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ワインの良し悪しが見分けられない本当の理由

2013年04月14日 05時31分47秒 | 日記
誤解:ワインは複雑な甘味と香りをもつアルコール水溶液で、専門家だけが的確に利き分けられる繊細な香りに満ちており、経験豊富なテイスターになるとゴマカシは通用しない。
事実:ワインの専門家も、消費者同様、期待を操作されることで惑わされる。
大きな酒屋では、上質のワインが売られている棚をめざして、通路の表示をチェックしますね。ボトルはどれも、お城やブドウ園やカンガルーといったイラストが貼ってあったり、不思議なかたちだったりして、決めかねてしまいます。おまけに、リースリング、シラーズ、カベルネなど、品種もたくさんあり、本当にお手上げです。
さて、左の棚には1000円ほどのワインが並んでおり、右を見ると、5000円くらいの値段が付いたワインが見えるとします。あなたは、映画に出てくるワインテイスティングのシーンを思い浮かべます。グラスを光にかざして色合いや樽、ブドウ園の土壌品質について講釈する、あのシーンです。当然、高価なワインほど良いワインだと思いますよね。
でも、そうではないのです。
人は誰でも、思っているほど賢明ではありません
実は、あなたは自分で思っているほど賢明ではありません。けれども、落ち込む必要はありません。ワインを口に含んで味がわかると主張する鑑定家たちもそうなのですから。
ワインテイスティングは、多くの人にとってすごいものに思えます。プロとして仕事にする人さえいるのですから。ワインの歴史は数千年前にも遡りますが、「テイスティングノート」、「ワインの涙」、「インテグレーション(成分のバランスが取れていること)」、そして「親和性」といった用語を伴う現在のワインテイスティングのかたちは、数百年前にできたものです。
ワインテイスターはまるで、飲み物の構成分子を解析できる人間分光器であるかのように、高級ワインから感じることのできるすべてを告げていきます。ただし研究によれば、その知覚も、乗っ取られたり、騙されたり、あるいは完全に間違えたりすることがあるようです。
フレデリック・ブロシェ(Frederic Brochet)氏は2001年に、ボルドー大学で2つの実験を行いました。
1つ目の実験では、ワインテイスティングとワイン醸造を研究するワイン醸造学の学生54人を集め、赤ワインと白ワインを1杯ずつテイスティングさせました。このとき学生たちに対しては、それぞれのワインについて、専門家の見解としてできる限りの詳細な説明を求めました。ただし、実はどちらも同じワインであることだけは知らせませんでした。ブロシェ氏は白ワインを赤く着色していたのです。
別の実験では、同じ学生たちに、2つの異なる赤ワインのボトルについて比べるよう指示しました。1つはとても高価で、もう1つは安物のワインです。そしてここでも、ブロシェ氏は仕掛けをしました。今度は、どちらのボトルにも同じ安物のワインを入れておいたのです。さて、結果はどうなったでしょう?
最初の実験でテイスターたちは、着色した白ワインについて、それがまるで本物の赤ワインであるかのように、ブドウの種類やタンニンといった、赤ワインで感じられるような説明をしました。そう、54人の誰ひとり、それが白ワインだと見抜けなかったのです。
ラベルをすり替えた2番目の実験では、どの被験者たちも、高価なラベルのボトルに入った安物ワインを高く評価しました。彼らはそれを、複雑味があり、まろやかだと表現しました。そして安物のラベルが貼ってあるまったく同じワインについては、水っぽくて味わいに欠けると切り捨てました。
カリフォルニア工科大学で行われた別の実験では、5本のワインボトルに対して優劣を付けてもらいました。使われたのは、5ドルから90ドルのワインです。ここでも、研究者は安物のワインを高価なラベルのボトルに入れ替えたのですが、今回はテイスターたちの脳にスキャナーを取り付けました。
ワインを試飲するたびに、スキャナーには脳の同じ範囲の反応が示されましたが、テイスターがワインを高価だと思った場合は、特にある部分の反応がより活発になりました。さらに別の実験では、2種類のワインを飲みながらチーズの評価を行ってもらいました。テイスターは2つのグループに分かれ、それぞれ、(知名度のある)カリフォルニア産と、(知名度の低い)ノースダコタ産のワインであると告げられました。ただし実際には、どちらも同じワインです。カリフォルニア産ワインと告げられたテイスターたちはチーズを高めに評価し、食べた量も別のグループより多めでした。
期待という名の魔物
仰々しいワインテイスティングはすべて、気取ったまやかしなのでしょうか? 実際には、ちょっと違います。
上記の実験に参加したワインテイスターたちは、期待という魔物に翻弄されたのです。通常の状況におけるワイン専門家の客観性と味覚の実力はずば抜けているのでしょうが、ブロシェ氏の仕掛けにより、被験者らの洞察力が鈍ってしまったのです。専門家が抱いた期待は、スーパーマンの力を吸い取ってしまうクリプトナイトのように、彼ら自身の能力を奪ってしまいます。つまり、「期待」はオリジナルの感覚と同じくらい重要なものだとわかったのです。
ある体験に至るまでの積み重ねは、五感から受ける「客観的な情報」がどのように脳へ伝わるかを完全に変えてしまう場合があります。心理学では、完全な客観性はまずありえないとされています。記憶や感情、条件付け、そして他のあらゆる知識の断片が、新たに得る体験をことごとく汚染してしまうのです。
