02/03(金)、山王神社(長崎市)、他に参拝しました。
「長崎ランタンフェスティバル」のバスツアーで久しぶりに長崎を訪れました。
最初は中学の時の修学旅行ですからおよそ40数年前になります。夜汽車で早朝、長崎駅に到着、バス会社の社員の方々によるブラスバンドの校歌で歓迎され、皆寝ぼけ眼がシャキとなって感激した想い出があります。
その後、仕事で何度か訪れましたが、夜の思案橋を除いて観光地等は全く見物もしていませんでした。
幸いバスツアーは昼食後20:00まで自由行動でしたので時間は充分あり、昼食の中華レストランから徒歩10数分のところに山王神社があると聞き、ここでバスツアーから離れて早速参拝することにしました。
山王神社の二の鳥居
山王神社の参道に立つ鳥居。原爆の爆風で片方の柱が吹き飛ばされているため、「一本柱鳥居」とも呼ばれています。歴史の証人として、現在も一本の柱で立ち続けています。
境内入口の被爆クスノキ
島原の乱の後、徳川幕府老中松平伊豆守信綱が、この地が近江琵琶湖岸の坂本に地名や景色が酷似しているとして、かの地の山王日枝の「山王権現」を招祭してはと思い、それにより時の長崎奉行、代官が寺町の延命寺の龍宣法印師に依頼して建立、延命寺の末寺「白厳山観音院円福寺」として運営されました。
明治時代になり、神仏分離令により、本来の「山王日吉神社」と改称しました。
1945(昭和20)年8月9日の原爆で壊滅的被害を受けましたが徐々に再建し、 1988(昭和63)年にぼぼ旧来の姿に再建されました。 (案内板より抜粋)
続いて路面電車(全区間100円均一)で諏訪神社に向かいました。
寛文七年(1667年)ジャワから持ってこられた「ザボンの木」がある西山神社
菅原道真を祀った松森神社
市内中心部繁華街の「眼鏡橋」近くの長崎大神宮(2階建て構造1階は駐車場)
「長崎ランタンフェスティバル」のバスツアーで久しぶりに長崎を訪れました。
最初は中学の時の修学旅行ですからおよそ40数年前になります。夜汽車で早朝、長崎駅に到着、バス会社の社員の方々によるブラスバンドの校歌で歓迎され、皆寝ぼけ眼がシャキとなって感激した想い出があります。
その後、仕事で何度か訪れましたが、夜の思案橋を除いて観光地等は全く見物もしていませんでした。
幸いバスツアーは昼食後20:00まで自由行動でしたので時間は充分あり、昼食の中華レストランから徒歩10数分のところに山王神社があると聞き、ここでバスツアーから離れて早速参拝することにしました。
山王神社の二の鳥居
山王神社の参道に立つ鳥居。原爆の爆風で片方の柱が吹き飛ばされているため、「一本柱鳥居」とも呼ばれています。歴史の証人として、現在も一本の柱で立ち続けています。
境内入口の被爆クスノキ
島原の乱の後、徳川幕府老中松平伊豆守信綱が、この地が近江琵琶湖岸の坂本に地名や景色が酷似しているとして、かの地の山王日枝の「山王権現」を招祭してはと思い、それにより時の長崎奉行、代官が寺町の延命寺の龍宣法印師に依頼して建立、延命寺の末寺「白厳山観音院円福寺」として運営されました。
明治時代になり、神仏分離令により、本来の「山王日吉神社」と改称しました。
1945(昭和20)年8月9日の原爆で壊滅的被害を受けましたが徐々に再建し、 1988(昭和63)年にぼぼ旧来の姿に再建されました。 (案内板より抜粋)
続いて路面電車(全区間100円均一)で諏訪神社に向かいました。
寛文七年(1667年)ジャワから持ってこられた「ザボンの木」がある西山神社
菅原道真を祀った松森神社
市内中心部繁華街の「眼鏡橋」近くの長崎大神宮(2階建て構造1階は駐車場)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます