神魂神社(島根県松江市)を掲載しました。
神魂神社(かもすじんじゃ)
<通称>大庭大宮(おおばおおみや)
【鎮座地】〒690-0033 島根県松江市大庭町377 旧出雲国 意宇郡
【御祭神】伊弉冉大神 (配祀)伊弉諾大神
【例祭】 10月18日 例大祭
【旧社格等】県社
【御由緒】
神魂(かもす)神社案内
御祭神 伊弉冊大神 伊弉諾大神
祈念祭 四月十八日 例祭 十月十八日 新嘗祭 十二月十三日
当社は出雲国造(いずものくにのみやつこ)の大祖天穂日命(あめのほひのみこと)がこの地に天降られ出雲の守護神として創建、以来天穂日命の子孫が出雲国造として二十五代まで奉仕され、大社移住後も「神火相続(ひつぎ)式」「古伝新嘗祭(にいなめさい)」奉仕のため参向されている。
本殿は室町時代初期、正平元年(一三四六年)建立の大社造で、その大きさは三間四方高さ四丈あり出雲大社本殿とは規模を異にするが、床が高く、木太く、特に宇豆(うず)柱が壁から著しく張り出していることは大社造の古式に則っているとされ、最古の大社造として昭和二十七年三月国宝に指定されている。
本殿内は狩野山楽土佐光起の筆と伝えられる壁画九面にて囲まれ、天井は九つの瑞雲が五色に彩られている。
(境内案内板より)
島根県松江市にあります。松江市の中心部から国道432号線をおよそ10km南下、大庭町「八雲立つ風土記の丘」の西、数100mの鬱蒼とした杜に鎮座しています。
参道の鳥居(二の鳥居)
両脇に灯篭の並んだ桜並木の参道を進むと社叢入口に木製の鳥居です。駐車場からは直ぐにここに出ます。鳥居の右に大きな自然石に「神魂神社」と刻まれた社号標があります。
参道から拝殿
二の鳥居をくぐり石段を上ると途中に自然石の趣のある手水、しばらく進むと女坂と呼ばれる緩やかな参道と男坂と呼ばれる急な石段の参道に分かれています。
拝殿
急な石段を上ると直ぐに拝殿です。正面はかなり老朽化して痛みが随所に見られます。神門は「二重亀甲に有」です。境内右には社務所があります。
境内右から社殿全景
当地は出雲国庁に近く古代出雲の中心地で、杵築(大社町)に移住した延暦17年(798)までは出雲国造の本拠と考えられています。
本殿
当社は大庭大宮とも称され、神魂(かもす)という社名の由来は、神坐所(かみいますどころ)や神縁結(かむむすび)などから転じたものとする複数の説があります。
熊野大社、揖夜神社、真名井神社、八重垣神社、六所神社と共に意宇六社の一つに数えられています。
境内左から社殿全景
創始は社前案内に「「主祭神は伊弉冊大神、伊弉諾大神。当社は出雲国造の大祖天穂日命がこの地に天降られ出雲の守護神として創建」とあります。
『延喜式神名帳』『出雲国風土記』にも見えず、確かな文献上の初見は承元2年(1208)の「鎌倉将軍下文」で、創建は平安時代中期以降と考えられています。
本殿は室町時代初期、正平元年(1346)建立の大社造で、床が高く、木太く、特に宇豆柱が壁から著しく張り出していることは大社造の古式に則っているとされ、最古の大社造として昭和27年3月国宝に指定されています。
屋根は栃葺で、千木の先端が水平に切ってあるのは祭神が女神であることを示し、男神を主祭神とする出雲大社等は千木の先端が垂直に切ってあり、これも大社造の特徴です
本殿の基礎部
柱は全て円柱で、自然石の上に建てられています。前後に建つ宇豆柱、殿内中央の心御柱と呼ぶ太い柱および6本の側柱があります。
境内社本殿右に並んであります。
左から杵築社、伊勢社、熊野社、右端は新嘗祭で行われるお釜の神事に用いられるお釜が祀られている御釜殿です。天穂日命が乗って降りたお釜とされています。
境内社・貴布禰稲荷両神社本殿左横にあります。
二間社流造りの珍しい様式、天正11年(1583年)の建立で国指定の重要文化財です。社前には首輪を着けた狛犬、床下に多くの小さな狛狐が奉納されています。
境内社境内左奥に並んであります。
左から武勇社、蛭子社、荒神社、外山社です。蛭子社と荒神社の間に祭壇がありますが由縁等詳細不明です。
社殿全景
境内は綺麗に整備されています。杉の巨木なども見られ、鬱蒼とした樹木に囲まれ、人影もなく静かな雰囲気に包まれています。
二の鳥居から参道周囲にはのどかな田園風景が見られます。
神魂神社(かもすじんじゃ)
