天照皇大神宮(福岡県久山町)を掲載しました。
02/01(金)、今年は本家伊勢神宮には行けませんでしたので、1月中に参拝したいと思っていた九州のお伊勢さんと云われる天照皇大神宮(伊野皇大神宮)、他に参拝しました。
天照皇大神宮(てんしょうこうたいじんぐう)
<通称>伊野皇大神宮(いのこうたいじんぐう)
【鎮座地】〒811-2503 福岡県糟屋郡久山町大字猪野604 旧筑前国 糟屋郡
【御祭神】天照大神 手力雄神 萬幡千々姫命 (合祀)罔象女神 住吉三神 志賀三神
【例祭】4月20日近い日曜日 例祭
【旧社格等】県社
【御由緒】
伊野天照皇大神宮由来記
祭神 天照大神 手力雄神 萬幡千々姫命
(合祀)水取宮 五霊大明神 志賀三神 住吉三神
ここに鎮座せらるゝ伊野天照皇大神宮は、その縁起をたづねるに、草蒼は極めて遠く日本書紀によると神功皇后香椎の宮に御幸臨の砌、仲哀帝の九年三月壬申(紀元二〇〇年)皇后小山田邑の斎宮に入り自ら神主となり天照大神(撞賢木嚴御魂)の霊をお祭りになったと記されてある。
降って、陽成帝の元慶元年十二月十五日辛巳(紀元八七七年)筑前天照神に授位のことが三代実録に見えている。
往古この宮は、字南古宮大神宮として祭られてあったが、旧記によれば武将の信仰厚く、北条時宗、菊地武重、織田信長、立花道雪、小早川隆景等は各難局に際して奉幣し、或は社領を奉納するなど敬意を表したと云う。
次で、慶長年間(紀元一六〇一年)黒田氏福岡に入封後、代々藩主の崇敬厚く、二代藩主忠之は神主、工匠を伊勢に派遣して伊勢神宮の構法を学ばせその秘法を授かった。斯くて伊勢の例にならい二十年毎に式年遷宮を行うことゝなった。
その神幸には筑前一円の大庄屋、庄屋が参列して一国を挙げて盛大無比の大絵巻が繰り展べられたと云う。
後に六代藩主継高の時天和三年(紀元一六八三年)此の社地に社殿を移築して益々祭祀を手厚くし、その五穀成就祈祷札の如きは、藩内各村々に行き渡り広く庶民に敬仰されたことは古記録に詳らかである。
例祭 四月二十日二十一日二十二日(日曜日を中心に)
(境内由緒掲示板より)註:紀元=西暦
当社は福岡市の東に隣接し自然豊かな町、糟屋郡久山町にあります。久山町役場から北に2kmの猪野地区、遠見岳の麓の杜に鎮座しています。
九州自動車道「福岡IC」から県道21号線(福岡直方線)を直方方面に進み「山の神」交差点で左折して1kmほどのところです。大鳥居をすぎて参道入口の五十鈴橋の傍に駐車場も完備しています。
いすゞ橋こちらは本家宇治橋と違い朱の欄干で若干派手です。
鳥居から本殿まで全て伊勢神宮を模して造られたことから社の前の川(猪野川)を五十鈴川に見立て「いすゞ橋」が架けられています。
参道入口の鳥居右に縣社天照皇大神宮の社号標があります。
そばには夫婦円満の守り神の夫婦杉がそびえています。
参道
鳥居をくぐると左に手水舎、右に授与所があります。
社域は約1万8千坪の広大な森で参道も大きな樹木に覆われています。
拝殿
参道を上ると白木の伊勢鳥居の奥に境内は三段になっています。
拝殿の扁額「雲従龍」 頭山 満書とあります。
「清徳」進藤一馬、「独掌聲」藤野正人とともに昭和56年8月の奉納されました。
神殿
創建は足利時代の末、豊前彦山に流された豊丹生佐渡守有時が大神の御神体を豊前に移しさらに、その御子兵庫大夫が神のお告げをうけて当地伊野(猪野)に移されたと伝えられています。
古神殿跡地
境内の最上段、三段めは古神殿跡地です、式年遷宮で神殿が交互に建て替えられた跡です。
古神殿跡地から現神殿
遠見岳への登山口
社殿傍に神功皇后が三韓征伐に際し、山頂から朝鮮半島の方向を見て戦略を練ったと伝えられる遠見岳(323m)への登山口があります。
この写真はアングルが悪く平坦に見えますがかなりの急勾配のようです。
境内から参道
02/01(金)、今年は本家伊勢神宮には行けませんでしたので、1月中に参拝したいと思っていた九州のお伊勢さんと云われる天照皇大神宮(伊野皇大神宮)、他に参拝しました。
