、彼らが卓越した演奏技術を持っていることはライブから伺い知れます。観客のノリも良くライブはかなり盛り上がりました。特にZincさんのMC(もちろん英語!)はかなり観客のハートを掴んでいたと思います。いや面白かったです。ただ、どの曲も良いのですけど飛びぬけて印象に残る曲が僕にはなかったかのがちょっと残念ではありました。

でもこういうコンパクトなサイズの小屋でライブをやりたかったZincさんの心意気や思いは伝わるライブでした。


The Studio @ Webster Hallの入り口付近。

三谷幸喜のNY初公演って(3)

2009年11月21日 | 海外公演
     
入場客に配れらるPlaybill。 表紙とキャスト・スタッフのページ。



11月19日付けの朝日新聞のウェブサイトに「三谷流、言葉の壁に挑む 米オフブロードウェーでミュージカル」なる記事が掲載されていました。(興味のある方はこのアドレスで記事が読めます)http://www.asahi.com/showbiz/stage/theater/TKY200911190279.html

いわく・・・
「・・・・三谷に言わせれば・・・・「言葉の壁」を乗り越えることに挑戦したという。」
「毎月1回はミュージカルを見ているというスチュアート・ドルギンスさん(73)は・・・・と思う」と話す。」
「俳優陣にとって本場の反応は新鮮だったようだ。香取は「練習とは違う、想定外のところで盛り上がった」と驚いた。」
「三谷は「自分の作品を生の姿でこっちの人に見てもらうあり得ない機会を得た。次は日本語の芝居で笑わせてみたい」と手応えを語った。 」

と結局、主には直接の関係者からのコメントを引用しただけの記事で、(専門家などによる)客観的な検証はなく、また記者個人の公演の中身へのコメントもないので、「それで、この記者さんはこの公演をどう思ったのかしら?」と尋ねたくなったのですが、第三者からの引用は一般観客から肯定的なコメントだけを引用していますから、つまり、多少の批判はあるものの、全体としては公演は上手く行ったという印象を与えようとしているんだな、と読みました。(違うかな??だってネガティブなコメントだっていくらでも取れたであろうに、あえて肯定的なコメントだけを選んで載せたのですから、つまりはそれが記者の意図と考えるのが普通ですよね?しかも、この後触れるNYポストのレビューはかなりさらっとしか触れていないことも考えるとねえ・・・・・。)

しかし、記事からは逆に、三谷さんが試みたことが大成功を収めた!という積極的な肯定も読みとれません。記者の個人的な感想と記事で意図しようとしたことは別物なのかもしれませんが、こういう記事をなんと言うのでしょう。劇評ではないし、記者や新聞社の意見が積極的に述べられている訳でもないし、公演があったと言う事実だけを伝えている訳でもないし・・・。現地からの報告というのかなあ・・・。

それで僕が面白いと思ったのが、地元紙ニューヨーク・ポスト電子版が掲載したネガティブな批評の取り扱いです。
朝日新聞の記事では、NYポストの批評を要約して、

“音楽は良かったが、1曲1曲が短すぎる。内容も2時間向きの素材ではない」と辛口の評を載せた。”

と書いています。

辛口・・・ 

このNYポストの記事は、11月16日に既に掲載されていて、僕はその日に読んだのですが、自分で公演を見る前にこの記事を取り上げるのはどうかな、と思ったのでブログでは紹介しませんでしたが、辛口と言うよりは、めちゃくちゃ辛辣です。ちょっとどうかな?と思う部分もあるぐらいです。

このポストのレビューがほとんどメジャー紙では唯一のレビューだったし、ネガティブな意見があるのに載せないのもバランスを欠くし、まあ現地からの声として取り上げたのかもしれませんが、随分ソフトな表現になっています。また核心部分にも触れていません。批評に賛同できなかったのかもしれないし、あまりに辛辣だったので遠慮したのかもしれませんが、でも事実を伝えるなら、そしてポストの批評について紹介すると決めたのなら、さらっとでも批判の核心を書いたほうが良かったんじゃないかなあ・・・。それが三谷さん、ひいては日本の演劇界のためでもあったと思うんですけど・・・・。

