九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

山王日吉神社(長崎県長崎市)

2008-08-09 12:30:25 | 神社参拝ー九州
8月9日(土)、長崎原爆の日、本日長崎市は被爆63年目を迎え、世界平和と核兵器廃絶を訴える新たな平和宣言がなされました。

 世界平和を祈念して山王日吉神社(長崎県長崎市)を改訂しました。

 長崎市坂本にあります。原爆の爆心地から800m、JR浦上駅から東に300m、長崎大付属病院そばの高台に鎮座しています。
 一本の柱で立ち続けている「一本柱鳥居」、境内入口の「被爆クスノキ」等が歴史の証人として生き続けています。

【鎮座地】〒852-8102 長崎市坂本2丁目6番56号 旧肥前国 彼杵郡
     TEL:095-844-1415
【御祭神】
  天照大御神 豐受比賣神 大山咋神 大物主神 伊邪那岐神 高皇産靈神
  天御中主神 神皇産靈神 大年神 經津主神 健甕槌神
【御由緒】
 島原の乱の後、徳川幕府老中松平伊豆守信綱が、この地が近江琵琶湖岸の坂本に地名や景色が酷似しているとして、かの地の山王日枝の「山王権現」を招祭してはと思い、それにより時の長崎奉行、代官が寺町の延命寺の龍宣法印師に依頼して建立、延命寺の末寺「白厳山観音院円福寺」として運営された。
 明治時代になり、神仏分離令により、元来の神社に戻り「山王日吉神社」と改称し浦上地方の郷社となる。
 又明治元年、 山里地区に皇大神宮が祭られたが台風等により損壊し、再建や運営が困難となり廃社までが検討されたが氏子の山王社との合併願いが許可となり明治17年1月遷宮され「県社浦上皇大神宮」と称した。しかし地域では「山王さん」として親しまれ、又「浦上くんち」として大いに賑わってきた。
 1945(昭和20)年8月9日の原爆で壊滅的被害を受けたが徐々に再建し、1988(昭和63)年にぼぼ旧来の姿に再建された。
(案内板より抜粋)

-沿革-
寛永15年 (1638) 山王權現社創立
         大國主命、大山昨命、大年命を主祭神として奉祀した。
明治元年(1868) 山王日吉神社と改稱せられ、郷社となる。
明治元年(1868) 浦上皇大神宮創立 明治7年縣社
明治17年(1884) 浦上皇大神宮を日吉神社に遷宮し合併
          これより縣社浦上皇大神宮と稱する。        
昭和20年(1945)8月9日 原爆で壊滅的被害を受ける。昭和63年(1988) 旧来の姿に再建

参道に1本柱で立ち続ける大正13年(1924)建立の「二の鳥居」

参道脇に保存されている倒壊した鳥居と燈篭
鳥居の扁額「皇大神宮」
寄進者の名前が刻まれた鳥居の左側柱
原爆の熱線(約1,800度)が直接あたった所は名前が見えない状態になっています。

旧浦上街道
 神社境内前の道は、京都から処刑のため連行された26聖人が1597年2月5日に時津の港から西坂の処刑場へと歩いた道で「キリシタン街道」ともよばれます。

境内入口の「被爆クスノキ」  
樹齢500~600年、右の楠は直径8m、左の楠は直径6m、被爆後、幹に大きな亀裂を生じ、枝葉は吹き飛び丸裸となり一時は枯れ死寸前を思わせたが、新芽が芽吹き絶望していた人たちに勇気と希望を与えました。

参道から拝殿

拝殿 神明造りの本殿

大正9年11月の狛犬胴体に痛々しい亀裂があります。

参拝したのは2月3日、境内は節分祭の準備中 

 尚、この被爆クスノキの二世が世界の恒久平和を願う象徴として全国各地で育っています。大分県豊後高田市の若宮八幡神社にもありました。
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