天照皇大神宮(てんしょうこうたいじんぐう)
<通称>伊野皇大神宮(いのこうたいじんぐう)
【鎮座地】〒811-2503 福岡県糟屋郡久山町大字猪野604 旧筑前国 糟屋郡
【御祭神】天照大神 手力雄神 萬幡千々姫命 (合祀)罔象女神 住吉三神 志賀三神
【例祭】4月20日近い日曜日 例祭
【旧社格等】県社
【御由緒】
伊野天照皇大神宮由来記
祭神 天照大神 手力雄神 萬幡千々姫命
(合祀)水取宮 五霊大明神 志賀三神 住吉三神
ここに鎮座せらるゝ伊野天照皇大神宮は、その縁起をたづねるに、草蒼は極めて遠く日本書紀によると神功皇后香椎の宮に御幸臨の砌、仲哀帝の九年三月壬申(紀元二〇〇年)皇后小山田邑の斎宮に入り自ら神主となり天照大神(撞賢木嚴御魂)の霊をお祭りになったと記されてある。
降って、陽成帝の元慶元年十二月十五日辛巳(紀元八七七年)筑前天照神に授位のことが三代実録に見えている。
往古この宮は、字南古宮大神宮として祭られてあったが、旧記によれば武将の信仰厚く、北条時宗、菊地武重、織田信長、立花道雪、小早川隆景等は各難局に際して奉幣し、或は社領を奉納するなど敬意を表したと云う。
次で、慶長年間(紀元一六〇一年)黒田氏福岡に入封後、代々藩主の崇敬厚く、二代藩主忠之は神主、工匠を伊勢に派遣して伊勢神宮の構法を学ばせその秘法を授かった。斯くて伊勢の例にならい二十年毎に式年遷宮を行うことゝなった。
その神幸には筑前一円の大庄屋、庄屋が参列して一国を挙げて盛大無比の大絵巻が繰り展べられたと云う。
後に六代藩主継高の時天和三年(紀元一六八三年)此の社地に社殿を移築して益々祭祀を手厚くし、その五穀成就祈祷札の如きは、藩内各村々に行き渡り広く庶民に敬仰されたことは古記録に詳らかである。
例祭 四月二十日二十一日二十二日(日曜日を中心に)
(境内由緒掲示板より)註:紀元=西暦
当社は福岡市の東に隣接し自然豊かな町、糟屋郡久山町にあります。久山町役場から北に2kmの猪野地区、遠見岳の麓の杜に鎮座しています。
九州自動車道「福岡IC」から県道21号線(福岡直方線)を直方方面に進み「山の神」交差点で左折して1kmほどのところです。大鳥居をすぎて参道入口の五十鈴橋の傍に駐車場も完備しています。
いすゞ橋こちらは本家宇治橋と違い朱の欄干で若干派手です。
鳥居から本殿まで全て伊勢神宮を模して造られたことから社の前の川(猪野川)を五十鈴川に見立て「いすゞ橋」が架けられています。
参道入口の鳥居右に縣社天照皇大神宮の社号標があります。
そばには夫婦円満の守り神の夫婦杉がそびえています。
参道
鳥居をくぐると左に手水舎、右に授与所があります。
社域は約1万8千坪の広大な森で参道も大きな樹木に覆われています。
拝殿
参道を上ると白木の伊勢鳥居の奥に境内は三段になっています。
拝殿の扁額「雲従龍」 頭山 満書とあります。
「清徳」進藤一馬、「独掌聲」藤野正人とともに昭和56年8月の奉納されました。
神殿
創建は足利時代の末、豊前彦山に流された豊丹生佐渡守有時が大神の御神体を豊前に移しさらに、その御子兵庫大夫が神のお告げをうけて当地伊野(猪野)に移されたと伝えられています。
古神殿跡地
境内の最上段、三段めは古神殿跡地です、式年遷宮で神殿が交互に建て替えられた跡です。
古神殿跡地から現神殿
遠見岳への登山口
社殿傍に神功皇后が三韓征伐に際し、山頂から朝鮮半島の方向を見て戦略を練ったと伝えられる遠見岳(323m)への登山口があります。
この写真はアングルが悪く平坦に見えますがかなりの急勾配のようです。
境内から参道
今、BS2で加山雄三さんが歌っています、古希を過ぎても、いつまでもお変わりなくうらやましい限りです。
1月は週末天気が悪く計画通りに出掛けることができませんでした。今月はどうなりますか?。
今度の約一名の方のお誕生日楽しみにしています。