九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

加藤神社(熊本市)、他に参拝

2007-04-09 22:08:48 | 神社巡拝
 4/04(水)、加藤神社(熊本市)、他に参拝しました。

九州自動車道「熊本IC」で降りて、ナビに従い市内の中心地、熊本城を目指します。
平日の通勤時間帯を過ぎたにもかかわらず大変な渋滞で車が進みません、数年前まで仕事で時折来ていましたが、こんなにひどいとは思いませんでした。正面に熊本城稲荷神社が見えてきてすぐ隣に駐車場もありましたのでここに車を預けて行動開始しました。

 最初に熊本城稲荷神社、その隣にある熊本大神宮と参拝し、不開門から熊本城に入りました。
城内を見物の後、頬当御門から出て隣接(というかここも城内)の加藤神社に参拝しました。

 加藤神社(かとうじんじゃ)
<通称>加藤社(かとうしゃ)
【鎮座地】〒〒860-0002 熊本県熊本市本丸2-1 旧肥後国 飽田郡
【御祭神】加藤清正 (配祀)大木兼能 韓人金官
【例祭】 4月22日 春季例祭 11月23日 新嘗祭
【旧社格等】 県社
【御由緒】
御祭神 加藤清正公 
陪神  大木兼能公 韓人金宦公

由緒
 加藤清正公【永禄五年(1562)~慶長十六年(1611)】は、戦国時代の智仁勇兼備の模範的武将として、また、熊本に於ては、日本三名城の一つである熊本城の築城と、それにははじまるところの富国安民の国づくり政策を推し進められた方であります。
 それは、全県下に亘る土木・治水工事をはじめ、干拓・開墾・植林・交通の便の為の街道づくり、焼物等幾多の国の発展の礎となる産業の奨励保護、学問の奨励・文化の開拓等と一つひとつ列挙すれば限りない程の偉業であります。
 さらに武将としての清正公は、単なる勇しいばかりの武士でなくして、常に大義名分を重んじられると共に、上には忠と義を以って、下には慈悲と情を以ってあたられた信仰心の豊かな方であります。
 この様に、清正公の五十年の人生は、実に至誠にして高潔なる人格者であり、いつの時代に於ても尊崇敬慕されるにふさわしい理想的日本人であられるとともに、熊本県民にとっては、熊本発展の礎となる有形無形の役割を果された大恩人で、清正公をお祀り申し上げる加藤神社は、肥後総鎮護と言うべき神社であります。

慶応 4年 熊本藩主細川韻邦公の弟長岡護美公の建議により明治元年
       朝廷より神祭仰出され、浄池廟を神道儀式にて守護する。
明治 4年 神仏分離の際熊本城内に神宇を創建し錦山神社と公称する。
       同年神祗官を経て大木兼能・韓人金官公の両霊を合祀する。
明治 7年 明治6年に熊本鎮台が置かれ、城内が悉く陸軍用地に編入された為
       に、京町台に改築遷座奉祀する。
明治 8年 社格を県社に列せられる。(昭和21年社格制度が廃止)
明治10年 西南の役に際し、社域は恰も交戦の衝路となり手水鉢以外建
       物悉く焼失する。(ご神体は事前に健軍神社に移し奉護する)
明治11年 陸軍中佐乃木希典氏西南の役戦勝報賽の参拝をされ祭文を奏上され
       る。
      (直筆の祭文は御神宝として所蔵)
明治17年 社殿再建に着手し、19年に竣工正遷宮する。
明治42年 清正公300年祭を斎行し、社号を加藤神社と改称する。
       同年閑院宮殿下の御参拝あり幣帛料を供進される。
       同年陸軍大将乃木希典氏より太刀一振薙刀一本献納される。
明治44年 伏見宮殿下の御参拝あり。
       同年米領ハワイ在留民の懇請により加藤神社を創建する。
大正 3年 朝鮮京城府龍山有志者の懇請により加藤神社を創建する。
昭和 6年 昭和天皇の勅使として侍従山県公爵が幣帛料を下賜される。
昭和37年 永年の熊本城内遷宮の宿願叶い現在地に遷宮する。
昭和46年 御創建百年を記念して、御鎮座100年記念大祭を斎行する。
昭和50年 夏祭りに神幸行列を復活する。(昭和57年より清正公まつりに改称
      し、昭和60年清正公まつり奉賛会を組織する)
昭和51年 青少年の健全育成と教化を目的として子供会を結成する。
昭和56年 清正公生誕420年。御鎮座110年記念大祭を斎行する。
       広大無辺なご神徳の昂揚を目的として崇敬会を結成する。
           (平成6年に青年部を組織する)
昭和63年 清正公肥後入国400年記念大祭を斎行する。
平成 3年 清正公生誕430年。御鎮座120年記念大祭を斎行する。
平成 4年 城内遷宮30年記念大祭を斎行する。
平成13年 清正公生誕440年。御鎮座130年記念大祭を斎行する。
      (記念事業として、社務所屋根を緑青銅板に茸替える)
平成14年 城内遷宮40年記念大祭を斎行する。
      (記念事業として、ご社殿並に社務所等の改修改装工事等を行う)

拝殿 

 本殿 

太鼓橋
清正公が文禄の役の記念として持ち帰られたものであり、帰国後に於ける橋づくりの原型とされたものである。

  大手水鉢
熊本三手水鉢と言われ、清正公の重臣大木邸使用のものである。

  清正公の旗立石
文禄の役記念として、明治42年肥前名護屋城より移したものである。

  末社 
 御祭神
猿田彦神 ・・・・ 道開き・道びきの神
菅原道真公 ・・・・ 学問の神
大国主神 ・・・・ 福徳円満の神
恵比寿神 ・・・・ 商売繁盛の神
※例祭日 毎年10月5日 午前10時より

 熊本城近望の名所
境内からの熊本城の静観は、近望の名所として雑誌等に掲載される程に有名であり、結婚式の前撮写真の最高のロケーションとなっており、また、カメラマンの絶好の撮影場所ともなっている。

(神社パンフレット「加藤神社由緒略記」より)
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