6/24(月)琉球八社巡拝の後半です。
識名宮からおよそ4km、首里城の東方1kmの標高165.7mの弁ケ嶽に鎮座の沖縄神社に向かいました。
当社は大正14年の創立と新しく琉球八社ではありませんが、旧県社でもあり社名が地名の社には参拝することにしていることから外せません。
6. 沖縄神社(おきなわじんじゃ)
【鎮座地】〒903-0805 沖縄県那覇市首里鳥堀町1 旧琉球国 沖縄郡
【御祭神】舜天王 尚圓王 尚敬王 尚泰王 源爲朝
【例祭】 10月20日 例大祭
【旧社格等】県社
【御由緒】
沖縄神社
那覇市首里當蔵町鎮座、祭神、舜天王、尚圓王、尚敬王、尚泰王、源為朝公、例大祭、十月二十日
由緒
県民の熱烈な敬神崇祖の念から大正十一年十二月、県社沖縄神社創立の議が起こった。祭神は県民に最も由縁の深い國祖舜天王、又その後四百年間に功績のあった中興の國王尚圓王及び本県の文化事業に貢献した英主尚敬王更に明治維新の宏謨によって県民の向ふところを定めた最後の國主尚泰王を主神として報本反始の意から舜天王の父君源為朝公を配祀することゝした。
敷地は舜天王以来七百年間本県政治の中心地であった首里城を選定し、大正十二年三月三十一日創立を許可せられ、創立奉賛会を組織し、県下一般より募金した、同年九月起工、同十四年一月竣工、同十五年十月二十日県社に昇格した。同十一月二日神饌幣帛料を供進する神社に指定せらる。昭和十九年十月戦災焼失、戦後、有志により再建期成会を結成し、昭和三十七年より那覇市首里鳥堀町弁ケ嶽小嶽の市有地を貸借し境内地とし、小祠を設け祭祀を続けている。昭和六十三年十一月、本殿と玉垣の補修工事竣工。
(平成祭データ)
参道入口に鳥居の跡のようなものがあり、石段を上ると小さな祠が二つ並んでいます。右側の祠の中に石碑が五つ祀られていてこちらが本殿のようです。
続いて、首里城の北、末吉公園に鎮座の末吉宮です。事前に調べたところ、公園入口からはかなりの距離があり、しかも高台にあり心配でしたが、Kさんの機転で裏参道(大名口参道)を探してもらい、炎天下の行軍は避けられました。
7.末吉宮(すえよしぐう)
社壇(しゃだん)
【鎮座地】〒903-0801 沖縄県那覇市首里末吉町1-8(末吉公園内)旧琉球国 沖縄郡
【御祭神】伊弉冉尊 速玉男神 事解男神
【例祭】 11月23日 例大祭
【旧社格等】無格社 琉球八社
【御由緒】
末吉宮、那覇市首里末吉町鎮座、祭神、伊弉冉尊、速玉男神、事解男神、例大祭、十一月二十三日
由緒
俗に「社檀」と称し、「冊封使録」には末吉一帯の丘陵を「亀山」と呼称した。「大慶山権現」「末吉権現」「末吉神社」等の記録も見られる。社は尚泰久王時代(一四五四~六〇)に首里の天界寺僧鶴翁が大和での修業中、熊野権現を崇信、学問成就せばさらに参詣することを誓った。帰国後参詣を願い出ても国王が許さなかった。あるとき、夢に熊野権現が現れ、これより北方の山に大声で呼び、応ずるところがあれば霊験ありという。果して前山に応ずる声があったが、そこは険阻で人跡のおよぶところではない。登る途中一鬼面出現したので、鶴翁叩首九拝する。その旨を国王に言上すると同様の霊夢があったという。そこで神社をその地に創建、鶴翁が見つけた古鏡を宮内に蔵した。
本殿は三間社流造り本瓦茸で磴道も含め昭和十一年国宝に指定されたが、沖縄戦で破壊された。昭和四十七年本殿及び磴道が復元されて、同年五月には国史跡に指定された。社殿は末吉公園内にあるため車の便は悪いが緑の多い森林に囲まれた景勝地である。
(平成祭データ)
此処からの那覇市街地を見下ろす景観は大変すばらしく、しばし見とれていました。
つぎは、那覇を離れて宜野湾市の米軍普天間キャンプに隣接(と言うより一角)して鎮座の普天間宮です。
8. 普天間宮(ふてんまぐう)
普天間権現(ふてんまごんげん)
【鎮座地】〒901-2202 沖縄県宜野湾市普天間1-27-10 旧琉球国 沖縄郡
【御祭神】伊弉冉尊 速玉男命 事解男命 天照大御神 家都御子神 日の神 竜宮神 普天間女神 琉球古神道神
【例祭】 9月15日 例大祭
【旧社格等】無格社 琉球八社
【御由緒】
普天間宮