NYポストの批評家が主に書いた内容は、もっとダイレクトで辛辣なものでした。
つまりは“音楽は素晴らしいが、脚本がそれをぶち壊した”と、批評家は書いています。
批判の対象はそのものズバリ、脚本です。


タイトルは

「Still waiting for the great Pizzicato 5 musical」 
-それでも偉大なピチカート5のミュージカルを待望しているー 

2009年11月16日、ニューヨーク・ポスト電子版掲載
http://www.nypost.com/p/still_waiting_for_the_great_pizzicato_XWKWWJad0db2BL5iIXMPSI


まず記者は「ピチカート5の小西康陽によって書かれた曲だけがこの公演の唯一の優れた点である。」と書き出し、「ピチカート5は1990年代の優れたバンドのなかの1つであり、ピチカート5のCDを25枚ほど所有し、今も時々彼らのCDを聴いている」、「渋谷系ミュージシャンに多大な影響を与えたバート・バカラックにならって、なぜ小西もミュージカルを作曲してこなかったのかと思っていた。」と書いています。筆者は音楽通でピチカート5にかなり好意的な人のようですが・・・

彼は今回の公演での音楽や演奏についても好意的に記述した上で、「最大の失望は、どの曲も90秒ぐらいか、馬鹿げた台詞(英語であれ日本語であれ)によって、短く乱暴に打ち切られていたことだ。」

そして批判は三谷さんの脚本に及びます。「“Talk Like Singing” は馬鹿げた脚本である。」「三谷幸喜自身が演出を手掛けても何の助けにもならない。」「1時間にしかならない題材で2時間の作品を作っている。」「高校生の公演を見ているようだ。」「役者たちは非常に頑張っているが、その努力も台本の馬鹿さ加減を隠す助けにはなっていない。」「そして観客は大なり小なり次の音楽が始まるのを待つことになる。」

今回の三谷さんの脚本や演出が非常に残念な物であったことは僕も同感ですが、そこまで音楽だけが秀でていたかと言われるとちょっと疑問が残りますが・・・。そして筆者は文末をこう締めくくっています。

「このことを念頭に置くと次にやるべきことは明確である、第一にTalk Like Singingのサントラを出すこと、そして第二に小西氏にもっと良い脚本を与えることである。」

言葉を選べば辛辣な記事と言えますが、カジュアルな言い方をすれば、つまりはボロクソですね。ピチカート5好きのこの批評家はそうとう頭に来たのでしょう。ニューヨークポストはタブロイド紙ですから、まあ、ちょっと刺激的な文面になるのでしょうし、全面的に同意できる訳でもありませんが、朝日新聞の何やらはっきりしない記事よりは、言いたいことははっきりしています。

余談ですが、今回の“Talk Like Singing”に関する後記事(レヴュー・劇評)が出ていないか、メジャーどころのメディアを検索してみたのですが、現在のところ記事を発見できたのはニューヨーク・ポスト1社のみでした。

個人的な感想ですが、観る前は「音楽や歌はどうなんだろ?」とか「ダンスや芝居はどうなんだろ?」とか、期待半分で観に行ったのですが、そんな次元ではなかったです。「三谷さん、どうしちゃったんだろ??」と思うぐらい脚本と演出が・・・。むしろ、あれでは熱演のキャストが浮かばれないんじゃないだろうか。

内容の詳細は書きませんが、三谷さんの脚本って人間の弱さだったり愚かさだったり、そしてそれゆえの面白さであたり、といった部分を上手くドラマに仕立てて、可笑しいんだけど泣ける、笑えるけど納得できる、みたいなのが大きな魅力の1つだと思っていたけど、そんな感情の機微を楽しめるような脚本に全くなっていなかった。記者会見でも「日本語と英語を半分づつ取り入れ、字幕なしで上演する」「気持ちで芝居するから、英語であろうと、日本語であろうとお客さんに伝えられる」と言っていたから、どんなふうにするんだろうと期待して行ったが、たしかに、同じシーンを英語と日本語で2回繰り返す、英語の台詞はほとんど大村役の川平 慈英さんに任せる、大村に英語で説明させる、電光掲示板やフリップをネタと絡ませて使うなど、それなりに工夫をしていたし(まあ、こういう工夫が1時間の中身しかないのに、2時間の公演になっていると批判される大きな原因にもなるんだろうけど、日本語と英語を繰り返すので、かなりまどろっこしい場面もあるし・・・)、英語しか分からない人にも話しの筋は伝わったと思います。だけど肝心の伝える中身が・・・。

