先日の続きです。
山頂は旧筑前國と豊前國の境にあり、かつて筑前・豊前両国により福智権現が祀られていました。その後分社され、現在は筑前(鳥野神社)、豊前(福智中宮神社)それぞれの上宮の石祠が鎮座しています。
上宮鳥野神社
【鎮座地】〒822-0002 福岡県直方市頓野 (福智山山頂)旧筑前国 鞍手郡
福岡県神社誌には福岡県直方市頓野字内ケ磯福智山嶺とあります。
【御祭神】天照大神、月読大神、保食大神
【例祭】
【旧社格等】無格社
【御由緒】
鳥野神社
祭神 天照皇大神、保食大神、月読大神、軻遇槌神
白鳳の壬申*1(約1300年前)に福知山上に鎮祭されてより高格古社の神社として神威著しく、遠賀、鞍手、嘉穂群二万戸から五穀豊穣の神としてまた耳の神様として崇敬を集めた。
慶長年間*2黒田長政筑前の国主となりし折、幕府鬼門の守護神として上宮を再興。福地権現と称していた上宮は天正年間*3筑前と豊前に分社。
慶安年間*4に当地に本殿を築き、明治三十三年県社に昇格。
大正十三年社殿改築。
神使は烏
(平成祭データ、鳥野神社より)
註:白鳳の壬申*1(672年)慶長年間*2(1596~1614年)天正年間*3(1573~1591年)慶安年間*4(1648~1651年)
筑前國續風土記拾遺巻之(三十一) 鞍手郡 下 頓野村に、
『福地権現社
上宮ハ福地山(国見岳とも云)の頂に在。石祠也。所祭保食神也。
ーー中略ーー
社説に日本武尊此上に登り地形を察し給ひし事有。故に國見岳と云といへり。古ハ筑前豊前両國の堺に神祠有て両國より祀りしか、明暦中(*1)神祠を内ケ磯に移して山上の祠は廃せり。然るに宝暦三年(*2)又山上昔の社地より西南の方三十歩斗に石祠を建立す。今の上宮有也。(此時豊前國にも亦石祠を建立す。山頭?南方に在)
ーー以下略』
とあります。
(明暦中(*1):1655~1657年、宝暦三年(*2):1753年)
登山道から山頂に到着すると直ぐにあります。
左側面になにやら文字が刻まれていますが、崩壊して判読不能です。
筑前國續風土記拾遺に「宝暦三年(1753年)又山上昔の社地より西南の方三十歩斗に石祠を建立す。」とあるようにこの時のものであれば、およそ250年経過しています。
石祠内部
右に英彦山金剛界入峯修行のお札?、福智山は役の小角が唐土から日本に帰り、英彦山秋峰の金剛界にしたと伝えられ、英彦山修験道行場の一つです。
中央に一体の石像と小さな賽銭箱、
左には「山ノ神」の小さな石柱があります。
右側面と後方から
社前からの景観
直ぐ下に巨岩があります。頂部が平らで日本武尊が国見をしたと伝わる国見岳岩とはこの岩ではと思われます。
その向こうに九州第二の大河遠賀川がゆったりと流れています。
福智山ダム本社の鳥野神社はこのダムの西(左)数100mの森に鎮座しています。
周囲は遊歩道、内ケ磯キャンプ場等が整備されています。
山頂は旧筑前國と豊前國の境にあり、かつて筑前・豊前両国により福智権現が祀られていました。その後分社され、現在は筑前(鳥野神社)、豊前(福智中宮神社)それぞれの上宮の石祠が鎮座しています。
上宮鳥野神社
【鎮座地】〒822-0002 福岡県直方市頓野 (福智山山頂)旧筑前国 鞍手郡
福岡県神社誌には福岡県直方市頓野字内ケ磯福智山嶺とあります。
【御祭神】天照大神、月読大神、保食大神
【例祭】
【旧社格等】無格社
【御由緒】
鳥野神社
祭神 天照皇大神、保食大神、月読大神、軻遇槌神
白鳳の壬申*1(約1300年前)に福知山上に鎮祭されてより高格古社の神社として神威著しく、遠賀、鞍手、嘉穂群二万戸から五穀豊穣の神としてまた耳の神様として崇敬を集めた。
慶長年間*2黒田長政筑前の国主となりし折、幕府鬼門の守護神として上宮を再興。福地権現と称していた上宮は天正年間*3筑前と豊前に分社。
慶安年間*4に当地に本殿を築き、明治三十三年県社に昇格。
大正十三年社殿改築。
神使は烏
(平成祭データ、鳥野神社より)
註:白鳳の壬申*1(672年)慶長年間*2(1596~1614年)天正年間*3(1573~1591年)慶安年間*4(1648~1651年)
筑前國續風土記拾遺巻之(三十一) 鞍手郡 下 頓野村に、
『福地権現社
上宮ハ福地山(国見岳とも云)の頂に在。石祠也。所祭保食神也。
ーー中略ーー
社説に日本武尊此上に登り地形を察し給ひし事有。故に國見岳と云といへり。古ハ筑前豊前両國の堺に神祠有て両國より祀りしか、明暦中(*1)神祠を内ケ磯に移して山上の祠は廃せり。然るに宝暦三年(*2)又山上昔の社地より西南の方三十歩斗に石祠を建立す。今の上宮有也。(此時豊前國にも亦石祠を建立す。山頭?南方に在)
ーー以下略』
とあります。
(明暦中(*1):1655~1657年、宝暦三年(*2):1753年)
登山道から山頂に到着すると直ぐにあります。
左側面になにやら文字が刻まれていますが、崩壊して判読不能です。
筑前國續風土記拾遺に「宝暦三年(1753年)又山上昔の社地より西南の方三十歩斗に石祠を建立す。」とあるようにこの時のものであれば、およそ250年経過しています。
石祠内部
右に英彦山金剛界入峯修行のお札?、福智山は役の小角が唐土から日本に帰り、英彦山秋峰の金剛界にしたと伝えられ、英彦山修験道行場の一つです。
中央に一体の石像と小さな賽銭箱、
左には「山ノ神」の小さな石柱があります。
右側面と後方から
社前からの景観
直ぐ下に巨岩があります。頂部が平らで日本武尊が国見をしたと伝わる国見岳岩とはこの岩ではと思われます。
その向こうに九州第二の大河遠賀川がゆったりと流れています。
福智山ダム本社の鳥野神社はこのダムの西(左)数100mの森に鎮座しています。
周囲は遊歩道、内ケ磯キャンプ場等が整備されています。
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