枚聞神社(鹿児島県指宿市)を掲載しました。
枚聞神社(ひらききじんじゃ)
<通称>おかいもんさん
【鎮座地】〒891-0603 鹿児島県指宿市開聞十町1366 旧薩摩国 頴娃郡
【御祭神】大日孁貴命
(配祀)
天之忍穗耳命 天穗日之命 天津彦根命 活津彦根命 熊野樟日命
多紀理毘賣命 狹依毘賣命 多岐都比賣命
【例祭】
【旧社格等】国幣小社 (現別表神社)
薩摩國一宮
式内社 薩摩國穎娃郡 枚聞神社
【御由緒】
薩摩一宮枚聞神社由緒記
祭神 大日孁貴命(天照大御神)を正祀とし、他に皇祖神八柱神を併せ祀るとあり。
神社の沿革
御鎮座年代を詳らかにせずと雖も、社伝には遠く神代の創祀なりと伝う。既に貞観二年三月、薩摩国従五位下開聞神加従四位下と三代実録に載せられて居るのを始めとして、同書には数度の神位昇叙の事を記され、殊に貞観十六年七月には開聞神山の大噴火の状態を太宰府より言上、神意を和むる為勅命により封戸二千を奉られたことを記載して居る。
延喜式には薩摩国頴娃郡枚聞神社と枚聞の文字を用いられている。古来薩摩国の一宮として代々朝廷の尊崇厚く度々奉幣あり、殊に島津氏入国の後はその崇敬絶大にし、正治二年社殿再興以来、歴代藩主の修理、改造、再建等十余度に及び、元亀二年頴娃領主家の内乱により千九百余町の神領を失ったのを、天正二十年九月には島津家より改めて田畠合計二十四町歩を寄進され、旧藩時代は別当寺瑞応院と共に祭祀を営んで来たもので、明治御治定の折同四年五月国幣小社に列格仰出され、現在薩摩の国一宮として、又神社本庁所属別表社として地方の崇敬を集めている。
神話、伝説、口碑等
ィ、竜宮伝説
開聞岳は上古鴨着島と称し竜宮界であり、海神豊玉彦命の宮地であった。彦火々出見命は御兄火照命の釣を紛失し、お困りになったのを塩土翁の教によって、海神の宮に赴かれ、その門前の井戸の辺で豊玉彦命の御女豊玉姫命に御逢いになり遂に御結婚を遊ばされた。
枚聞神社の北方約三百米位の玉の井の遺跡はその井戸であり日本最古の井戸と伝えられている。更に其の西方の岡には命等の御結婚をされた聾入谷の遺跡がある。
ロ、天智天皇御巡幸伝説
開聞岳の麓の岩屋に一仙人が行をしていたら或日一頭の鹿が現はれ法水を舐めたところ忽ち懐妊して一児を分娩した。
之を瑞照姫、又は大宮姫と申す。天性の麗質世上に聞こえ、二歳にして上京藤原鎌足に育てられ、十三歳にして宮中
に召され天智天皇の妃として御寵愛を受けること深かったが、他の女后等に嫉まれ遂に宮中を連れ出でて伊勢の阿野津より船出し山川の牟瀬浜に上陸郷里へ帰って来られた。
其の時大甕二個を持ち帰られたが、一個は途中で破損した。他の一個は現在尚神社の宝物館に保管されている。其の後天皇は姫を慕って薩摩に御下向され、姫の許で余生を送られ御年七十九歳で崩御遊ばされたと伝記には記されている。
(神社パンフレットより)
*註:貞観二年(860年)、正治二年(1200年)、元亀二年(1571年)、天正二十(1592年)
鹿児島県指宿市(旧揖宿郡開聞町)にあります。薩摩富士とも呼ばれる開聞岳の北麓、JR開聞駅から北東に数100m、県道28号線沿いに鎮座しています。
当社の背後に開聞岳の勇姿が見られますが、写真はアングルが悪く鳥居の右端上に頂上が少しだけのぞいています。
二の鳥居