はっきり言えば、英語しか分からない人にも、日本語しか分からない人にも、そこそこ内容が伝わるようにしようとしたのが失敗だったと思います。どっちもつかずだし、内容が薄くなってしまっているし、まどろっこしいし。アメリカで上演するんだから、アメリカ人が理解できるようにすることに重点を置くべきだし、作り込みやクオリティを考えると日本人キャストで日本語でと思ったのなら、素直に字幕にすれば良かったと思う。そして字幕の中身と映写の仕方を、映画や映像業界で培った技術と経験で工夫すれば良かったのではないでしょうか?

美術セットも照明も僕は全く好きになれなかったです。キャストが4人しかいないせいもあるけど、舞台が広々閑散として感じられてしまって、ミュージカルの臨場感も迫力もなく・・・

大の三谷ファン、ということではないけれど、前にも書いたように「You Are The Top/今宵の君」は大好きな作品だし、「やっぱり猫が好き」もビデオで何度も見たし、三谷映画は毎回楽しく鑑賞していますが、今回のミュージカルは非常に残念な作品と言うほかないです。せっかく大々的に日本から作品を持って来たのに、もうちょっとどうにかならなかったのかなあ・・・と思っています。救いは(僕の場合はピチカート5ではなく)大村役の川平さんが芸達者だったこと。THE 役者な感じではないけど、センスが良くて器用な人なんだろうなあ、と思いました。あ、それと♪そ~めん~♪ネタも好きですけどね。

2007年に三谷さんの「笑の大学」が英語に翻案されて、英国で活躍する演出家と役者でもって上演されています。三谷さんは今回のNY公演をこういった形で上演する気はなかったのかな。2007年の経験は三谷さんにとってあまり良い経験ではなかったのでしょうか。いきなり新作、それもミュージカルを持ってくるのではなく、規模は小さくても日本で良く準備されて上演された作品を持って来るとか、ワークショップやリーディングなどを開催してフィードバックを得るとか、現地の役者や演出家、作家と交流して人脈や情報源を拡げたり意見を交換するとか、過去の三谷作品でアメリカ人が興味を持つのはどんな作品のどんな題材なのかリサーチするとか、現地の役者を使ってワーク・イン・プログレス形式で試演の場を設けるとか、字幕と英語表現について実地で試してみるとか、そういう活動をしようとは思わなかったのかな。(やっているけど、世間には出てこないだけかもしれませんが・・・)日本でだけで考えないで、NYでのそういった活動を通して少しづつNYの演劇界の状況を知り、普通にNY(アメリカ)で暮す人たちに向けた作品を育て上げ、NYで観客・ファンを増やして行こうとは思わなかったのかなあ。三谷さんは誰に作品を見てもらいたかったのか?

今回の観客の9割以上は日本人だったと思います。少なからず無料招待券というタダ券も日本人社会の中でばら撒かれました。25%オフのディスカウントチケットが英語媒体で販売されている一方で、劇場価格の倍ほどの料金でチケットが日本語媒体で販売されたりしました。普段、普通に劇場に足を運ぶアメリカ人への訴求は全く十分でなく、残念ながらオフブロードウェー公演と名乗りながら、それに相応しい認知は現地社会では全く得られませんでした。でも、そういったことはある程度は仕方ないことだと思います。むしろ華々しいTV的な記者会見に象徴されるような制作のあり方や、現地の実情をあまり理解していないのではないかと思われるようなやり方に、三谷さんは自身を取り巻く状況をどの程度理解していたのか、ブレーンの人たち経由ではなく、三谷さんはどの程度、直接現地の状況を把握できる立場に自分を置いていたのか・・・。

前にどういう海外公演が良い海外公演かは、なにを成し遂げたいと思うかによって違うと書きましたが、三谷さんはどういう思惑を持って今回のNY公演を企画したんでしょうね。それとも企画したのはTBSで三谷さんは乗っかっただけだったのですかね。僕が部外者だからかもしれませんが、一体なにがしたくて、どうしてこの作品をこの形で上演したのか良く分かりませんでした。

それでも僕は三谷さんの作品が近い将来、ブロードウェーで見られる日が来ると思っています。今回の作品は様々残念なことがありましたが、三谷さんの脚本はブロードウェーでも十分に通用すると思っています。三谷さんほどの大物になると、いろいろままならないこともあるのでしょうが、やっぱり期待しています。


Still waiting for the great Mitani san’s straight play on Broadway!!






