九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

嵐山瀧神社(大分県玖珠町)

2009-11-12 13:13:35 | 神社参拝ー九州
 11/12(木)、天皇陛下御在位二十年記念式典が行われます。

 御在位二十年をお祝いして、平成の御大典の重要な儀式である大嘗祭の主基地方に大分県が点定され、主基斎田に選定された水田のある玖珠町鎮座の嵐山瀧神社を掲載しました。

 嵐山瀧神社(あらしやまたきじんじゃ
【鎮座地】〒879-4400 大分県玖珠郡玖珠町大字山浦116 旧豊後国 玖珠郡
【御祭神】田心姫命 市杵嶋姫命 湍津姫命 小松女院
【例祭】 4月18日 春季例祭 8月8日 夏季例祭 10月29日 秋季例大祭 10月29日 秋季例大祭 10月30日 行宮例大祭 11月1日 秋季例大祭
【旧社格等】大分縣社寺名勝圖録(復刻版)には桜ケ岡瀧神社は郷社とあるが、本社の当社については記載ありません。
【御由緒】
 平安時代、京の都で醍醐天皇の御孫姫小松女院と笛の名手清原正高少納言は恋をしますが身分の違いもあり、正高卿は豊後の国に配せられます。
小松女院は、正高卿の後を慕って穴井四郎弘次、荘隈次郎利勢と十一人の侍女を伴い、はるばると当地までやってきました。
 滝のほとりで一人の老樵に出会い、正高卿はすでに矢野氏の娘を娶り長野の館に住んでいることを聞き、今は尋ねても詮なきことと旅に使った笠や衣を松の枝に掛け、辞世の歌
 「笛竹のひとよの笛と知るならば吹くとも風のなびかざらまし」
と詠み、十一人の侍女と手を組み携えて滝の水底に身を投じました。
 正高卿は、この事を聞いて驚き、里人と淵瀬を探し、小松女院と侍女の御遺骸を引き揚げ御墓所を作り神社を建て御魂を鎮められました。
 玖珠川を挟む嵐山、桜ケ岡両瀧神社では、現在も入水の日を祭日として厳粛に大祭が斎行されています。
 (平成祭データ)
 
 九州一の河川、筑後川の上流に位置し、日田市の東に隣接する玖珠郡玖珠町にあります。JR久大本線「北山田駅」の南およそ500mの三日月の滝公園に鎮座しています。

 鳥居の扁額扁額にはシンプルに「瀧神社」とあります。
そばにみごとな公孫樹があります。

  参道の鳥居
 玖珠川沿いの参道を数10m進むと左に年代を感じされる石造りの鳥居です。

 参道から拝殿
鳥居くぐると、左に大きな石の手水、右は境内社がならび、正面に石畳の参道から社殿です。

 拝殿華美な装飾はありませんが風格のある入母屋造りの拝殿です。
内部に桑、梨、椎、ナロ、銀杏の5種類の木材で作られた小鳥居がありくぐると木材のゴロあわせで健康になるそうです。

  社殿全景
 社殿は拝殿に続いて瑞垣の中に廊下(幣殿?)から銅板葺き流れ造りの本殿です。

  本殿 
 御祭神は宗像三女神(田心姫命 市杵嶋姫命 湍津姫命)と醍醐天皇の御孫姫小松女院、小松女院は身分の低い清原正高少納言に恋をして当地で入水し悲劇の死を遂げられました。
 創建年代は、大分縣社寺名勝圖録の当社由緒に「天延三年(975年)9月29日、小松女院を合祀、、」とありますがそれ以前については記述がありません。

 旧社格について、大分縣社寺名勝圖録には桜ケ岡瀧神社は郷社とあるが、本社(元宮)の当社については記載ありません。

 境内社社殿に向かって参道右にあります。
社名、御祭神は不明ですが、大分縣社寺名勝圖録によると生目神社でしょうか。

 境内社・天満神社参道右、猿田彦大神の右隣にあります。
社前には牛の石像が奉納されています。

 拝殿から参道
参道および境内には桜が多くあり、大分県でも桜の名所のひとつとして有名です。

 木樵堂参道の鳥居の右にあります。
小松女院の入水を知り、責任を感じ同様に入水した老樵が清原正高公により、祀られています。

   木樵堂の由来
 平安時代、天延三年九月、小松女院と十一人の侍女は、清原正高公を京都より慕い、三日月の瀧のほとりまではるばるやってきました。この地で一人の老樵に会い正高公の消息を尋ねると、すでに正高公は、矢野倹行兼久の娘を娶って長野の船岡山の館に住んでいると言うことをききます。詮なき事と、小松女院と十一人の侍女は三日月の瀧に身を投じます。老樵も後でこの事を知り身につまされこの瀧に入水します。
 清原正高公は女院と十一人の侍女を祀る瀧神社の守護神として、社を建てこの老樵を守りました。それ以来、山林、木材関係者の信仰厚いところとなりました。
 老樵の遺骨は筑後大石に流れ着き、当地にも木樵神社として毎年盛大なお祭りがなされています。
                    瀧神社社務所
 (案内板より 原文のまま)

 参道から境内入口の鳥居両側には多くの灯篭が奉納されています。

 観音堂境内入口の鳥居の左にあります。

  観音堂の由来
 江戸時代の元禄十四年建立された観音様です。
瀧見観音と呼ばれ、子供を慈しみ、いたわり育てる観音様その姿より、歯痛の観音様と信仰され、瀧神社の江戸期の神仏習合時代の名残りを残すものです。
 瀧神社社務所
  (現地案内板より)

 平成大嘗祭主基地方の碑境内入口の左にあります。

  平成大嘗祭主基地方の碑
 平成2年の秋、天皇陛下御即位の大礼」に国中奉祝に湧く。御大典の重儀大嘗祭主基地方に大分県点定されるを謹受し名米農林二十二号を植る玖珠町小田泊里の水田が主基斎田に選定され穴井進君大田主の栄誉を担う。
 仲秋晴天下、鎌田純一掌典を抜穂使に玖珠の人々奉仕し主基斎田抜穂の儀厳粛に斎行される。
此の栄誘を後世に伝え聖寿の弥栄を祈念し奉らむと関係有志相議り碑を建設する。
 瀧神社 宮司 穴井 伸久

 宮司の穴井伸久氏は本年2月、神社本庁から宇佐神宮の後任宮司に選任され、宇佐神宮が神社本庁に脱退届けを提出するなど後継ぎ争いが報道されました。

参道から三日月の瀧 
 玖珠川が逆U字形に蛇行して中洲のようになっている場所の右(東)側にあります。滝の落ち口が弧を描いて三日月のようになっていることから「三日月の瀧」と呼ばれています。 
 観光案内に「玖珠のナイアガラ」といわれ、規模 :幅100m 落差約10mとありますが、話半分のようです。

 神幸橋から鏡山
玖珠川に架かる朱の欄干の神幸橋、正面の山は鏡山(標高675m)、頂上に数基の風力発電の風車が見えます。
 
 三日月の瀧から社叢
境内に隣接して三日月の滝公園が整備され、キャンプ場や天然温泉などもあります。
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