一の鳥居をくぐると広い駐車場、正面に朱塗りの両部鳥居です。鳥居の右には樟の老樹が聳えています。左には手水舎があります。
二の鳥居から参道
鳥居の左右には門守社、正面奥に平成二年県指定の有形文化財の極彩色の美しい社殿が見えます。
勅使殿
二の鳥居を入ると割とゆったりとした広場、正面に唐破風の、向拝のついた勅使殿です。勅使門の変形で鹿児島地方独特の建築様式です。一般の参拝は此処で行います。
勅使殿の右は西長庁、左は東長庁と呼ばれる廻廊が連なっています。右はおみくじ、左は授与所になっています。
勅使殿の彫刻朱漆塗り極彩色で南国の風情を感じます。
拝殿勅使殿のすぐ奥、正式の参拝が行われます。
拝殿から本殿拝殿から幣殿、本殿と続きます。
本殿
現在の社殿は、慶長15年(1610年)島津兵庫入道維新公により再興され、天明七年(1787年)島津重豪公によって改修されています。
勅使殿から参道
玉の井
当社から北に数100m、県道沿いにあります。海幸彦・山幸彦伝説で、山幸彦が豊玉姫に出会い一目ぼれした場所とされています。
玉の井戸
木に登っていた山幸彦の顔が写った井戸です。豊玉姫が毎朝夕使用した、日本最古の井戸と伝えられています。
長崎鼻から開聞岳
薩摩半島の南端、長崎鼻からの当社のご神体山の開聞岳です。タイミングよく虹が見られました。
海抜924m、山頂には奥宮御岳神社が祀られています。東シナ海から打ち寄せる波がきれいです。
長崎鼻灯台
岬の突端にある灯台です、明治30年(1897年)設置、建物の高さ15.37mです。
枚聞神社(ひらききじんじゃ)
<通称>おかいもんさん
【鎮座地】〒891-0603 鹿児島県指宿市開聞十町1366 旧薩摩国 頴娃郡
【御祭神】大日孁貴命
(配祀)
天之忍穗耳命 天穗日之命 天津彦根命 活津彦根命 熊野樟日命
多紀理毘賣命 狹依毘賣命 多岐都比賣命
【例祭】
【旧社格等】国幣小社 (現別表神社)
薩摩國一宮
式内社 薩摩國穎娃郡 枚聞神社
【御由緒】
薩摩一宮枚聞神社由緒記
祭神 大日孁貴命(天照大御神)を正祀とし、他に皇祖神八柱神を併せ祀るとあり。
神社の沿革
御鎮座年代を詳らかにせずと雖も、社伝には遠く神代の創祀なりと伝う。既に貞観二年三月、薩摩国従五位下開聞神加従四位下と三代実録に載せられて居るのを始めとして、同書には数度の神位昇叙の事を記され、殊に貞観十六年七月には開聞神山の大噴火の状態を太宰府より言上、神意を和むる為勅命により封戸二千を奉られたことを記載して居る。
延喜式には薩摩国頴娃郡枚聞神社と枚聞の文字を用いられている。古来薩摩国の一宮として代々朝廷の尊崇厚く度々奉幣あり、殊に島津氏入国の後はその崇敬絶大にし、正治二年社殿再興以来、歴代藩主の修理、改造、再建等十余度に及び、元亀二年頴娃領主家の内乱により千九百余町の神領を失ったのを、天正二十年九月には島津家より改めて田畠合計二十四町歩を寄進され、旧藩時代は別当寺瑞応院と共に祭祀を営んで来たもので、明治御治定の折同四年五月国幣小社に列格仰出され、現在薩摩の国一宮として、又神社本庁所属別表社として地方の崇敬を集めている。
神話、伝説、口碑等
ィ、竜宮伝説
開聞岳は上古鴨着島と称し竜宮界であり、海神豊玉彦命の宮地であった。彦火々出見命は御兄火照命の釣を紛失し、お困りになったのを塩土翁の教によって、海神の宮に赴かれ、その門前の井戸の辺で豊玉彦命の御女豊玉姫命に御逢いになり遂に御結婚を遊ばされた。