淡路人形浄瑠璃座北米ツアーって(4)

2009年11月15日 | 海外公演



淡路人形浄瑠璃座のツアーも中盤へ。今回はアイビーリーグの一角、コーネル大学での公演です。アイビーリーグとは、東海岸にある名門私立大学、ハーバード、イエール、コロンビア、ブラウン、ホプキンス、イエール、ペンシルバニア、そしてここコーネル大学を含めた8校を指します。これらの大学は卒業生の進路やその後の給与レベルも一流ですが、そういった学生や学校の質を維持するために、教授陣にもお金をかけています。そしてその結果として当然ですが、授業料も超一流です。年間の授業料だけで、だいたい350万ほど。これに生活費や書籍代を入れると年間600-700万円。4年で卒業するための費用は2000万円以上掛かる計算になります。こういった私立大学も、美術館や教会、病院や一部の劇場と同様、非営利団体ですから、学生からの授業料だけでなく、個人や財団、企業からの寄付を集めて運営されています。卒業生の僕のところにも、毎週のように寄付を呼びかける手紙が届きます。

さてさて、コーネル大学ですがNY州の北の端、カナダ国境から程近い、イサカという街にあります。コンピューター科学、生物医学、そしてホテル経営学が有名で、学内にはホテル学部が経営するホテルもあります。ということで・・・3月はめっちゃ寒い!以前、チェルフィッチュのツアーでミネアポリスに行ったとき、マイナス20度!!というのを経験したことがありますが、さすがにそこまでは寒くはないものの、かなり寒かったです。


      
雪のなか、トラックから荷物を降ろす座員。              このトラックは24フィートと呼ばれるサイズ。 
しかし、トラック、ボロボロですねえ。                  日本で言えば2トンロングぐらいかな?


コーネル大学では2公演行いましたが、1公演目はキャパが1000席を超えるBaily Hall。基本的には講堂か音楽ホールとしての利用が主なようですが、人形公演にはちょっと大きすぎの感も。しかし、基本的には1階のセンターセクション(手すりから前)しか使わないとのことなので、まあ、いいかと。アメリカでツアーすると、こういうことが良くあります。昨日まで150席の会場だったのに今日は1000席、なんてことも。まあ淡路人形浄瑠璃座にフレキシビリティがあるのと、照明の仕込とかが、まあ、ないならないなりでやれてしまうので、こういうことも対応可能になります。あと、ツアーはあまり贅沢を言っていると日程調整が大変になるので、フレキシビリティがないと難しいことも多々あります。それにウェズリアン大学に続いて吊り物や照明のできない劇場だったので、メンバーにも慣れが・・・。


        
凍てつく大地にそびえるベイリーホール。立派な建物ですね。  建物の大きさに比べて客席は結構見やすく設計されています。
アイビーリークの威厳でしょうか。                   音楽ホールとして利用されているので音響も良かったです。
まあ、学生も大学も基本、お金持ちですが・・・。          


        
照明はシンプルなダウンライトと前明りだけですが         そして舞台は無事完成。
まあね、古典ですからなんとかなります。              なにせキャパが大きいので心配しましたが
                                       客席もそれなりに埋まりました!