宜野湾市普天間鎮座、祭神、伊弉冉尊、速玉男命、事解男命、天照大御神、家都御子神(日の神、竜宮神、普天満女神、他)例大祭、旧九月十五日
由緒
当宮は別称普天満権現ともいい、琉球八社の一つである。創建については往昔、普天間の洞窟に琉球古神道神を祀ったことに始まり、尚金福王から尚泰久王の頃(一四五〇~六〇年)熊野権現を合祀したと伝えられている。現存する古い記録には「普天満権現」碑(一五九〇年)がある。琉球神道記(一六〇五年)琉球国由来記(一七一三年)琉球国旧記(一七三一年)にも当宮関係が記載されている。縁起伝承には首里桃原に女神が出現されて後に普天間の洞窟に篭られ、さらにその後、洞窟より仙人が現れて「我は熊野権現なり」と御神威弥高に示された。
御神徳については中城間切安谷屋村の百姓夫婦や美里間切東恩納村の屋号「当ノ屋」に黄金(神徳)を授け苦難をすくった。「当ノ屋」ではそのお礼参りが三百年余、現在まで続いている。尚、船舶の安全、大漁、五穀豊穣、交通安全、会社隆昌、商売繁盛、縁結び、安産、初宮参り、学業成就等など結びの神様(諸願成就)として当宮は参詣者も多く、特に旧暦九月は普天満参詣と言って、かつては中山王はじめノロ、一般の人々が各地より参集し礼拝の誠を捧げた。昭和十九年に県社昇格の予定になっていたが、戦時の混乱により立消えとなった。戦前の沖縄県神社明細帳には「社格特別由緒有神社」と特記されている。現在の社殿は戦後、県内外からの浄財により随時復興した。
参道沿いにあった宜野湾並松(昭和七年国指定天然記念物)は戦災と戦後の松食い虫の被害を受け消失した。洞窟内及び東洞口付近は遺跡となっており沖縄貝塚時代前期後半以後の遺物が多数発掘されている。尚、二万年前の鹿、イノシシの化石なども発見されている。平成三年八月一日付で、「普天間宮洞穴」、宜野湾市天然記念物指定。
(平成祭データ)
「普天間宮洞穴」 の見学の後、沖縄では始めて(一の宮の波上宮にもありません)の当社のご朱印帳にご朱印をいただきました。拝殿、本殿など社殿は平成17年に竣工の新しいものとなっています。
最後は、沖縄自動車道を経由して30数kmほどの国頭郡金武町に鎮座の金武宮です。
途中、伊芸SAで遅い昼食(沖縄ソバ)を摂り、金武湾の南国の風景を観ながら小休止しました。
伊芸SAから金武湾の景観
金武宮(きんぐう)
【鎮座地】〒904-1201 沖縄県国頭郡金武町金武222 旧琉球国 沖縄郡
【御祭神】伊弉冉尊 速玉男神 事解男神
【例祭】
【旧社格等】無格社 琉球八社
【御由緒】
調査中
事前調査で金武観音寺の境内の茶屋で拝観料を払って洞窟に入るとありましたが、茶屋は見当たらず、洞窟入口で丁度、泡盛の搬出していた人に尋ねると、現在は境内入口の道路の海側にあるカフェ(泡盛の販売もしている)とのこと。そこで尋ねると現在は泡盛の貯蔵庫だけの見学で、入口も反対側とのこと。金武宮の所は照明も消えているが良ければ参拝しても良いとのこと。了解を頂いて、泡盛の搬出されていたところから洞窟に入り、なんとか無事に参拝できました。お寺と酒造会社との間でなにか問題があるようです。
この洞窟は、沖縄戦の終盤時には、南部などからの非難場所(防空壕)になっていました。大先輩のKさんも此処に逃れて、米軍に投降して九死に一生を得たとのことでした。沖縄にはこのような悲劇の場所が至る所にあり、胸が痛みます。
今回は地元?のKさんに案内していただき、無事に予定の全てをこなすことが出来ました。当初レンタカーで巡る計画でしたが、Kさんのご好意に甘えて大正解でした、那覇市内の狭い道など小生一人ではとても無理だったと思っています。
那覇空港に送っていただき、再会を約束してお別れをしました。Kさんに大感謝です。
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年末に琉球八社廻る予定なのでとても勉強になりました♪
ありがとうございます☆
”年末に琉球八社廻る予定”とのこと、拙ブログがお役にたてて、大変嬉しく思います。
記事にもありますが、最後の金武宮は現在参拝できるか不明です。境内入口の道路の海側にあるカフェ(泡盛の販売もしている)でお願いしてみてください。
琉球八社巡拝がすばらしい旅になりますようお祈りいたします。