枚聞神社の北方約三百米位の玉の井の遺跡はその井戸であり日本最古の井戸と伝えられている。更に其の西方の岡には命等の御結婚をされた聾入谷の遺跡がある。
ロ、天智天皇御巡幸伝説
開聞岳の麓の岩屋に一仙人が行をしていたら或日一頭の鹿が現はれ法水を舐めたところ忽ち懐妊して一児を分娩した。
之を瑞照姫、又は大宮姫と申す。天性の麗質世上に聞こえ、二歳にして上京藤原鎌足に育てられ、十三歳にして宮中
に召され天智天皇の妃として御寵愛を受けること深かったが、他の女后等に嫉まれ遂に宮中を連れ出でて伊勢の阿野津より船出し山川の牟瀬浜に上陸郷里へ帰って来られた。
其の時大甕二個を持ち帰られたが、一個は途中で破損した。他の一個は現在尚神社の宝物館に保管されている。其の後天皇は姫を慕って薩摩に御下向され、姫の許で余生を送られ御年七十九歳で崩御遊ばされたと伝記には記されている。
(神社パンフレットより)
*註:貞観二年(860年)、正治二年(1200年)、元亀二年(1571年)、天正二十(1592年)
鹿児島県指宿市(旧揖宿郡開聞町)にあります。薩摩富士とも呼ばれる開聞岳の北麓、JR開聞駅から北東に数100m、県道28号線沿いに鎮座しています。
当社の背後に開聞岳の勇姿が見られますが、写真はアングルが悪く鳥居の右端上に頂上が少しだけのぞいています。
二の鳥居
一の鳥居をくぐると広い駐車場、正面に朱塗りの両部鳥居です。鳥居の右には樟の老樹が聳えています。左には手水舎があります。
二の鳥居から参道
鳥居の左右には門守社、正面奥に平成二年県指定の有形文化財の極彩色の美しい社殿が見えます。
勅使殿
二の鳥居を入ると割とゆったりとした広場、正面に唐破風の、向拝のついた勅使殿です。勅使門の変形で鹿児島地方独特の建築様式です。一般の参拝は此処で行います。
勅使殿の右は西長庁、左は東長庁と呼ばれる廻廊が連なっています。右はおみくじ、左は授与所になっています。
勅使殿の彫刻朱漆塗り極彩色で南国の風情を感じます。
拝殿勅使殿のすぐ奥、正式の参拝が行われます。
拝殿から本殿拝殿から幣殿、本殿と続きます。
本殿
現在の社殿は、慶長15年(1610年)島津兵庫入道維新公により再興され、天明七年(1787年)島津重豪公によって改修されています。
勅使殿から参道
玉の井
当社から北に数100m、県道沿いにあります。海幸彦・山幸彦伝説で、山幸彦が豊玉姫に出会い一目ぼれした場所とされています。
玉の井戸
木に登っていた山幸彦の顔が写った井戸です。豊玉姫が毎朝夕使用した、日本最古の井戸と伝えられています。
長崎鼻から開聞岳
薩摩半島の南端、長崎鼻からの当社のご神体山の開聞岳です。タイミングよく虹が見られました。
海抜924m、山頂には奥宮御岳神社が祀られています。東シナ海から打ち寄せる波がきれいです。
長崎鼻灯台
岬の突端にある灯台です、明治30年(1897年)設置、建物の高さ15.37mです。
拙ブログにお立ち寄りいただきありがとうございました。
個人で各地の神社巡りをしていまして、各神社またはその地域の成り立ち、伝説、逸話などを見たり聞いたりして楽しんでいます。
貴兄のブログ拝見しました。
>私は元日のNHKの討論番組で竹中平蔵の詭弁に憤りを感じ、
御意、小生も同感です。
今後とも宜しくお願いいたします。