    
しかし、この大学、とっても美しいんです。高台にあるので眺望も素晴らしいし、歴史もあるので建物がどれも美しく、そして手入れも行き届いています。こういう歴史と手入れの行き届いた環境というのは私学でないと難しいところです。そして当然、授業料も高くなるという最初の話に戻ってしまいます。教育においてもアメリカは市場主義。素晴らしいサービス(教育)、素晴らしい環境には当然ながらコストがかかるということです。


    
コーネルの象徴的な塔。その先端の内部にはオルガンのような装置が。さらに同建物内に“塔のオルガン演奏部”の部室があって、部員たちが定刻になると2人がかりで演奏を行います。かなりな重労働でした。内部は誰でも見学できます。


  
“昔は教会でした”風な建物。客席が変則的に3方向にあるので、両端をつぶして正面だけにしました。レンガ作りで丸い天井や梁が可愛い建物ですが、搬入出が大変でした。特に字幕用のプラズマはケースに入れると40kgあるので大変。まあ、屈強な座員によって無事運び出されましたが。


そして翌日は打って変わって小さな会場での公演となりました。大学側の希望で大きな会場では、「戎舞」「日高川」「壺坂」の本公演バージョンを、小さい会場では「式三番叟」「解説」「日高川」のレクチャー公演バージョンをやることに。

この「式三番叟」は淡路で最も古い演目のひとつだそうで、淡路人形浄瑠璃資料館によると、「古代・中世にかけて大阪四天王寺から楽人(がくじん)を雇い、淡路島内の有名社寺に舞楽を奉納していました。やがて楽人の一部は近くに住むようになり、その子孫たちは代々祖先の生業を受け継いでいきました。しかし、室町時代末、守護大名であった細川氏の没落とともに神事奉納も行われなくなったところへ、百太夫(ひゃくだゆう)という西宮戎神社に仕えていた人形つかいから人形の操り方を伝えられました。衰退の危機にあった楽人たちは、新たな神事芸能を創造すべく上方から伝えられた「式三番叟(しきさんばそう)」の奉納を人形操りによって行いました。これが淡路人形浄瑠璃の始まりです。現在でも三番叟は、人形座が各地で公演を行う前に、無事安全を祈願して奉納が行われています。」


  
だそうで、人形も一人使いで機能面ももっと古式な感じです。腕とか曲がらないし。あと、淡路人形浄瑠璃では基本、人形遣いは頭巾を被って人形を遣いますが、この時だけは紋付袴で顔だしです。音楽も鼓のみと古式な感じです。僕は人形遣いが顔を出さずに黒子として人形を遣うほうが芝居に集中できるので好きですが、これは神事でもあるので、こういうスタイルもいいですね。


      
会場は熱心な観客でいっぱいに。そして今日も人形解説は、ヤンキース・松井似でこちらは元ヤンキーの記虎団員が担当。基本的な動作だけでなく、胴の衣装を取って構造を見せてくれたり、仕掛けの多い頭を見せてくれたり、サービス満点です。古典芸能は日本人にすら良く知られていない内容があったりするので、こういった解説は重要で、さらにアメリカでは観客の興味や意欲が大きいので解説中も質問が飛んだりします。

海外ツアーは文化庁や国際交流基金の助成金を頂いて実施されることも多く、優れた舞台を見せるのが最重要なミッションとは言え、やはりこういった解説や現地の人たちとの交流がないと、その使命を十分に果したとは言えないと思います。裏方にしても、自分たちのやり方を押し付けるのではなく、現地のやり方を尊重し、考え方・進め方の違いを理解し、限られた時間ながら、作業を通して交流することが必要です。自分のお金で勝手に来ているなら別ですが、元は税金といった姓格のお金で来ているのであれば「良い舞台さえ作ればそれでいい」では片手落ちだと思います。


     
上写真左はコーネル大で日本語を勉強する学生たちが着物姿で受付を手伝ってくれました。こういうのは本当に有難いし嬉しいですね。舞台を好きになってくれることも嬉しいですが、日本そのものに関心を持ってくれるのも嬉しいものです。右の写真は客出しに登場した人形と握手する子供。この子が将来、アメリカ初の女性大統領になるかもしれません。その時、きっと日本に良い印象を持ってくれるんじゃないでしょうか。まあ、大統領にならなくても、良い思い出としてくれれば良いのですけどね。


     
淡路人形浄瑠璃座はどこに行っても本当に人気がありました。客出しの間の短い交流も双方にとって大事な時間。写真を取ったり質問したり。ここでも良い時間が過ごせました。

そしてコーネル大学での公演も無事終了。
翌日はマサチューセッツ大学に移動です。