こうしたことに加えて、期待は「現実的に何を真実と認識するか」という脳の最終判断にかなり大きく影響します。そのため、ワインをテイスティングする時も、映画を観る時も、デートをする時も、3万円もするオーディオケーブルを繋いだ新しいステレオで音楽を聴く時も、その体験には、自分の中から来るものと、自分の外から来るものが混ざっています。高価なワインの場合、他の高価なものと同様に、「きっと美味しいはず」という期待が味を良くしているのです。
オランダで行われた別の実験では、高解像度テレビの素晴らしさを称賛するポスターが貼られた部屋に参加者が集められ、「これから高解像度の番組を観てもらう」と告げられました。彼らは実験後、よりシャープで、よりカラフルな画面であり、通常の番組よりも素晴らしいと感想を述べました。ここで彼らが知らされていなかったのは、実際に観せられたのが標準解像度の映像だったことです。より高品質の映像を観るという期待が、実際にそれを観たと信じ込ませてしまったのです。最近行われた調査から、高解像度テレビを保有する人の約18パーセントは、実際には現在も標準解像度の番組を観続けており、同時に、今までよりも綺麗な映像を観ていると思い込んでいることが分かっています。
「ブランド認識」という魔法の始まり
また、1980年代前半にペプシは、名前を伏せて飲み比べる目隠し調査で、「コカコーラよりも自社製品が良い結果を出した」と宣伝するマーケティングを行いました。同社ではこれを「ペプシ・チャレンジ」と名付けました。当時の心理学者はすでに、人がどの商品を好むかは、往々にして本来の価値を基準にしていないと結論付けていました。「マーケティングキャンペーンやロゴなどが、ブランド認識という魔法をかけるため」という理由です。
ブランド認識という魔法の始まりは、特定のマーケティングキャンペーンを、ほかの商品よりも強く自分と結び付けることです。ペプシ・チャレンジが行われるまでは、すべてのテイスティングでそうした事態が起きていました。コカコーラの広告は、ペプシの広告よりも人気がありました。そのため、実際の味がほとんど変わらないにもかかわらず、白いリボンがあしらわれた赤い缶を見て、人々はコカコーラを選んでいたのです。そこでペプシ・チャレンジでは、両社のロゴを外しました。
研究者らは最初、コップに何らかのラベルを付けるべきだと考え、MとQのラベルを貼りました。結果は、Mのラベルが貼られたペプシの方が、Qのラベルを貼られたコカコーラより高い人気となりました。これに憤慨したコカコーラ社は、両方のコップにコカコーラを入れて、独自に実験をしたのですが、その実験でもMが勝利しました。つまり、問題は中身ではなかったのです。人々は単に、Qという文字よりもMという文字が好きだっただけでした。
人は好みのものを見つける際に、きっかけとなるものを探します。こうした手がかりが、以前に得た良い経験を思い起こさせ、良いものに戻る助けとなるのです。コーラ実験の回答者たちの場合、2つの商品はほぼ同じ味わいだったのですが、選択を迫られたため、決断するための何か別のきっかけを探しました。つまりどちらの文字がより心地良いかです。MはQよりも好まれる字のようです。他の研究では、BよりもA、2よりも1が好まれる結果が報告されています。
人は「体験」よりも「期待」に引きずられて動く
ブランド戦略もまったく同じです。例えば、ウォッカには味がないので、メーカーは味の素晴らしさを売りものにできません。そこでメーカーは、視覚的に手っ取り早い方法として、広告を消費者の脳に刷り込み、好みを乗っ取る手段に出ます。メーカーは、消費者が酒屋で沢山のウォッカのボトルを見かけた時に、意識の中に作られた期待から、自社製品を手に取ってもらえると考えているのです。
目隠し調査をすると、長期間タバコを喫煙している人は、自分の吸っている銘柄と別の製品を区別できず、ワイン通は2万円と2000円のボトルをなかなか見分けられません。高級レストランが冷凍食品を電子レンジで温めて出しても、ほとんどの客は気付きません。味覚は主観的なものであり、言い換えれば、沢山の中から1つの商品を選ぶ時、人はあまり賢明ではないのです。ほかが同じであれば、人は広告やパッケージを思い出したり、友人や家族に合わせようとします。プレゼンテーションがすべてなのです。
レストランにとって、これは頼みの綱です。ほぼすべての小売業者も、これに頼っています。プレゼンテーション、価格、上質なマーケティング、優れたサービスなどのすべては、クオリティへの期待へと人を誘導するものです。こうした誘導と比べると、実際の体験などたいして重要ではありません。それがよほど粗悪なものでない限り、体験のほうが期待に合わせていくのです。
評価の低いレビューをたくさん目にしていれば映画の印象は悪くなり、良いことばかり並べ立てられれば、そうかなと思ってしまいます。ソーシャルな情報に晒されず、批評家や同僚、宣伝などから一切影響を受けない状態で映画を観ることはまずないでしょう。あなたの期待は「馬車を引く馬」であり、あなたの体験は「馬に引かれる車」です。あなたはそれほど賢明ではなく、あなたの体験は常に期待に引きずられるのです。

ま、じったいはそんなもんだろうな・・・
ソムリエなども似たようなもんだろう・・・


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