<通称>大庭大宮(おおばおおみや)
【鎮座地】〒690-0033 島根県松江市大庭町377 旧出雲国 意宇郡
【御祭神】伊弉冉大神 (配祀)伊弉諾大神
【例祭】 10月18日 例大祭
【旧社格等】県社
【御由緒】
神魂(かもす)神社案内
御祭神 伊弉冊大神 伊弉諾大神
祈念祭 四月十八日 例祭 十月十八日 新嘗祭 十二月十三日
当社は出雲国造(いずものくにのみやつこ)の大祖天穂日命(あめのほひのみこと)がこの地に天降られ出雲の守護神として創建、以来天穂日命の子孫が出雲国造として二十五代まで奉仕され、大社移住後も「神火相続(ひつぎ)式」「古伝新嘗祭(にいなめさい)」奉仕のため参向されている。
本殿は室町時代初期、正平元年(一三四六年)建立の大社造で、その大きさは三間四方高さ四丈あり出雲大社本殿とは規模を異にするが、床が高く、木太く、特に宇豆(うず)柱が壁から著しく張り出していることは大社造の古式に則っているとされ、最古の大社造として昭和二十七年三月国宝に指定されている。
本殿内は狩野山楽土佐光起の筆と伝えられる壁画九面にて囲まれ、天井は九つの瑞雲が五色に彩られている。
(境内案内板より)
島根県松江市にあります。松江市の中心部から国道432号線をおよそ10km南下、大庭町「八雲立つ風土記の丘」の西、数100mの鬱蒼とした杜に鎮座しています。
参道の鳥居(二の鳥居)
両脇に灯篭の並んだ桜並木の参道を進むと社叢入口に木製の鳥居です。駐車場からは直ぐにここに出ます。鳥居の右に大きな自然石に「神魂神社」と刻まれた社号標があります。
参道から拝殿
二の鳥居をくぐり石段を上ると途中に自然石の趣のある手水、しばらく進むと女坂と呼ばれる緩やかな参道と男坂と呼ばれる急な石段の参道に分かれています。
拝殿
急な石段を上ると直ぐに拝殿です。正面はかなり老朽化して痛みが随所に見られます。神門は「二重亀甲に有」です。境内右には社務所があります。
境内右から社殿全景
当地は出雲国庁に近く古代出雲の中心地で、杵築(大社町)に移住した延暦17年(798)までは出雲国造の本拠と考えられています。
本殿
当社は大庭大宮とも称され、神魂(かもす)という社名の由来は、神坐所(かみいますどころ)や神縁結(かむむすび)などから転じたものとする複数の説があります。
熊野大社、揖夜神社、真名井神社、八重垣神社、六所神社と共に意宇六社の一つに数えられています。
境内左から社殿全景
創始は社前案内に「「主祭神は伊弉冊大神、伊弉諾大神。当社は出雲国造の大祖天穂日命がこの地に天降られ出雲の守護神として創建」とあります。
『延喜式神名帳』『出雲国風土記』にも見えず、確かな文献上の初見は承元2年(1208)の「鎌倉将軍下文」で、創建は平安時代中期以降と考えられています。
本殿は室町時代初期、正平元年(1346)建立の大社造で、床が高く、木太く、特に宇豆柱が壁から著しく張り出していることは大社造の古式に則っているとされ、最古の大社造として昭和27年3月国宝に指定されています。
屋根は栃葺で、千木の先端が水平に切ってあるのは祭神が女神であることを示し、男神を主祭神とする出雲大社等は千木の先端が垂直に切ってあり、これも大社造の特徴です
本殿の基礎部
柱は全て円柱で、自然石の上に建てられています。前後に建つ宇豆柱、殿内中央の心御柱と呼ぶ太い柱および6本の側柱があります。
境内社本殿右に並んであります。
左から杵築社、伊勢社、熊野社、右端は新嘗祭で行われるお釜の神事に用いられるお釜が祀られている御釜殿です。天穂日命が乗って降りたお釜とされています。
境内社・貴布禰稲荷両神社本殿左横にあります。
二間社流造りの珍しい様式、天正11年(1583年)の建立で国指定の重要文化財です。社前には首輪を着けた狛犬、床下に多くの小さな狛狐が奉納されています。
境内社境内左奥に並んであります。
左から武勇社、蛭子社、荒神社、外山社です。蛭子社と荒神社の間に祭壇がありますが由縁等詳細不明です。
社殿全景
境内は綺麗に整備されています。杉の巨木なども見られ、鬱蒼とした樹木に囲まれ、人影もなく静かな雰囲気に包まれています。
二の鳥居から参道周囲にはのどかな田園風景が見られます。
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